※この記事は、peoples dispatchで2026年5月28日に配信された”The theater of punishment” by Vijay Prashadの抄訳です。
イスラエル軍は5月18日、ガザに海上から救援支援物資を届ける活動を展開する「グローバル・スムード船団(GSF)」の39隻を公海上で拿捕した。GSFはこれまで2回ガザへの航行を試みたがイスラエル軍の妨害により断念。3度目となる今回は39カ国426人が54隻の船に乗り込みガザに向かった。20日には、イスラエル軍が乗員らの両手を後ろ手に縛り地面にひざまずかせているそばで、極右政治家イタマル・ベン=グヴィル国家安全保障相が乗組員らを挑発する自身の姿を収めた動画を投稿。そこには「イスラエルへようこそ」と添えられていた。(編集部)
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ベン=グヴィルによる船団の扱いに今さら驚いたのは、〔イスラエルによる〕植民地主義的な暴力を「安全保障」という穏やかな言葉で正当化してきた者たちぐらいだろう。
今や人類の前には膨大な証拠が積み上がっている。ガザは単に包囲された地域ではなく、意図的に絶望が生み出される場所だ。そこでは飢餓と爆撃が、人々を支配し政治的な目的を達成する道具として利用されている。
船団の乗組員たちは武装した戦闘員でもなければ侵攻を企てる兵士でもなかった。彼らは国際的なボランティア、人権活動家、医師、国会議員、そして社会運動の担い手たちであり、ガザに課されている封鎖を打破しようとしていた。彼らの航海は政治的であり、道義的であり、人道的な目的を持つものだった。それにもかかわらず、イスラエルは彼らを拘束し、侮辱し、芝居じみた暴力で迎え入れた。
ベン=グヴィルは自分の行動が発するメッセージを十分に理解していた。イスラエルの極右政治とは、人々を教育し従わせるための手段である。暴力は人々に〝見せつけなければ〟ならず、屈辱は公然と広められなければならない。支配は、そうした見せしめ行為を通じて、絶えず再生産されなければならない。パレスチナ人やその支援者を公の場で辱めることは、まさにイスラエル極右のイデオロギー構造の中核にある。あらゆる逮捕は「従え」という教訓となり、あらゆる暴行は警告のメッセージとなり、あらゆる拘束は「抵抗する者は、たとえいかなる理由であれ、圧倒的な力で押さえ込まれる」という宣言となる。
船団の活動家たちは、封鎖と破壊によって大きく変容させられた空間へと足を踏み入れた。こんにちのガザは、ただの占領地ではない。そこは「懲罰の実験場」だ。イスラエルは長い間、ガザへの食料や医薬品、燃料や電気の供給を管理し、住民の移動を制限しつづけてきた。これらがもたらしたのは社会的な窒息状態である。国際機関は繰り返し、その人道状況が壊滅的水準に達していると警告してきた。しかし封鎖は続いている。封鎖がイスラエルの政治的目的――パレスチナ人を分断させ、集団としての士気や連帯意識を弱体化させる――を目指しているからだ。
活動家たちが船団を通じてこの秩序に異を唱えようとした時、ベン=グヴィルとその側近たちは、乗組員たちを良心にもとづき行動する者としてではなく、国家の敵として描いたのだ。拘束し、嘲笑し、罵倒を浴びせかける。その目的は、船団の活動を阻止することだけではなく、将来における同様の連帯行動を思いとどまらせることにあった。
この構図は現在の危機以前から存在した。植民地的支配体制とは、軍事的優位性だけでなく、「支配の儀式」がともなってこそ維持される。かつて大英帝国がインドやケニアで、フランスがアルジェリアでそれを実践したように。そして南アフリカのアパルトヘイト体制で「支配の儀式」が法制化され、極めて組織的に実行されたように。
ベン=グヴィルの言動は、この支配的文化の奥深さを露わにしている。彼はパレスチナ人を、権利を有する主体としてではなく、統制し封じ込めるべき人口学的脅威として語る。この世界観においては連帯そのものが犯罪化される。人道的行動はテロリズムとして再定義され、国際法は政治的目的を妨げる障害物として扱われる。船団の活動家が危険視されたのは、彼らがガザで起きていることを世界に伝える証言者であり、世界に包囲体制の構造自体を暴こうとしたからだ。彼らの存在そのものが、「ガザの苦しみは避けられない戦争の副産物である」というイスラエルが入念に作り上げてきた物語を揺るがしたのだ。
ベン=グヴィルが真に警戒しているのは、人々が想像力を持つことであり、世界がパレスチナ人を「安全保障上の問題」としてではなく、「共通の人間性を持つ存在」として語りはじめることである。
ゆえに、船団の活動家たちに向けられた今回の暴力的対応は不自然なものではなく、むしろベン=グヴィルが体現する思想的世界観と完全に合致するものだった。その世界では、暴力と屈辱、そして恐怖を通じて支配が絶えず再生産されなければならないのである。








