※これまでの記事
【第1回】差別と排除のなかで置き去りにされる少女たち
【第2回】「少女を守る」と胸を張るおじさんたちが守りたいもの
【第3回】「家族の助け合い」という言葉が隠すもの
【第4回】メディアはどっちを見てる?
【第5回】怒鳴る相手が違う
【第6回】世界各地の実践と議論に学ぶ
【第7回】罰せられるべきば買う者たち
【第8回】買春男の評価なんていらない
【第9回】生き抜くためのシスターフッド
【第10回】買春処罰だけでは足りない
【第11回】性風俗という暴力
性を買うことを当たり前に扱う社会
日本では、性売買が女性に対する人権侵害であるという認識を多くの市民が持たないまま、性を買うことが当たり前の日常となっている。Colaboが拠点を置く新宿歌舞伎町は、大勢の男たちが年齢を問わず、友達や同僚や先輩と女性を買いに来ることで成り立っている。多くの男性たちの間では、女性を買うことは一つの楽しみであり、恥じることでもない。
安保法制に反対する運動が盛り上がった10年前、運動に協力する「人権派」弁護士が、男子学生を「彼女に内緒な」と言いつつ、風俗店に連れて行った。男たちが「友情」を深めるための行為として、一緒に女性を買うことで「秘密」を共有し、そこでどんな女性とどんなことをしたのか、買春経験を共有することも日常茶飯事だ。
一方で、体を売る女性には「非行」のまなざしを向け、「どうしてそんなことをするのか」と男性活動家が少女を責める様子を目の当たりにしたこともある。「人権派」やリベラルの中でこそ女性差別の問題は深刻で、特に、性売買は、構造的な搾取や人権侵害の問題として捉えられてこなかった。
そんな日本社会では、女性を買うことを「立派な男になるための第一歩」と捉える少年も少なくない。17歳の男子高生が「経験」として、大久保公園で少女を買うという事例もあった。18歳の男性の誕生日祝いに、男友達が風俗をおごることも、めずらしいことではない。性を買うことを人権侵害と捉えず、「大人の男の証」であるかのように扱う社会では、当然のことだろう。
諦めの先――性売買以外の選択肢がない
コロナ禍以降、少女たちのなかでも、以前に増して性を売ることは当たり前となり、12歳、13歳の少女も増えている。コロナ前は、体を売る生活に「もうこんな生活したくない」「なんで私だけこんな思いをしなければならないの」と涙を流す少女が多かった。しかし、性売買があまりにも当たり前になったここ数年は「うち、今の生活に困ってないよ。これしかできることないし。平気だよ」「周りもみんなやってるし」と語る少女が増えている。


