「西半球はわれらのもの」——モンローからドンローへの歴史的継続性

太田昌国(民族問題研究、編集者)
2026/05/06
Mechanic in overalls standing by a vintage car with its hood open on a narrow, rundown street lined with balconies and weathered buildings.
トランプ政権の圧力により原油輸入が途絶え、キューバでは停電が頻発する。ハバナの路上で自動車を修理する整備士。2026年1月30日。Norlys Perez/REUTERS/共同

アメリカの「西半球勢力圏」構想

 2026年年明け早々に行なわれた米軍のベネズエラに対する軍事作戦を契機に、米国政府の「西半球」支配戦略なるものに注目が寄せられるようになった。歴代米国大統領の演説・発言には、自国の「勢力圏」として「西半球」に言及する文脈がよく見られる。最も著名な大統領のひとりであるジョン・F・ケネディの言葉を引いてみよう。

 国境の南にある姉妹共和国に対しては、特別の誓いを立てます。私たちの善い言葉を善い行ないに移しましょう。自由な人々と自由な政府が貧困の鎖から解き放たれるよう援助する「進歩のための新しい同盟」を提案します。しかし、この平和的な希望の革命が敵対勢力の餌食になってはなりません。近隣諸国の皆さんに知ってほしいのは、南北アメリカ大陸においていかなる国に対する侵略や政府転覆の試みがあろうとも、私たちは近隣諸国と協力してそれを阻止するということです。他のすべての国にも申し上げておきましょう。西半球のことは西半球が自家の主人であります。

(1961年1月20日、第35代大統領就任演説)

 注意すべき点は三つある。①ここでいう「敵対勢力」が、つい2年前の1959年、米国に支援された独裁政権を打倒する革命が成就したばかりのキューバおよびそれを支援するかもしれない勢力を指していること。②「西半球のことは西半球が自家の主人である」というが、ケネディが「南北アメリカ大陸」とも呼んでいる「西半球」を「自家」とする価値観を共有している主体が不明である。つまり、そこには三十有余もの国家社会があるにもかかわらず、「西半球」総体が単一の「自家」であるとする捉え方が成立し得る根拠が示されていないこと。③この演説から3カ月後の同年4月、米国CIA(中央情報局)が支援する武装勢力は首都ハバナなどの空港を爆撃し、さらに2日後には1500人の亡命キューバ人から成る部隊がヒロン浜に侵攻した。これには米軍機も参加した。この計画は前任のアイゼンハワー大統領の時代に着手されたものではあったが、誕生3カ月後のケネディ政権はこの侵攻作戦計画を引き継ぎ、実行に移したこと。

 以上の3点である。ケネディの一見「善い言葉」が、実際の「善い行ない」に「移って」いないことは明白だろう。「自家」とは、西半球全体を自らの「勢力圏」と見做す米国を指すものでしかなかったことが、はしなくも露呈している。空港爆撃が行なわれた翌日の4月16日、キューバ首相、フィデル・カストロは「キューバ革命が社会主義的な性格を持つ」ことを初めて宣言して、米国の敵対的な姿勢に真っ向から抵抗することを明言した。

 この重要な史実を思い起こしたうえで、米国指導者が持つ「西半球は自らの勢力圏」とする独善的な概念の成立過程を再考してみよう。今年で「独立250周年」(1776年→2026年)を迎えている米国建国後の歴史の中に、そのような「西半球勢力圏」構想が際立っている二つの時期を選んで、以下に、その特徴をまとめてみる。それぞれが米国の対外膨張史の画期をなす時期であることが明らかになるだろう。

 帝国アメリカの「西半球」言説

 米国の第5代大統領、ジェイムズ・モンローが年次教書の中で「モンロー教義」を発したのは、独立から47年を経た1823年のことだった。それは、コロンブスの大航海と地理上の「発見」(1492年)以降になされた、スペインによる新大陸の征服と植民地化からおよそ3世紀が経った時期にあたる。スペインは1808年、ナポレオン軍の侵攻を受けた。当然にもスペインの支配体制は弱体化し、この間隙を縫うようにしてラテンアメリカでは独立運動が激しくなった。米国にとって、アメリカ諸国がスペインの植民地から独立することは歓迎すべきことだが、新たに形成される欧州体制が再びこの大陸で植民地獲得に乗り出すことは阻止しなければならない。

 そこで、モンローは「欧州同盟諸列強の政治制度はアメリカのそれとは本質的に異なっている」から、「わが国は、諸列強による、その政治制度をこの西半球のいかなる部分に対してであれ拡張しようとする試みは、これをすべてわが国の平和と安全にとって危険であるとみなす」というモンロー教義を唱えたのである。先に見たケネディの言説の独善ぶりは、百数十年前のモンロー教義にすでに見られる。「神によって与えられたこの大陸に我々(米国)が拡大するという明白なる天命(manifest destiny)」などという傍迷惑で人種差別的な天命論はすでにしてこの社会の人心を鷲掴みにしていたのだと言える。

