フクシマ“廃炉”は可能なのか

まさのあつこ(ジャーナリスト)
2025/02/05
廃炉作業が続く福島第一原発。2024年2月27日。Photo by ZUMA Press/アフロ

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 2011年3月の福島第一原発(1F)事故から14年目を迎える。私たちは、1979年3月の米国スリーマイル島(TMI)原発2号機事故や1986年4月のウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)原発四号機事故から、何を学び、何を学んでこなかったのか。前者から46年、後者から39年となる今、振り返る必要がある。

市民参加不在のロードマップと実施計画

 目下、政府と東京電力ホールディングス株式会社(以後、東電)は、2011年12月に策定した「東電福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」(以後、ロードマップ)で、30〜40年(すなわち2051年)までに1Fの「廃止措置」を終了するとの目標を掲げている。しかし、これはあくまで「廃炉・汚染水・処理水対策関係閣僚等会議」で時の政権と東電が決定したもので、法的根拠はない。

 法的には、事故後に改正された原子炉等規制法第64条の2にもとづいて、1Fを「適切な方法により当該施設の管理を行うことが特に必要」な「特定原子力施設」に指定し、同第64条の3にもとづき、東電が事故処理に関する「実施計画」を申請、原子力規制委員会が認可する形だ。事故処理の進展にともない、計画変更と認可が繰り返されているが、市民参加の仕組みがない。

TMIから学ぶべきだった市民参加プロセス

 ロードマップの原型は、2011年7月に原子力委員会に設置された専門部会にあると言われている。部会資料にはTMI原発の処理工程が、「安定化」、「燃料除去」、「除染」の3期に分けられて描かれていた。その後に「監視貯蔵」に移行するとされていたが、原子炉解体はこの工程の枠外で、TMIでは現在も原子炉の解体は行なわれていない。

 1Fのロードマップも3期に分けられ、第1期が「使用済燃料の取り出し開始までの期間」、第2期が「燃料デブリの取り出しが開始されるまでの期間」、第3期が「廃止措置終了までの期間」とされている。だが、本来、TMIは1Fの参考にはならない。

 TMIは国際原子力機関(IAEA)らが定めた国際原子力事象評価尺度(INES)で、レベル5。メルトダウンしたのは1基で、溶融燃料は原子炉格納容器(PCV)内に止まり、132トンだった。

 1Fは二段上のレベル7だ。3基でメルトダウンし、溶融燃料は圧力容器を突き抜け、構造物をも溶かし、圧力容器を支える土台(ペデスタル)の内外に燃料デブリとなって冷え固まった。しかし、それが横方向、下方向のどこまで広がっているのかは、誰にもわからない。重量は代表値で880トン、最大1000トンと見積もられている。燃料デブリの質・量ともにTMIとは異なるにもかかわらず、TMIのように取り出すことを前提にしたのは誤りだ。

 本来、TMIから学ぶべきだったのは、市民参加のあり方ではなかったか。

 事故翌年の1980年、米国の原子力規制委員会は、市民の懸念に応えて、市民12人からなる独立委員会「アドバイザリー・パネル(助言委員会)」を設置した。政治家とそうでない人、技術者とそうでない人、原発推進、反対、中立の立場の人、地域住民と専門家で構成され、1993年まで13年間で78回にわたって原子力規制委員会と協議した。

 環境影響評価も行なわれ、1981年に最終版が発行された後、燃料デブリ取り出し戦略文書が公表され、1982年に輸送先が合意された。その上で、1985年から4年3カ月をかけて132トンの燃料デブリが取り出され、1990年5月まで3年10カ月でアイダホ州の中間貯蔵施設に輸送された。

 汚染水については、河川への放出禁止を求める裁判を自治体が起こして禁止され、1993年までに蒸発処理された。市民参加と司法が機能する中で事故処理が進められたことがわかる。

チョルノービリから学ぶべきだったこと

 一方、1Fと同じINESレベル7と評価されたチョルノービリ原発事故からも、学ぶべきことを学んでいない。そう気づいたのは2024年10月31日の東電会見だ。1F廃炉の最高責任者である小野明氏(福島第一廃炉推進カンパニー・プレジデント)に、燃料デブリの取り出しは優先すべきことかと尋ねた時のこと。

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まさのあつこ

ジャーナリスト。博士(工学)。JBpressで「川から考える日本」を連載中。著書に『あなたの隣の放射能汚染ゴミ』(集英社新書)、『四大公害病』(中公新書)ほか。

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