2021年2月1日にミャンマー軍(1)により引き起こされたクーデターを、軍の批判者は「未遂」、「失敗」と評する。同軍は権力の掌握に失敗し、各地で軍事拠点を失っている。だが、市民への暴力は絶え間なくつづき紛争は激化している。元議員や活動家で構成される国民統一政府(NUG)を承認した国は東ティモールだけである。情勢は混迷を極めているが、その中にも希望が生まれつつある。
ミャンマー軍やその指揮する治安部隊によって殺害された人は、確認されているだけでも6000名を超え、2万人以上が不当に逮捕・拘束された状態が長くつづく(2)。ある調査によると、軍の立ち上げた国家統治評議会(S AC)はクーデター以降16回もの恩赦で10万人以上を釈放しているが、政治囚は8.6%しか含まれない(3)。
クーデターは経済の混乱も招き、通貨チャットの価値は暴落している。各地の民族抵抗勢力とミャンマー軍、民主化を求める若者らで構成される国民防衛隊(PDF)と軍の間の紛争は激化する一方だ。各国連機関が出す数字もまちまちで、もはや正確な数字は掴みようがないが、350万人が国内避難民となっているとみられる。これら避難民も含め、国内人口の3分の1が人道支援の必要な状態、つまり食糧にも事欠く状況に陥っている。軍に拘束された人に対し、また、軍の作戦行動の中で女性や性的マイノリティへの性暴力の被害も起きている。
クーデターの日は、国会の召集日だった。2020年11月の選挙でアウンサンスーチー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が単独過半数を得ており、2015年からつづき同党が政権を担うはずだった。軍側は選挙の不正を主張し、アウンサンスーチー氏らを拘束し全権掌握を宣言した。だが、国際社会の強い批判が巻き起こるだけでなく、市民がクーデターに強く反発したことで軍の目論みは崩れる。
ミャンマーでは、2011年から軍主導で民生化が進んでいた。当時のテインセイン大統領は矢継ぎ早に改革を打ち出し、NLDの政治参加も認めた。急激な経済発展が起こった。その中で軍はさまざまな利権の他、管理する不動産、二つの企業グループを中心としたビジネス網を国中に張りめぐらせて莫大な収益を得てきたが、それを投げ捨てた格好となった。一方、9年間という短い期間ではあったが、民主的な空気を味わった人びとは軍支配の復活を容認しなかった。公務員の不服従運動が全国に広まり、若者の工夫に富んだデモがSNSで拡散され、世界に瞬く間に広まった(4)。
これに対し以前より抑制的に行動しているように見えた軍も、抵抗が収まらないことから、1988年や2007年の民主化運動に対したのと同様、暴力で事態を「沈静化」しようとした。軍の暴力の激化にともない、人びとの抵抗も武力闘争に舵を切っていく。NUGは、クーデターが起きた2021年5月に市民の自衛のためにPDFを設立したと公表した。かつて、民主化運動のリーダーだったアウンサンスーチー氏は、非暴力運動を柱に活動してきたが、その過去の路線とは一線が画されることになった。
不敗神話の崩壊
クーデター後、「40万人の兵力」「世界で唯一、70年間実戦をつづける軍隊」などの言葉が飛び交い、ミャンマー軍の不敗は揺るがないように見えたが、ここにきて綻びも見え始めた。
ミャンマーの人口の7割はビルマ民族だが、135の民族が公式に認識されており、その関係は複雑だ。多数派のビルマ民族の暮らす北部から中部に広がる管区域以外は、中央政府の統治下にあるとは言えない地域も存在していた。カチン、カヤー(カレンニー)、カレン、チン、モン、ラカイン、シャン州では、民族の自治や独立を求める複数の民族抵抗勢力が存在し、それぞれの地域で武力衝突が断続的に起きていた。中にはミャンマー軍と協力関係にある勢力もあれば、国境貿易や資源の権益、昨今では特殊詐欺の拠点などの利権を持つグループもあり、それぞれの立ち位置や関係は複雑である。
長年、軍と対立してきた側の各地の民族抵抗勢力は、クーデター以降に民主化を求め武力闘争に入った若者の受け入れ先となり、軍事訓練を施すなどしている。軍の装備の近代化が進む中、PDFなど民族抵抗勢力とミャンマー軍の間には、兵力のみならず圧倒的な軍事力の差が生じているはずだった。それにもかかわらず、現在、ミャンマー軍は軍事拠点を次々失っている。
ミャンマー軍の軍事的劣勢を強く印象付けたのは、タアン民族解放軍(TNLA)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、アラカン軍(AA)で構成される「三兄弟同盟」による2023年10月27日の作戦だ。このシャン州北部での攻勢で、ミャンマー軍は前哨基地を複数失った。