揺らぐ「法の支配」をどう支えるか――国際司法裁判所と国際刑事裁判所

森岡みづほ(朝日新聞ヨーロッパ総局記者)
2025/11/08
ガザ北部に軍事侵攻イスラエル軍。IDFのHPより

「法の支配」の揺らぎ

 2023年10月、イスラム組織ハマスによる越境攻撃をきっかけに始まった、イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの軍事攻撃。2年が経過した今年10月までに、ガザでは6万7000人を超える人々が犠牲になった。今年10月には停戦が発効したものの、和平合意の履行が無事に行なわれるかは依然として不透明だ。

 国際社会が解決の糸口を見いだせなかったこの2年間、イスラエルの軍事行動を問いつづけてきたのが、オランダ・ハーグに本部を置く国際司法裁判所(ICJ)と国際刑事裁判所(ICC)という2つの国際司法機関だ。

 ICJは、イスラエルの攻撃がジェノサイド(集団殺害)にあたるとする訴訟で、2024年1月から5月にかけて3度にわたり人道的配慮を求める暫定措置命令を出し、一部地域での軍事作戦停止を命じた。さらに同年7月には、パレスチナ自治区西岸などでのイスラエルの占領政策が国際法に反すると指摘し、違法な占領の終了を求める勧告的意見を公表した。

 一方、ICCは2024年11月、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相、ハマス幹部に対し、戦争犯罪などの容疑で逮捕状を発行した。

 しかし、ICJの命令や勧告にもかかわらず、ガザで犠牲者は増え続けている。さらに、イスラエルに融和的な姿勢を見せるトランプ米大統領は今年2月、ICC関係者に制裁を科す大統領令に署名。主任検察官や裁判官を制裁対象に指定した。米国がイスラエルの後ろ盾となる中、「法の支配」を掲げてきたはずの日本や欧州の対応は鈍い。一方でグローバルサウス(新興・途上国)がICJにイスラエルを提訴するなど活発に活動している。

 パレスチナ情勢やロシアによるウクライナ侵攻は、第二次世界大戦後に人類が築いてきた「法の支配」という理念の揺らぎを浮き彫りにした。国際司法の現場でいま何が起きているのか。そして日本は、法の支配を支えるためにどのような役割を果たせるのだろうか。

ICJとICC

 ICJとICCは、名前が似ていて本部も同じくオランダのハーグにあるが、別の機関だ。ICJは国連の主要な司法機関で、1945年に設立された。前身は第一次世界大戦の惨禍を受けて設立された常設国際司法裁判所(PCIJ)だ。ICJの裁判官は国連総会や安保理の選挙で選出された15人で構成する。193の国連加盟国が加盟し、国と国との紛争を解決するほか、国連総会など国際機関の求めに応じて勧告的意見という法的見解を言い渡す。日本ともゆかりが深く、これまでに4人の裁判官を輩出。皇后雅子さまの父・小和田恒さんが日本人として初の所長をつとめたほか、今年3月には岩沢雄司・東大名誉教授が所長に就任した。

 ICCは国連組織ではなく、ICJと比べると新しく、2002年に設立された。現在は日本を含む125カ国・地域が加盟する。戦争犯罪、ジェノサイド、人道に対する犯罪、侵略犯罪という人道上の重大な罪を犯した個人を追及する、人類初の常設の国際刑事裁判所だ。これまでに3人の日本人が裁判官を務め、24年3月には日本で検察官だった赤根智子氏が日本人初の所長に就任した。

 ICCの設立には、人類が20世紀の2度の大戦から得た教訓がある。第二次世界大戦後、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判や、日本の戦争指導者を裁く東京裁判が設置されたが、「戦勝国の裁判」という批判があった。その後も戦争の指導者を個人責任で裁くことを可能にする常設の国際裁判所が必要だという議論はあったが、冷戦で停滞した。冷戦後の1990年代、旧ユーゴスラビア特別法廷やルワンダ特別法廷が国連安保理の主導で設置され、紛争の指導者が訴追された。地域や期間に限定されない恒久的な裁判所をめぐる議論が再燃し、1998年にICCの設立規約になるローマ規程が結ばれた。

 ICC内部には検察局と裁判部、書記局がある。ICCの管轄は2002年7月以降に発生した事件で、原則、被告の国籍か犯罪の発生地が締約国の事件に限られる。時効はない。捜査は加盟国が事件を付託した場合のほか、検察局の主任検察官が独自の判断で管轄内の事件で捜査を開始すると判断し、予審裁判部が許可した場合に始まる。

 国連安保理との関係も深い。安保理の付託によっても捜査が開始でき、この場合はICCの管轄権が国連全加盟国に広がる。スーダンのダルフール情勢をめぐる2005年の捜査付託はこの例だ。ICCの政治利用を防ぐ仕組みも設けられていて、安保理の決議によって、特定の事件の捜査や訴追を一時停止することができる。ロシアや米国、中国、イスラエルなどは自国の軍人が訴追されるかもしれないという警戒感からICCに加盟していない。

 検察官と裁判官は締約国会議で選出され、2021年からはイギリス人のカリム・カーン氏が主任検察官を務めている。検察局が逮捕状を請求し、予審裁判部が「十分な証拠がある」と判断した場合に逮捕状が発行される。ICCに警察のような執行機関はなく、締約国には捜査の協力のほか、被告を拘束・引き渡す義務がある。

 ICCは設立当初はスーダンやコンゴ、リビアなどアフリカ諸国で発生した事案が多く、「アフリカを狙いうちにしている」という批判もあった。だが、次第に扱う地域を拡大した。注目を集めるきっかけになったのが、ウクライナ占領地からの子どもの連れ去りに関与したとして2023年3月、ロシアのプーチン大統領らに逮捕状を発行したことだ。逮捕状発行の審理に関わった赤根所長を、ロシアは報復措置で指名手配した。

イスラエル提訴とグローバルサウス

森岡みづほ

朝日新聞ヨーロッパ総局記者。二〇一五年入社。大阪社会部、国際報道部などを経て二四年二月にブリュッセルに赴任。国際司法裁判所、国際刑事裁判所などを担当する。

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