Modern glass-fronted building with a red patterned tower behind, trees along the sidewalk, and people entering.
国家檔案館(筆者提供)

【連載】台湾・麗しの島だより——移行期正義の練習帳(第23回)同温層(エコー・チェンバー)を越えて——共同記憶の軌跡としての国家檔案館

栖来ひかり(文筆家)
2026/05/06

これまでの記事はこちら(連載:台湾・麗しの島〈ふぉるもさ〉だより)

 前回は、長く未解決のまま残されてきた「林宅血案」(1980年)が、とある映画の製作発表をきっかけに、あらためて台湾社会の記憶の底から炙り出された経緯を取り上げた(1)。結局、映画自体はお蔵入りとなったが、それにまつわる議論の副産物として、「台湾史の補習」と呼ばれる移行期正義的な学び直しブームが起きたのは、思いがけないことだった。

(1) 「林宅血案」とは、1979年の「美麗島事件」で民主化運動に関与して逮捕された林義雄氏の自宅で、1980年に起きた凄惨な殺傷事件である。政治犯の家として厳重な監視下に置かれていたはずの林家で、白昼、母親と双子の娘が殺傷され、長女も瀕死の重傷を負った。当時の情報機関の関与が疑われながらも、事件はいまなお解決を見ていない。現場は現在、「義光教会」という教会に姿を変えている。

 その火付け役が、元タレントで、台湾のランドマークとして知られる台北101の管理トップ、賈永婕(ジア・ヨンジエ)である(2)

(2) 折しも賈氏は、アメリカ出身のロッククライマーが台北101の登頂に命綱なしで挑むNetflixの大規模企画を成功させたばかりで、SNSでの発信力が高まっていた矢先のことだった。

事件の真相を知りたい

 1974年生まれの賈氏は、事件当時6歳。殺された双子と同年代であるうえ、事件現場となった現・義光教会は子ども時代からの生活圏にあった。にもかかわらず、事件について何も知らずに今まで来たことに衝撃を受けた賈氏は「事件の真相を知りたい」と率直に記した。翌日には自ら義光教会を訪れ、1階から地下室まで歩いて歴史の残酷さを感じながら「記憶し、受け止め、そして前へ進む」ことの大切さを知ったと述べた。その後も賈氏は中正紀念堂に行き、自然に蒋介石を讃える歌を最後まで歌えてしまうことに触れて権威主義体制下の教育が自分に染み込んでいるのを思い知ったと投稿。常設展示では、公務室に座る蒋介石の蝋人形に向かって「皆がどれだけあなたを嫌いか知ってる? 罰として一生そこに座っていなさい!」とユーモアたっぷりに語りかけてもいる。

 賈氏の父親は元国民党海軍の将校で、彼女自身もこれまで国民党寄りのイメージがあった。そんなわけで「一連の発信をめぐり親戚から非難を受けている」とも述べたが、発信はやめなかった。台湾が払ってきた犠牲への哀惜と慈しみを交錯させながら、知らなかったことは知らなかったと認め、感じたことをそのまま言葉にした。その素直さ、明るさ、聡明さ、勇気。賈氏には、わたしが敬愛する多くの台湾女性たちと共通する資質が備わっていると思えた。

「同温層」を越えた共感

栖来ひかり

(すみき・ひかり)文筆家。1967年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路』(図書出版ヘウレーカ)、『日台万華鏡』(書肆侃侃房)など。

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