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クレオールの土地のアーティスト
台湾に「一府二鹿三艋舺(イーフー・アールー・サンモンジャ)」という中国語表現がある。近代の「台湾」の発祥の歴史を三つの港町の名で順に示したものといえばいいだろうか。一府の「府(フー)」は、17世紀初頭、台湾島が外部に開かれることになった最初の港町、府城とも呼ばれた南部の古都・台南のこと。二鹿の「鹿(ルー)」は台湾中西部、現在の彰化県の海沿いにあって中国大陸からもっとも近いために早くから開けた古い港・鹿港(ルーガン)。そして三艋舺の「艋舺(モンジャ)」とは台北市のいまの「萬華區」一帯を指し、海へと流れ込む淡水河下流域の東側にひろがる、もともとは原住民が漢民族と舟で交易をする拠点として拓かれた河岸の土地だった。
艋舺(台湾語ではバンカ)という名は、元来、河川流域に住んでいた原住民ケタガラン族の言葉で「舟」を意味した。艋舺は日本の統治時代にその音から「萬華」と書かれ、いまもその文字が使われて台湾語では「バンカ」、中国語読みでは「ワンファ」と呼ばれている。そうした文化と言語の交雑の長い歴史を留めるかのように、現在の萬華區一帯は河岸の風がやわらかに渡り、多くの廟(寺)が点在し、古い町並みも散見され、市場の佇まいなども混沌とした野性味を残すものが多い。艋舺=萬華という一つの土地の名のなかに複雑に反響する、原住民と台湾人と漢人(外省人)と日本人の声……。台湾は、こうした響きあい混ざりあう声の記憶に彩られた、クレオール(文化混淆)の土地なのだとあらためて教えられる。
「一府二鹿三艋舺」という表現とその意味を私に教えてくれたのが、萬華區の一角でユニークな陶芸アトリエを主宰する徐恩廣(アンドリュー・シュー)である。彼のアトリエ「抱瓶庵」をある日突然訪ね、話をするうちにたちまち意気投合した、といえばいいだろうか。時代や場所を隔てておなじような精神形成を経、深いところで直観的に分かりあえる人が世界中のさまざまな場所に潜んでいる、と発見することは楽しい。アンドリューは、陶芸だけでなく書や古美術にたいしても深い造詣をもつ、かつてのパンク的抵抗精神を秘めた自由なアーティストである。しかも大学で社会学や文化研究を博士課程まで学び、学問がもつ分析的・批評的な視点にも通じている。にもかかわらず学問の道には進まず、アートの領域で彼自身の生き方を見出そうとしたのは、ひとことで言えば自由な人々が集う文化的な場=コミューンを、「手」という身体表現を媒介にして創りたいという情熱のゆえである。
彼のアトリエを訪ね、自分の好きなように作陶に励む人々の出身はさまざまだ。台湾各地はもちろん、上海、東京、京都、タイ、インドネシア、アメリカ、イギリス、オランダ、フランス……。アンドリューは自らの作法によって画一的に「指導」するのではなく、あくまで見守り、個々人の指向性に応じてそのつど適切な助言を与え、ときに少しだけ彼の手を添えて粘土の扱いをめぐる基本的な技芸を身体的に伝授する。歪んでいた粘土の塊が、彼の手が少し入るだけで一気に見違えるほどの優美さを獲得する。そのわずかな違いを体感するだけで、人々は彼の真の手技と、その背後にある自由闊達な精神に惹き込まれる。