関連特集/記事
・・【特集】瓦礫の上に立つ:国際法の死と生(『地平』2026年6月号)
・【特集】米=イスラエルの戦争(『地平』2026年5月号ほか)
・この著者の他の記事はこちら
はじめに——法による支配(ルール・バイ・ロー)
ウクライナのブチャにおける文民虐殺、スーダンのエル・ファシールを襲う暴力と飢餓、パレスチナでのガザ・ジェノサイドや西岸入植、ベネズエラ元首を拉致する斬首作戦、そしてイランのテヘランを火の海と化す爆撃――ここ数年の主要な出来事を振り返るだけでも、まさに「瓦礫の上に瓦礫」とも呼ぶべき連続的な破局が広がっている。この暴力が蔓延(はびこ)る世界で、「国際法違反」という文字が踊り、「国際法を守れ」と切実に叫ぶ人々がいる。その一方で、「国際法は無力だ」という悲壮感が漂い、さらには「国際法は死んだ」という冷笑さえ見られる。
この瓦礫の山を前にしても、多くの専門家は、「いや国際法は生きている。なぜなら大部分は守られているからだ」と返答するだろう。たしかに一面的にはそのとおりで、日常を支えるインフラとして私たちの生活を維持している規範も多くある。しかし、今まさに賭けられているのは、武力行使禁止・人道の基本原則・ジェノサイド禁止・人民の自己決定権など、逸脱の許されない強行規範である。これらがあまりにも軽視されている惨状に、国際法の「死」にまで言及される事態に、それでも私たち専門家は論点をずらさずに「国際法は生きている」と強弁できるか。
筆者は、代わりにこう言おう。「国際法は死ぬことを許されずに、生かされてしまっている」と。前記の強行規範群でさえ、けっして機能不全に陥っているのではなく、むしろ権力に資するかたちで設計どおりに「働かされてしまっている」。規範形成に影響力を持つ国は、条約起草過程において往々にして、原則に対する例外を埋め込み、また概念の矮小化を試み、それが「原罪」となって深層で機能する。そして、私たちが生きる現代において例外が濫用され、概念の外縁が無視されることで、瓦礫を生み出す「現罪」を再生産する。このように、国際法には、「力の支配(ルール・オブ・パワー)」を可能にする「法による支配(ルール・バイ・ロー)」という側面が拭いがたく残っているのだ。
国際法に信頼を寄せる人々にとって、このような一面は不都合に映るかもしれない。しかし、「国際法は生きている」という表面的な回答で済ますには、あまりにも多くの命が奪われてきた。国際法が瓦礫の山を止められていない理由を、論点ずらしで凌ごうとするのではなく、根底から問い直す時期が来たのだ。国際法が真に信頼を取り戻すためには、それが特定の権力のために機能しているという罪を認め、その構造から贖(あがな)い出す必要がある。その契機は、言うなれば、国際法を「働かなくさせる」瞬間に訪れるだろう。誤解してはならないのは、この贖罪が国際法を全面的に放棄することを意味しないということである。ただ、原罪/現罪を生み出す規範のみを「停止」させることによって、その規範が本当に果たすべきであった目的を「成就」させることが狙いである。
その一つの試みとして本稿は、「力の支配(ルール・オブ・パワー)」として象徴的に挙げられる国連憲章上の「拒否権」とその特権を永続化させている改正手続を題材に、特権的設計という原罪(第1節)から、それが引き起こす機能の暴走という現罪(第2節)を解き明かし、そこから脱却するための制度の「停止」と「逆用」による贖罪(第3節)を論じる。






