セミパラチンスクの乾いた風に耳を澄ます

小山美砂(ジャーナリスト)
2025/02/05
セミパラチンスク核実験場跡地。見渡す限りの草原が続く(撮影日2024年9月6日)©︎小山美砂

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 見渡す限りの草原の上を、巨大な風のかたまりが吹き続けている。からだは揺られて、乱れる髪がうっとうしい。手元の放射線測定器に目を落とすと、「0.938μSV/h」と記されていた。日本国内の平均自然放射線量(0.04μSV/h)と比較すると、23倍も高い。

 防護服を着ずに来たけれど、本当に大丈夫だったのだろうか。一着しか持ってきていないウィンドブレーカーに目を落とす。明日もあさっても、これを着て取材を続けなければならない。

 ここは、中央アジアのカザフスタン。旧ソ連が1949年8月29日に、初めて原爆実験を行なったセミパラチンスク核実験場だ。

最初の核実験の爆心地近くに咲いていた花
放射線量は規制値の89倍

今も続く放射能汚染とカザフスタン

 核実験の成功は東西冷戦を本格化させ、以降、40年余りにわたって456回もの核実験がここで繰り返された。そのエネルギー総量は広島型原爆1100発分にものぼるとされる。旧ソ連の崩壊直前、1991年8月に核実験場は閉鎖された。

 それから30年以上が過ぎた。日本の4国に相当する広大な核実験場の跡地には、爆発でできたクレーターが傷跡のように残されている。放射線量も下がっておらず、実験が「過去のもの」とは言えそうになかった。

 私が2024年9月上旬に、セミパラチンスク核実験場を訪れたのには理由がある。

 カザフスタンは核実験による被害を受けた国として、核兵器廃絶に向けて積極的に取り組んでいる。例えば、旧ソ連時代に配備された1000を超える核弾頭はすべてロシアに移送し、2006年には中央アジア非核兵器地帯条約に署名。核兵器の開発や保有、使用の威嚇まであらゆる活動を禁ずる核兵器禁止条約にも、発効前の2019年から加わった。

 そのカザフスタンが、今年3月にアメリカ・ニューヨークで開かれる核兵器禁止条約の締約国会議で議長を務める。「Hibakusha」の耐えがたい苦しみに留意するとした同条約は、核兵器の使用や実験による被害者への援助と環境修復を定めている。この規定に基づく「国際信託基金」の設立が3月の会議では争点の一つになる予定で、カザフスタンがこの議論をリードしているのだ。基金が実現すれば、世界各地の核被害者を国際的に支える初の枠組になりえる。広島を拠点に、補償を求める原爆被害者を取材してきた私にとっても、非常に重要なトピックだった。

 米軍が広島と長崎に原爆を投下した後も、ウラン採掘や核実験によって、世界中で核の被害者─ヒバクシャは生み出されつづけている。彼らを支える方法を考えていくことは、核の非人道性をあぶりだすことにもなる。核廃絶に向けた最初の一歩と考えてきた。だから、ヒバクシャ援助をめぐる議論の中心にいるカザフスタンの様子をこの目で見ておきたいと思ったのだ。ヒバクシャを救い、生まないための手がかりが得られるはずだ、という希望を持って。

実験地に近い村で

 カザフスタンの国土は、大半が砂漠と草原だ。その面積は世界9位で、日本の7倍に及ぶ。人口は約1980万人で、ロシア系やウズベク系、「コリョサラム」と呼ばれる朝鮮系も暮らす多民族国家だ。

 核実験場跡地があるセメイ市(旧セミパラチンスク市)は同国の北東、ロシア国境の近くにある。「近未来都市」さながらの発展を遂げた首都アスタナとは対照的で、中心地でも舗装が崩れたままの道路や廃墟が目立つ。しかし、いくつか大学があるためか、若者の姿が多く、センスの良いカフェやナイトクラブ、大型のショッピングモールもあって活気が感じられた。

 この市街地から、核実験場へは西に約150キロ離れている。今も昔も、この周辺には人々が暮らす村がある。草原の上を絶えず流れる風に乗って、どれだけの放射性物質が拡散されたのだろう。今も放射線量が下がらない跡地に立ち、考えたのは被ばくさせられた人たちのことだった。

 「放射線の危険度が最大限に高い地域」の一つとされる、サルジャール村に向かった。核実験場の南東部から、50キロも離れていない。

 草原に敷かれた一本道を延々と走っていくと、平屋建ての住居が集まる集落にたどり着いた。車道は整備されておらず、土と砂利が混じった地面にぽつぽつと家が建っている。列をなして歩く馬たちの、小気味のよい足音が響いていた。

 「馬の肉とミルクに、力をもらって生きてきました。これがなければとっくに死んでいたと思います」

 ヌルグル・クサインさんが自宅に招き入れながらそう話す。74歳になる彼女の家では、たくさんの馬を飼っている。息子夫婦と孫の三世代で協力しながら、「クムス」と呼ばれる馬乳酒をつくって生計を立てているのだ。ミネラルやビタミンCが豊富な遊牧民の伝統的な飲み物で、チーズとヨーグルトを混ぜたような香りがする。飲むと野性味のある酸味がとてもパワフルで、思わず目を見開いた。

 「科学者に検査してもらったところ、クムスはクリーンでした。放射能を除去してくれるって、私たちは信じているんです」。笑顔の中に、自然とともに生きてきた誇りが見て取れた。

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小山美砂

(こやま・みさ)1994年生まれ。毎日新聞記者を経て、2023年からフリー。広島原爆投下後に降った「黒い雨」の被害を記録した『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)で第66回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞。広島市在住。2024年9月、中国新聞との共同取材でカザフスタンを訪問。取材には広島市の市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」の協力を得た。文中写真は、記載がない限り筆者撮影。

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