 この先の経緯はどうなったか。1821年にスペインから独立したばかりのメキシコから、米国はテキサスの独立を図り、1845年にはこれを併合した。さらに翌年、カリフォルニア獲得をも目指す米国の軍事的な挑発でアメリカ―メキシコ戦争が勃発した。1848年、勝利した米国は、意図どおりに、ニューメキシコ(当時は、現在の米国南西部のほとんどを含んでいた)とカリフォルニアを僅かな買い取り金で奪い取った。こうして太平洋への出口を獲得した米国は、その5年後の1853年にはインド洋に展開していたペリー艦隊を鎖国中の日本に差し向けて、開国を迫る砲艦外交を行なった。このことも、急速に世界性を帯びてゆく帝国の歴史を連続性において捉えるという観点で押さえておきたい。

 モンロー教義の具体化

 次に注目すべき米国の対外膨張期は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、である。米国大統領で言えば、第25代のウィリアム・マッキンリー(1897~1901年在任)および第26代のセオドア・ローズヴェルト(1901~09年在任)の時代にあたる。

 他のラテンアメリカ諸国と異なり、独立が遅れたキューバでも、19世紀後半には独立運動が開始された。1898年、キューバは、遠く離れたアジアのフィリピンともども、スペインからの独立が叶う寸前にまで来ていた。だが、「アメリカ独立宣言」の起草者であったトマス・ジェファーソンが、1801年に第3代大統領になって以降たびたび言及していたように、米国の歴代支配層は独立直後からフロリダ半島の目の先にある「キューバ占領・併合」の意図を隠すことはなかった。キューバとフィリピンがスペインから独立すれば、米国はこれと対等な国家として対応しなければならなくなり、米国がカリブ海およびアジアへの進出を図るうえでの障害物になり得る。

 米国は艦隊をキューバに派遣し、さらに軍事的陰謀を自作自演し、スペインに宣戦布告した。キューバおよびフィリピンの独立戦争は、米西(アメリカ・スペイン)戦争へとその性格を変えた。数カ月後、スペイン軍は敗北した。講和条約の交渉と締結は、キューバとフィリピンの独立闘争の担い手を無視し、米国とスペインによって調印された。スペインが宗主権を放棄したフィリピン、グアム、プエルトリコは米国に「譲渡」された。形式的には独立を認められたキューバは米国の軍事占領下に置かれた。フィリピンへの遠征軍派遣の中継地を求めていた米国はハワイに目をつけ、真珠湾をその目的に使用するために、1898年、ハワイを併合した。

 1901年、キューバ制憲議会は新憲法を可決したが、米国議会はすぐさま、キューバ憲法に「付加されるべき」条項を採択した。いくつもの内政干渉的な項目の中でも極めつきは、「米国がキューバの独立を維持し、その人民を保護できるようにするために、また米国自身の防衛のために、キューバ政府は、米国大統領との間に合意をみた特定の地点において、貯炭地または海軍基地の設置に必要な土地を米国に売却あるいは貸与する」と規定した第7条である。キューバ議会は抵抗し、「貯炭地ノー!」と叫ぶデモが各地で繰り広げられた。米陸軍長官は「(キューバ議会での)論議を招いている諸条項を強制する米国の権利は、すでに75年このかたアメリカと全ヨーロッパに対して宣言されたものであって、ワシントン政府は、この条項を放棄することで自国の安全を危うくするつもりはない」と述べた。「75年このかた」とは、1823年のモンロー教義のことを指すのだろう。米国議会の議員からは、受け入れなければ全島を占領するぞ、との脅しが公然となされた。

 1902年、米国の軍事占領は終わった。だが、翌03年、キューバ東部にあるグアンタナモ湾の117平方キロの土地は「米国が必要とする限り」海軍基地として使用できることとなった。この基地「使用権」は両国の合意で変更され得るが、裏を返せば、米国が返還に反対する限りは無期限に使用されるということでしかない。今回のマドゥロ大統領拉致作戦においても、米軍はニューヨークへ強制連行する中継地としてグアンタナモ基地を使った。キューバ・ベネズエラ間の友好関係を貶めるために、キューバの傷口に塩を塗り込むようなやり口を敢えて選んだのだろう。

 これらの対キューバ政策を実行した時代の米大統領、セオドア・ローズヴェルトは、1904年の「年次教書」で、こう語っている。

 合州国が西半球諸国に対して、それらの諸国の福祉に資するための行為を別として、何らかの領土的野心や何らかの計画を抱いているというのは、事実ではありません。合州国が望むのは、近隣諸国が安定し、秩序が保たれ、繁栄することのみです。[中略]しかし、慢性的な悪質な行為がはびこり、無力状態が現出し、その結果として文明社会の紐帯が広範囲に緩んでしまった場合には、世界の他の地域同様、南北アメリカ大陸でも文明国による干渉が最終的には必要になります。西半球においては、そのような悪質行為や無力状態が明白な場合、モンロー教義を堅持する合州国としては、不承不承ではありますが、国際警察力の行使を余儀なくされるでしょう。カリブ海に面するすべての国が、キューバがプラット修正の力を借りて合州国の軍隊が去ったあとに示したように、あるいは、南北アメリカの共和国が常に輝かしい実例で示しているように、文明が安定し正しい方向に進むのならば、それらの諸国に対する我が国による干渉はなくなるでしょう。

