【座談会】社会運動をどう再構築するか(後編)

内田聖子×金澤 伶×川崎 哲×能條桃子×深草亜悠美×松久保 肇
2026/02/05

【関連】社会運動をどう再構築するか(前編)

社会運動と政策決定の回路

熊谷(司会・本誌編集長) 日本の社会運動は、さまざまな社会的な課題を可視化し、問題点を深め、世論を広げ、政治の場に届けて、問題の打開をしていくことに取り組んできました。しかし、現在、政治への回路が細ってしまっているように思います。皆さんの認識はいかがでしょうか。

松久保 私は経済産業省の審議会の委員を務めていますので、その体験からお話ししたいと思います。私が入っている審議会は、基本的に原発推進の「結論ありき」で進んでいる場です。二十数名の委員の多くは関連業界団体の関係者や、原子力に非常に融和的な研究者などで占められており、批判的な立場の委員はごく少数です。そのような中で政策が決められていく。まずは「この審議会のあり方をどう変えていくか」、それが大きなポイントだと感じます。

 昨年(二〇二五年)二月には、日本の中長期的なエネルギー政策である「エネルギー基本計画」という政策文書の、パブリック・コメント(パブコメ)が行なわれました。その際、ネット上でこの計画に批判的な意見を大量に送る運動があったようで、同じ人が何百通も送ったとみられる事例が問題視されました。そうした“水増し投稿”のせいで、パブコメ制度全体の信頼性とインパクトが大きく損なわれてしまいました。さらに省庁内部の検討資料などから、パブコメをなるべくやりたくない、市民の声より業界の利害を重視しようとする印象を強く受けます。

 そうした中で、市民が連帯して運動をつくっていくこと、特に審議会など政策決定プロセスに、市民の意見をどう組み込んでいくかに焦点を当てて、アプローチしていく必要があるのではないでしょうか。

金澤 私もまったく同じ問題意識を持っています。省庁側のパブコメの公募期間が短いと感じることも少なくなく、本来熟議すべき問題について、形式的な手続きにとどめようとしていることは多いと感じます。

 その一方でパブコメが悪用され、結果として形骸化が加速していると思います。フォロワーの多いインフルエンサーや有名政治家が特定の政策を批判したりデマで煽動したりして、その支持者たちが同じような文面でパブコメを送りつけてしまうという事態につながります。メディアへの万単位の迷惑電話や、自治体への大量の抗議電話なども同じ構図です。デマに煽られた電話攻勢が行政を麻痺させる。ここでも市民社会と市民活動の声が阻害されていると感じます。

松久保 この状態を深刻に受け止め、いくつかのNGOと共同で記者会見をしました。しかし、メディアは「同じ意見が何通も出された」という点ばかりに焦点を当て、市民参加をどう確保するかという本質的な議論には十分踏み込まなかったという印象があります。

能條 そうですね。「同じ意見が大量に出された」という点だけが問題にされて、市民参画そのものの議論が置き去りにされているという感覚は私も強く持ちました。

 ジェンダー平等の分野でも、たとえば緊急避妊薬を薬局で購入できるようにするために、「みんなでパブリックコメントを書こう」と呼びかけて、実際に制度が変わった例もあります。審議会のなかに当事者が直接入れない状況において、パブコメは重要な回路でした。ただ、最近は、ご指摘のような現象が起き、その有効性が失われています。

 個別の政策課題、この場合はジェンダー平等の動きへのバックラッシュと捉えて対処することも大事ですが、同時に、より広く、市民の声を聞く仕組みをどう守り、どうアップデートしていくのかも考えないといけません。市民参加のツールをどう設計するかが重要だと感じています。

 もう一つ。こども家庭庁ができる際、私はこども家庭庁の審議会の委員に内定していました。準備室の段階から関わっていましたが、被選挙権年齢引き下げをめぐる裁判で原告になった途端、内定が取り消されました。

 国にたてつくような人間は政策議論の場に入れないという本音が透けて見えた気がします。問題を感じながらも、日々の忙しさの中で「もういいや、こっちから断る」と自分を納得させてしまったところもありました。しかしそうやって諦めてしまうことで、「政府や省庁に排除されない範囲で発言しよう」という空気を、若い世代のなかにもつくってしまう危険があります。

 もし、審議会の問題について話し合うNGOプラットフォームのような場があり、そこで共有できていれば、もう少し違う展開があったかもしれません。そうした横断的な場がないこと自体も、大きな課題だと感じています。

内田 今のお話は本当に身につまされます。私たちも長年、議員や官僚に政策提言をしてきましたが、特に経済課題についてはシャットアウトされる経験ばかりです。これは何なのかと考えると、一つは「少数の政治家や利害関係者による政策推進」であり、言い換えれば「政治の場に同じ人たちが居座りつづけている」という構造の問題だと思います。新しいプレイヤーが入っていけない仕組みになっている。

 そこは、能條さんたちの運動の重要性にも直結します。若い人、女性、介護や育児で忙しい人、障害を持つ人など、これまで期待されていなかった人たちが、国会でも地方議会でも議員として存在すること。それが新しい回路を開く大きなきっかけになるはずです。日本ほど、NGOや市民社会で活動してきた人が議員になるのが難しい国も珍しいと思います。ヨーロッパやアメリカでは、昨日までNGOのスタッフや代表だった人が国会議員になり、任期を終えればまた市民社会に戻る、という循環が普通にあります。

 もう一つは、長期にわたって政権交代が起きていないことの問題です。地方議会は、国会に比べればまだ変化がありますが、国会はいまだに「おじいさんばかり」という状況です。世襲議員も多い。官僚は、憲法に従い、全体に奉仕するという職業倫理を持ちつつ、時の政権に忠誠を尽くします。しかし、政権が変われば、また新しい論理に合わせて動きます。しかし、政権交代が起きない時期が長く続くことで、適切な政治との距離感が失われ、市民の声を聞かない、ジェンダー平等などのイシューに冷たい政策しか出てこない状況が固定化されてきた気がします。民主党政権の時期には、結果がどうだったかは別として、少なくとも風通しがよくなり、市民社会の声を聞く場が増えたという実感がありました。「政権交代とはこういうことか」と、一瞬ですが希望が見えました。

 自民党が中心となった現在の政権が続くかぎり、構造的には限界があります。ですので、政権が変わるプロセスと並行して、官僚や政策決定のあり方も変えていく必要がある、と感じています。

松久保 韓国でも、市民社会から審議会の委員になる人たちがいて、その委員たちは市民社会の側と日常的に連携しているそうです。審議会ごとに、「今回はこういう発言をしよう」「それに合わせて、外側ではこういうキャンペーンをしよう」といった相談をしながら動いていると聞きました。一方で、日本では、そういう横の連携の例はあまり聞きません。少なくとも私は、一人で審議会に出席し、自分で考えて発言しています。横の連携があれば、審議会の場をより効果的に活かせるのではないかと感じます。

 もちろん、資料の扱いなど細かい制約が多いこともあって、簡単ではないと思いますが、それでも、市民社会全体の動きをうまく取り込みながら審議会に臨めれば、政策決定の回路として、もう少し強く機能させられるのではないかと思います。

市民社会は「周縁」に戻ったのか

『地平』編集部

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