【連載】台湾・麗しの島だより——移行期正義の練習帳(第9回)皇民化政策の名残とどう向き合うか

栖来ひかり(文筆家)
2025/02/05

移行期正義(Transitional Justice)〉……過去に大きな不正や人権侵害があった社会が、真実を追求して責任の所在を明確にすると共に、分断された社会の和解をめざし、より良い未来を築くために行なうプロセスのこと。

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 先日、日本の人気劇団による演劇を台北で観る機会に恵まれた。俳優さんは小劇場でのお芝居経験が全員20~30年以上というベテラン揃い、芸の細かさや息の合わせかたといい舞台道具の洗練といいみごとなもので、客席のあちこちから鼻をすする音が聞こえた。濃密なテンションの冷めぬまま客席をも巻き込んでのカーテンコールは拍手が鳴り止まない。日本らしい「匠の技」と熱量に圧倒されてわたしも大きな拍手を送ったが、一方で何とも晴れない心持ちで劇場を後にした。曇りの理由は、このお芝居の設定が太平洋戦争末期であり、「神社」が重要なモチーフとして出てきたからだ。

「皇民化政策」の名残と戦争の描き方

 日本が台湾を植民地とした50年のあいだ、台湾の人々の心の拠り所であった多くの寺廟が壊され、神社が建てられた。特に日中戦争開始後は「皇民化政策」のため、台湾人家庭でも日本語使用が奨励され、伝統的な道教のかわりに日本神道の神棚を強制された。また「一街庄一社」といって台湾各地に200もの神社をつくることが計画された。これは台湾人を精神的に「日本人」化し、ゆくゆくは「天皇の赤子」として戦争に動員するための政策であった。

 先日訪れた台湾東部の原住民族アミのとある集落では、伝統的な祭りの衣装にその名残があった。輪になって踊る男性の頭には豪華な鳥の羽の冠が載せられるが、その先には白く長細い束が揺れる。皇民化運動のもと廃止を迫られていた祭り存続のために、日本神道の「紙垂(しで)」を取り入れたものだった。

 戦時中、大日本帝国下で言論が厳しく弾圧されたが、台湾でも同じことが行なわれた。「皇民化」と共に強まった自由な創作や言論の制限に当時の台湾文化界も激しく抗った。演劇界の反発はもっとも強く、拙訳『陳澄波を探して』(柯宗明著、岩波書店)でも直接的な「抗う」表現を避ける美術家たちと、小説家や演劇人が激烈な議論を交わすシーンがある。

 「戦争」の描き方についても日本の「加害」がまったく描かれておらずモヤモヤした。思えば、わたしたちの戦後80年、先の戦争に関する創作物についてすべてを観たとは勿論言えないが、同じようなアプローチを繰り返し見せられている気がする。戦死した息子、空襲や原爆の被害、飢えた子ども、特高に拷問される無実の言論人……。語り継がねばならない大切な観点には違いないが、それは「被害にあった日本の庶民」という被害者意識のみから来る平和の希求と正義であるように思う。残念ながら、今回みた演劇もそうしたクリシェから離脱できたとは言えなかった。もしそこに当時の日台関係をもっと俯瞰的でクリティカルな視点から表現するシーンなりセリフがあれば……。日本で評判のお芝居をそのまま台湾に持ってきて興行したならともかく、台湾で上演することを想定して、事前にわざわざ台湾で脚本リサーチも重ねた結果というのを残念に思った。せっかく台湾と関わり、表現を掘り下げる機会であったのにいささか勿体ないと思わざるを得なかった。

千鶴子を通じて気づく〝宗主国しぐさ〟

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栖来ひかり

(すみき・ひかり)文筆家。1967年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路』(図書出版ヘウレーカ)、『日台万華鏡』(書肆侃侃房)など。

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