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吉野なおさん(38歳)は10代から20代半ばまで過度なダイエット依存症だった。中3のピーク時には、身長160センチで体重80キロ。「食べないダイエットをして勝ち得た、やせた身体こそがアイデンティティ」だと自分にインプットしていたという。
日本人には、やせすぎは命を危険に晒すということへの知識が乏しい。多くの女性たちが幼いころから「やせたい」と望み、理想の体型を目指している。ダイエット情報は社会にあふれ、健康とともに語られることも多い。しかし、スレンダーな身体を保つ=食欲をコントロールできる、意思の強い女性の証明だと信じ込んでいるきらいがある。
吉野さんが抱えた摂食障害とは、食行動を中心にいろいろな問題があらわれる病気だ。一般に、神経性やせ症(拒食症)、神経性過食症などのことを指す。神経性やせ症は、極度のやせを伴うが、いずれも共通しているのは、少しでも体重が増えるのが怖いというやせ願望があるので食行動に異常をきたすことが特徴だ。食事を制限したり、むちゃ食いして嘔吐したり、大量の下剤を使用して体重をコントロールしようとする。いずれも心と身体の両方に影響を及ぼし、心身両面の治療が必要とされている。
「日本の摂食障害の患者数は約22万人と推定されています。思春期、青年期、早期成人期など若い時期に発症することが多い病気です。患者の背景には低い自己評価、対人スキルの未熟さ、やせを礼賛する文化的背景などがあり、これらが病気の土台になることが多い。ダイエットによるやせへの賞賛が一過性の成功体験として発症のきっかけとなることがあり、やせへのこだわりが強まり、体型や体重を維持したいというこだわりで病気は悪循環に陥ります。神経性やせ症では、栄養失調による貧血や脳委縮などの症状を引き起こし、自殺のリスクも高いので、他の精神疾患よりも死亡率は高くなります。5、6年で50%の人が回復します」(摂食障害全国支援センター)
原因は現在のところきちんと解明できてはいないが、食べないでいると脳に栄養がいかなくなり、その飢餓状態が神経性やせ症の発症の一因になるというアメリカのデータもある。脳も含めた生物学的要因、心理的要因、社会的要因が絡みあっていると考えられる。
「あなたのサイズの型紙がない」
「つい最近まで、生まれたときから太っていたのだと思っていたのですが、太ったのは、小学生のころから。周囲から“デブ、ブタ”とからかわれて。決定的だったのは、小四のときに担任から、『今のうちにやせないと将来困ることになる』と言われたこと。ショックを受けました」
4人きょうだいの末っ子。両親は自営業で忙しく、吉野さんを溺愛していた祖母が日中は面倒を見ており、そこで食べていたおやつも原因の一つになったようだ。食べ物に関しては無頓着で、栄養バランスやカロリーを考えたりしない家庭だった。
周囲から吉野さんが「太っている」とからかわれていたことを知った父と兄はランニングに誘ったが、仮病で体育の授業まで休もうとするくらい身体を動かすことが苦手な吉野さんは、運動が続かなかった。小学生がカロリーコントロールをできるはずもなく、「給食のご飯のおかわりをしない」というのが、自分なりのダイエット方法だった。
そうして中学生には160センチ、75キログラムになっていた。1990年代後半はギャルファッション全盛の時代で、かわいいと思う人気ブランドはS、Mサイズしかなく、フラストレーションが溜まった。
「おしゃれをしたいけれど、選択肢がない。太っている自分は社会に存在してはいけないんだ、と思うようになっていきました」
家庭科の授業で、キュロットパンツを製作することになった。教師から呼び出され、「あなたのサイズの型紙がないので、作ったものを着られないけれどいい? 作ることに意味があるから」と小声で言われた。「自分は規格外だ」と強く感じ、中学を卒業するころには80キロになった。
高校生になり、よりダイエットを意識するようになった。テレビでは毎週ダイエット番組が放送され、さまざまなダイエット法が紹介される。それに一つひとつ倣うように、グレープフルーツダイエットや黒酢ダイエットを実践。愛読書はダイエット雑誌だった。
ナンパされた友だちのあとをついていくと、いやが応でも差を感じさせられた。自分のことが眼中にないかのように、ふたりは楽しそうに話をしている。ますますコンプレックスが強くなりダイエットを加速させるが、努力しても体重は思うようには減らなかった。
ダイエットとは、一発逆転、なんでも手に入る魔法だと思っていた。