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人格権の侵害を問う――「宗教2世」訴訟
統一教会(通称。宗教法人世界平和統一家庭連合)の「宗教2世」8人が、7月24日、宗教虐待による人生の破壊、信教の自由の侵害等を理由に、教団に対し約3億2000万円の損害賠償を東京地裁に提訴した。
注意すべきは、親を訴えていないことである。なぜなら原告は、「(統一教会は)違法な伝道・教化手法によって親の信教の自由を実質的に奪った上」(訴状)と、親もまた被害者であることを認識しているからだ。そして、「(教団は)2世に対しても、直接的にあるいは間接的にその人格権を侵害する行為に及んでいる。よって、原告らは、人格権等の侵害に基づき、慰謝料等の損害賠償を求めて本訴を提起するものである」(同)と主張する。人格権の侵害は具体的には「虐待」である。その内容は次の4点。
①信教の自由の侵害(心理的虐待、身体的虐待、ネグレクト)
②婚姻の自由、交際の自由の侵害(ネグレクト、心理的虐待)
③適切な養育を受ける権利の侵害(ネグレクト)
④人格の否定、自由な意思決定権、成長発達権侵害(心理的虐待、ネグレクト)
世俗社会における裁判という制度ゆえ、民事訴訟での金銭補償という形式にならざるを得ない。原告全員が一律3000万円という高額の慰謝料を請求していることもこの訴訟の特徴であろう。しかし、原告の訴えの本質は、人間の実存、尊厳という、金額では計れない問題である。賠償額に目を奪われたなら、それが見えなくなる。冒頭、宗教虐待、人生の破壊、人生と尊厳という抽象的な言葉を、筆者が使わざるを得なかったのは、この裁判の本質がそこに根差しているゆえであった。この裁判は、「人格の自由な形成と発達を著しく妨げられ、深刻かつ継続的な精神被害やその他損害」(訴状)等と正面から向き合い、人格権の蹂躙を明らかにしようとする前代未聞の裁判である。
統一教会の法人解散を命じた東京地裁の決定は、高額献金等の内実を「公共の福祉」の侵害として克明に事実認定した。一方、この2世の教団提訴は統一教会の本質がもたらした深刻な人格権の侵害を問うものである。
「かなり困難でチャレンジングな訴訟になることを覚悟しています」。全国統一教会被害対策弁護団の村越進団長はそう語っている(盛山正仁『旧統一教会 被害者救済の施策』76頁。大成出版社、2025年7月発行)。
山上被告の刑事裁判が問うもの
安倍元首相を手製銃で殺害した山上徹也被告の刑事裁判が10月28日から開始された。
事件の真因として明らかにすべきは、山上被告の半生が、原告たちと同様の状況にあったことである。事件直後から、統一教会のみならず「エホバの証人」など他の教団をふくめた2世が、自分たちと山上被告の人生が酷似していると声をあげた。統一教会の高額献金被害、右派政治勢力との結びつきについては以前から一部に知られていたものの、2世の苦悩については、ほとんどの国民が初めて知る驚くべき事態であった。刑事訴訟法第1条に「事案の真相を明らかにし」とあるが、これは適正な刑罰を科すためであるとともに、事件の再発を防ぐためであろう。山上被告の動機とその背景、思想を詳細に明らかにし、教訓を得なければ、第二、第三の山上被告が出現するとも限らない。
カルトは、従来の法的解釈では太刀打ちできない宗教現象である。かつてのオウム諸法廷において、事件の経緯は明らかになった。が、ごく一部を除き、オウム真理教そのものの解明にはほど遠い公判内容だった。またその指摘もさほど聞こえなかった。刑事裁判での真相究明には限界がある。国会はじめ公的機関やアカデミズム等での総合的解明が、安倍元首相狙撃殺害事件に関して必要であろう。とりわけ山上被告の母親の入信・献金状況と家庭環境、統一教会の関与の実態などを多方面から明らかにすべきだ。
事件のあった半年後、2022年末に厚生労働省が、子ども家庭局長通知「宗教等の信仰に関する児童虐待への対応に関するQ&Aについて」を明示した。そのことは、政府が「宗教2世」問題の深刻さと普遍性を認識している証左である。
教団の支配の構造――親が絡めとられた者の苦悩
原告8人の内訳は、20代(男2人)、30代(男3人、女1人)、40代(女2人)である。彼らの年齢からすると、両親のほとんどは統一教会の正体隠し伝道によって勧誘され、精神操作によって教義を植え付けられ、入信に至ったと推認できる。この正体を隠蔽した布教は、1987年に「青春を返せ裁判」の名で札幌地裁において、元信者の原告たちと郷路征記弁護士によって「信仰の自由」の侵害を理由に提訴され、14年後の2001年に元信者側が同地裁で勝訴した。ほかの地裁でも同種の訴訟がおこされ、最高裁は2004年に信教の自由の侵害であることを認定した。訴状が「親の信教の自由を実質的に奪った」という法的根拠は、そのことを指している。
その違法伝道によって親が絡めとられた信心とはどのようなものだったのか。とりわけ、信者(教団と親)を2世に対する「虐待」に突き動かした教えの核心部分はいかなるものであろうか。それを探ってみよう。










