柏崎刈羽原発を動かしていいのか

佐々木 寛(新潟国際情報大学教授)
2025/02/05
住宅地から望む柏崎刈羽原発。2024年8月5日。AFP/アフロ

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柏崎刈羽原発の再稼働問題

 2024年12月17日に第七次エネルギー基本計画の原案が公表され、福島第一原発事故以来決まり文句であった「可能な限り原発依存度を低減する」との文言を削除し、原発を「最大限活用する」方針を掲げることになった。

 福島事故以降に再稼働した原発は14基になるが、おそらく国(経産省)は東電の柏崎刈羽原発の再稼働こそ「原発復権」の本命として早期に実現したいと願っているであろう。何しろ柏崎刈羽原発は、総出力821.2万kwに達する世界最大の原子力発電所であり、国に大きな借金がある東電の経営改善に寄与するとして、原発活用の宣伝に好都合であるからだ。柏崎刈羽原発の地元の柏崎市と刈羽村の首長の同意はすでに得られており、あとは新潟県知事の合意を得るばかりとなっているが、この間、花角知事は諾否を明言しない姿勢を堅持しており、先行きは不明である。

 折しも、「柏崎刈羽原発再稼働の是非を県民投票で決める会」が、県議会に対し「県民投票条例制定を求める直接請求署名」運動を展開し、昨年12月末までの2カ月の期間で約13万の署名を集めたと報道されている。「自分たちのことは自分たちで決める」という地方自治の精神を堅持した姿勢は、今や新潟県民の伝統となっているのだ。

 他方、後述する技術委員会から「柏崎刈羽原子力発電所の安全対策の確認」の報告書案が昨年12月26日に公表された。後述するが、それには問題が多く、果たして「安全対策の確認」になっているのか疑問点が多い。

 いずれにしろ、柏崎刈羽原発再稼働問題の今後は県議会・知事・県民の三つ巴のせめぎあいとなるだろう。私は、2026年6月に予定されている知事選挙まで最終決定は持ち越されるのではないかと思っている。以下は、新潟県の原発問題に関する過去・現在・未来に対するレポートである。

原発への歴代県知事の懐疑

 新潟県では、1996年6月に巻町(現在の新潟市西浦区)において、東北電力が進めていた原発建設計画に対し「巻町における原子力発電所の建設に関する住民投票」を敢行し、反対票が過半数に達し原発建設を撤回させた歴史がある。また、2001年5月に柏崎刈羽原発3号機のプルサーマル実施の是非について行なわれた刈羽村の住民投票では、過半数の反対票を得てプルサーマル計画の受け入れを拒否する意向が示され、結局現在まで実施されていない。このように新潟県民に原発に関する疑義の念が強いのは、原発が立地しても地元では1kwも使わず、ほんの一部の人間が利権で潤うだけなのに、いざ事故が起これば県民全体が大きな犠牲を払わなければならないという矛盾を、県民が強く感じているからである。いわゆる受苦圏(もっぱら被害を引き受ける過疎地)と受益圏(もっぱら利益を享受する都会)の非対称を無視する政治に対する不満もあると言うべきだろう。

 2000年7月、アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)社の技術者から通産省(現在の経産省)に対し、データ改竄の内部告発があった。東電はこれを認めず、調査にも非協力的であったが、当時の原子力安全保安院の立ち入り調査が行なわれるに及んで改竄を認めざるを得なくなった。結局、意図的な不正・偽造・隠蔽など多数の原発トラブル隠しが発覚し、全原発の運転停止、社長らの引責辞任に及ぶ事件に発展した。この不祥事を受けて、当時の平山征夫知事は、2003年に新潟県として、「原発の安全確認を行う際の技術力向上のため、技術的な指導・助言を行う」ための専門家の委員会である「新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会」を設置した。この委員会は現在も継続している。

 その後、2007年7月の中越沖地震の際、柏崎刈羽原発の稼働中の原子炉が緊急停止となり、3号機横の変圧器から出火して外部の消防の手を借りて消し止めるという失態があった。さらに、原子炉の揺れは設計時に想定した基準地震動を大きく上回っていた。そこで、当時の泉田裕彦知事は技術委員会を強化するため、「地震、地質・地盤に関する小委員会」と「設備健全性、耐震安全性に関する小委員会」を新たに設置した。特に、活断層や地震動に関する議論を充実させるために、これまで手薄であった地震・地質に関する委員会を拡充したことは画期的であった(しかし、現状ではこれら小委員会は活動停止しており、柏崎刈羽原発の安全性議論の弱点となっている)。

 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震によって引金を引かれた東電福島第一原子力発電所の1~3号機のメルトダウン事故、それに続いて放射能の外部放出が引き起こされた。これに驚いた泉田知事は、「福島事故の検証なしに、柏崎刈羽原子力発電所の再稼働の議論はしない」と宣言した。また、2013年7月に東電が柏崎刈羽原発の再稼働に向けての安全審査を申請した際、泉田知事は東電の広瀬社長と会談し、「なぜ再稼働を急いだのか」と事前に説明がなかったことを強く非難し、事故の際の避難の不可能性を論じて再稼働を容認しないとの姿勢を示した。

 これらの背景には、県民の間で高まる原発に対する不信があったことを言っておかねばならない。

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池内了

(いけうち・さとる)名古屋大学名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。新潟県福島原発事故検証委員会総括委員長。1944年兵庫県生まれ。専門は天文学・宇宙物理学。著書に『科学者と戦争』(岩波新書)、『科学者はなぜ軍事研究に手を染めてはならないか』(みすず書房)など多数。

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