居場所が消された街――渋谷
中高時代、家が安心して過ごせる場所ではなく、街をさまよっていた私に声をかけてくるのはいつも、性搾取を目的とした男たちばかりだった。渋谷のハチ公やTSUTAYA前で、新宿東口で、私が制服を着ていても、昼間でも「いくら?」「お金欲しいんでしょ?」「食事だけでも行かない?」と声をかけてくるのは、私たちの若さや性を買おうとする男たちだった。それから20年、私は東京の繁華街を拠点に少女たちとつながりつづけているが、今もその現状は変わっていない。
私が10代の頃、もっとも多くの時間を過ごした渋谷の街は、2010年代に入って様変わりした。2000年代の半ばまでは、渋谷の街にはさまざまな状況の若者が集まり、「たむろ」することができた。路上に座り込み、輪になって語り合う若者たちの姿がいつもあり、夜になって虐待などで家に帰れない事情があっても、カラオケやファストフード店、居酒屋、お金がないときは路地裏やビルの階段や屋上で、朝まで仲間たちと過ごすことができた。
頼れる大人が存在しない子どもを狙った大人や組織が、犯罪に利用しようと近づいたり、薬物をもちかけたりすることや、性売買業者に少女を売り飛ばしたり、レイプをしたりということも日常茶飯事であったが、助けてくれる大人などどこにもいなかったので、自分たちで知恵をつけるしかなかった。
それでも、「たむろ」できる場所であることで、似た事情のある子どもたちがつながり、悪い大人から自分たちを守り合い、「あの先輩の紹介する仕事はやばいから行かないほうがいい」「レイプされてアフターピルが必要ならこの病院が未成年にも処方してくれる」「あのビルの屋上には最近警察が来て、補導されるかもしれないから、今日は寝に行かないほうがいい」などと、生き延びるための情報や悪知恵を共有しあっていた。しかし、渋谷の街には今、そうした若者たちの姿はない。それはなぜか。
街に「家出少女」が集まり、さまざまな事件の被害に遭っていることが報道されると、大人たちは、問題の背景にある孤立や困窮、虐待や親の障害や病気、教育や福祉からこぼれ落ちる子どもたちの存在、彼らを狙う犯罪組織の存在などに目を向けるのではなく、それまでその状況を放置してきたことへの責任を自覚することもなく、街に集まる子どもたちのせいにした。
街には行政と連携する民間団体や商店街組合が結成したパトロール隊が出動し、大柄の男性を中心とするパトロール隊が、路地にたむろする若者たちに「ここに座るな」「家に帰りなさい」と強い口調で声をかけ、文字通りに排除して、街にいられないようにした。その様子は、「町の安全を守る存在」として連日報道された。「帰るところなんてないのに、どこに行けばよいのか」という子どもたちの声を聴こうとしない世間が注ぐ冷ややかな目線は、子どもたちから「うるせえ!」と大人に抵抗する気力も失わせた。
飲食店やカラオケ、ネットカフェなどの年齢確認も厳しくなり、街にいると警察に補導され、虐待のある家に連れ戻されたり、補導歴がかさむと少年院に「虞犯少年」(将来犯罪を犯すおそれがある子ども)として送られたりする可能性もあることから、家に帰ることができない少女たちは、人目につかないところで過ごすため、寝床を確保しなければならなくなった。そのために買春者に体を売ってホテルを確保したり、泊めてくれる人の家に行って性暴力を受けても仕方のないこととして受け止めるしかなくなっていった。
大人たちの「美化」に隠された差別と排除
街から子どもたちが姿を消したことは街の「美化」や成果として語られるが、「たむろ」することができなくなったことにより、子どもたちは追い込まれ、似た境遇の他者と出会い、一緒にサバイブすることも難しくなった。一方で、彼女たちを狙う買春者や性売買業者らにとっては、同時期にスマートフォンやSNSが普及したこともあり、人目につかずに少女たちに近づくことが容易となり、少女に対する性暴力や性搾取は深刻化した。
