特集「困窮ニッポン――物価高騰と排外主義」(2026年1月号)
日本の家は寒い。夕方帰宅して、氷のように冷たい玄関の床をつま先立ちでやり過ごし、部屋に入る。控えめな温度に設定した暖房をつけ、コートを着たまま待つ。やっと少し暖かくなり一休みした後、入浴の準備をする。脱衣所が寒くて億劫だが、何とか済ます。体を冷やさないように重ね着をする。夕食の後、特に足先を暖めるため、すぐに布団に入る。少しグダグダした後、節約のために暖房を消して寝る。翌朝、極寒の部屋で布団から出るのが苦痛だ。窓に結露ができているが拭き取る余裕もない。早く暖かい季節になってほしいが仕方がない。我慢して耐えるしかない……。
多くの人が、(部分的にでも)このような経験をしたことがあるのではないだろうか。十分に暖かい生活環境を常に保てるほどにエネルギーを利用できる世帯は多くはない。あるいは、十分なエネルギー利用のための費用を家計から工面する代わりに、その他のこと(たとえば食事や社交など)を我慢せざるを得ない人も少なくないだろう。当然、他のことを我慢したうえでなお不十分にしかエネルギー利用をできていない世帯も多くある。
このような生活環境・経験は、「仕方がない」ものではなく、改善を要する状態である。なぜなら、このような状態の蓄積や極端化は、各人の健康や社会生活に多面的な悪影響を及ぼすからである。
暖房利用の制限は、低体温症などの健康リスクを高める。入浴に際しての極端な寒暖差はヒートショックの誘因になる。また、結露の放置によるカビ等の発生は、アレルギーや呼吸器疾患のリスクを高める。このような身体的健康リスクのほかにも、精神的健康や学習・就労パフォーマンス、社会関係構築への悪影響が存在する(1)。
1 詳細は、伊川萌黄・古賀勇人(2025)「エネルギー貧困と健康――エネルギー脆弱性の視座から」『貧困研究』35号(近刊)。
本稿では、このような多面的悪影響をもたらす、エネルギー利用に関する困窮状態を、「エネルギー貧困」として問題化する。