 こう述べた前年の1903年、ローズヴェルトは、大西洋と太平洋を結ぶに好都合なパナマ地峡を支配下に置くために、コロンビアの政情不安を利用して、当時はコロンビアの一地域であったパナマの分離独立を画策して、これを実現した。ここでも、米国務長官は、パナマ全権大使を僭称する一フランス人と図って、独立したパナマの頭越しにパナマ運河条約に調印し、将来的に運河が建設される地帯を米国が買い取る形を整えた。

 これら一連のローズヴェルトの言葉と実践によって、米国は西半球諸国に「国際警察力」を使って介入することを正当化する原則を確立させた。他のどの国とも協議・相談することもなく、米国が単独でそう判断すればそれでよいのだ、とする独断専行的な形で。

 モンロー教義は、米国にとってはふさわしい後継者を得て、これを「モンロー教義のローズヴェルト・コロラリー(系)」と呼ばれるようになった。

そしてトランプへ──他国支配の現在地

 モンロー教義の意識的な、次なる継走者は、21世紀が4分の1を終えた2025年に現われた。それは、周期的に見れば、モンロー教義200周年と米国独立250周年に近い年号で、局外者の私たちにしても、米国の対外膨張史を客観的に振り返るためには時宜を得るものとなった。

 トランプ政権が2025年11月に発表した「国家安全保障戦略」である。米国は、同年9月に、ベネズエラ沖のカリブ海域で「麻薬船」攻撃を目標とする軍事行動を開始した。船舶と麻薬組織との関係や積荷の内容に関する証拠も示すことなく、米軍は国際水域において殺傷力の高い兵器を使用して超法規的な殺人行為を行なったのだ。そのさなかに発表された同戦略を、トランプ自身は、「モンロー」にドナルド・トランプの「ド」を掛け合わせて「ドンロー教義」と呼んだ。

 それによれば、西半球では、①「米国に大量の移民を送ることを防止するのに十分な統治」を米国は維持する。②「米国の勢力圏に含まれる政府は、南部カリブ海および東部太平洋での、麻薬船とされる船舶に対する攻撃作戦に協力することが求められる」。③「我々は、敵対的な外国勢力の影響を西半球から排除し、同地域の重要資源を敵対的な外国勢力に掌握させない半球を望んでいる。また、西半球を米国の重要なサプライチェーンの基盤として維持したい」。そのため「重要な戦略拠点への継続的なアクセスを確保する」――ことを謳うのである。

 ベネズエラにおけるこの軍事行動から2カ月と経たない2月末日、米国はイスラエル軍とともにイランを攻撃した。その行方は、本稿執筆時点では予断を許さない。「西半球」支配に主力を注いでいるようでいて、米国はやはり世界帝国でありつづける野望を捨ててはいないのか。この観点からの批判的な分析も今後は必要だろう。また、トランプの言動は、確かに根拠薄弱で奇矯なものに映ることが多い。だが、ここまでに見たように、他者/他国の存在とその主張をいっさい意に介することのない自己(自国)中心主義こそは、歴代の米国大統領にあっては揺るぐことなく共通した基本的な性格である。帝国主義の他国支配とはそうしたものだと普遍化するならば、ローズヴェルト時代のキューバ支配の方法と、同時代の日本による朝鮮(韓国)の植民地化に至る過程を重ね合わせて再考したいとの思いが、私には生まれたことを最後に付言しておきたい。

引用した参考文献
1 キューバ共和国外務省「ある略奪の歴史――グアンタナモ米海軍基地」(日本共産党中央機関誌編集委員会編『世界政治資料』1980年1月上旬号)
2 『アメリカ大統領演説集』(古谷旬・三浦俊章編訳、岩波文庫、2025年)。引用文は、基本的に本書に基づいているが、「合衆国」を「合州国」と表記するなど、筆者の考えによる小さな変更を加えた箇所もある。

【追記】
筆者は、今回のベネズエラの事態をうけて、自らが関わる社会運動のウェブ・サイトや機関紙誌に、同じテーマの文章を複数書いてきています。本稿の一部は、それらと重複する箇所があることをお断りします。

太田昌国

民族問題研究、編集者。現代企画室で多数の人文書を企画・出版。著書に『チェ・ゲバラ プレイバック』(現代企画室)、『増補・決定版拉致異論』(現代書館)、『暴力批判論』(太田出版)、『ボリビア・ウカマウ映画伴走50年』(藤田印刷エクセレントブックス)など。

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