2011年、渋谷・センター街は「バスケットストリート」に改名された。その理由として商店街組合は、2000年代から防犯活動や清掃活動を通して街の美化向上に努めてきたが、センター街が「家出少女」や「ガングロ」「センターGUY」など不良っぽい若者が集まる場所として有名になったことや、「変造テレカ」や「合法ドラッグ」などを密売する外国人が多く、怪しい、怖くて危ないといった悪いイメージが払拭されていないことをあげていた。実際には、薬の売人の多くは日本人だったし、黒人を雇って薬物や女性を売らせていた元締めも、それを買う人もほとんどが日本人だったのに、あたかも外国人や若者によって危険が生み出されたかのようにすり替える、差別と排除を何重にも重ねた言い分だった。
2011年は、渋谷区が「宮下公園」を「MIYASHITA PARK」(のちに高級ブランド店の並ぶ商業施設が併設となる)に改名した年だ。路上生活者を排除して批判を浴びたのと同時期に、渋谷の街では若者や少女たちの排除も行なわれていた。しかし、当時は家に帰れず街をさまよう子どもたちの存在や、支援の必要性、少女たちを狙う犯罪組織や性売買業者の存在に今以上に社会が関心を持っておらず、子どもの自己責任とされていた。そのため、宮下公園における市民の抵抗や闘争のような運動は起きなかった。
日雇い労働者や困窮者がネットカフェで暮らしていることが社会問題化され、「ネットカフェ難民」が流行語大賞に選ばれた2007年、高校を中退して働きながら渋谷の街で過ごしていた私や友人たちは、「うちらも同じ」とその状況を自虐的な笑い話にした。それ以降も、男性の問題になると注目されるけれど、女性が困難を負わされている段階では社会課題として認識されないことを様々な場面で突き付けられてきた。女性に対する暴力、とりわけ性搾取の問題になると、社会はさまざまな理由をつけて目をそらしたがる。「加害者にも事情がある」とか、「彼にもこの先の人生がある」などと言い、被害を訴え、男社会に抵抗しようとする女性たちの口を封じようとすることを悪気なくしてしまう人も多い。それは、この社会に根付く女性差別が深刻であるからだろう。
「トー横キッズ」と歌舞伎町
大人たちに排除され、孤立させられてきた子どもたちがSNSを通してつながり、2018年頃から、新宿・歌舞伎町に集まるようになった。そんな彼女たちに声をかけるのは、子どもたちの孤独感や未熟さを狙った悪い大人たちであり、同じことが繰り返されている。大人たちは彼女たちを「トー横キッズ」と呼び、排除や取り締まりの対象としている。歌舞伎町では、「町の安全を守る」と自称する男性を中心とした自警団や民間団体が次々と立ち上がり、男たちの縄張り争いと権力闘争が日々繰り広げられている。行政は子どもたちを支援するのではなく、そうした「男らしさ」と手をつなぎ、家出した子どもたちや、「売春」のため街に立つ女性を排除する「パトロール」を強化するなど、多額の税金を使って「やっている感」の演出に力を入れている。
行政や権力者たちが、搾取や暴力を生み出す社会の構造に切り込むことはせず、問題に蓋をするのはいつものやり方だ。その根底には男社会がある。少女や女性たちがどのような状況に追いやられ、搾取や暴力を引き受けさせられているのか。Colaboの活動を始めて15年目となった今、それを語る私たちに対する反発はものすごく強まっている。それは、そうした子どもや女性たちの存在に気づき、声を聴こうとし、大人の責任を自覚して、社会を変えるために目を覚まそうとしている市民が増えているからこそであり、それへの反発なのだろう。
この連載では、今、新宿・歌舞伎町で何が起きているのかを伝え、搾取や暴力の構造と、根底にある男社会の現実を見つめ、みなさんと一緒に、私たちがどのように変化していくべきなのかを考えたい。(つづく)