関連:「特集 排外主義、再び」(2025年10月号特集)
世界が国民国家や民族、宗教、イデオロギーという想像上の「トライブ(部族)」に回帰していく。これを「トライバル化(tribalization)」と呼び、警鐘を鳴らすのはベルギー人ジャーナリストのクルト・ドゥブーフである。「わたしたちが共同体を作り上げるとき、それはエンジンとなる。カオスに陥り先が読めない世界では、人びとに生きる意味を与えてくれる。ところが、そうした新種のトライブがますます排他的なものとなり、権威的なものとなっていくにつれ、世界は黒か白かで判断されるようになり、ついにはトライバル化がはじまる」(ドゥブーフ 2018=2020:14‐15)。同時に、ある国や社会でのトライバル化は伝染、別のトライバル化を誘発する(ドゥブーフ 2018=2020:154)。
日本はどうだろうか。トライバル化の芽が出てきたのかもしれない。2025年6~7月の選挙はそうした予感をさせるものではなかったか。
選挙と「排外主義キャンペーン」の危機
2025年6月に東京都議会議員選挙(6月22日開票)、7月に参議院選挙(7月20日開票)が実施されたが、両選挙は極めて特異といえた。
日本は多くの外国人が暮らし、働く「移民社会」である。しかし政府はこの事実に――都合よく/搾取的に受け入れてきたにもかかわらず――目を向けず「移民政策、移民国家ではない」としてきた。その国で唐突に「外国人政策」が焦点化された。とくに参院選は異様なまでに(被害者意識に彩られた)「日本人」が強調され、ヘイトスピーチと排外的なデマに塗れた歪な選挙となった。
この事態を危惧し、2025年7月8日に(筆者が所属する)「外国人人権法連絡会」や「移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)」を含む8団体が呼びかけ、「参議院選挙にあたり排外主義の煽動に反対するNGO緊急共同声明」を発出した。同日には「排外主義キャンペーンを止めること」を求める記者会見も行なった。声明には1159団体が賛同を表明、危機感の高まりをうかがわせた(注1)。
「日本人ファースト」の台頭――「トライバル化」の萌芽?
排外主義キャンペーンを牽引したのは、新興の参政党である。都議選では3議席、参院選では14議席を獲得、躍進した。海外メディアが正しくそう報じるように極右色の濃い政党であり、極右のグローバル化の流れにある(注2)。
2020年、新型コロナウイルス感染拡大期に参政党は生まれた。もともと排外的な性格を有していたが、当時は「ワクチンや医薬品販売によって利益を得ようとする『勢力』が、ウイルスの危険性を煽っている」など、コロナやワクチンに関する陰謀論的な主張が目立っていた。代表の神谷宗幣が国会議員に当選したのは2022年の参院選で、このときは「ワクチンを打たない自由」をアピールしていた(注3)。
他方、昨今は「日本の危機」「日本人」というナショナルなアピールを全面展開させている。「今のままの政治では日本が日本ではなくなってしまう」(注4)「歴史や文化、先人の思いを大切にして日本人のアイデンティティを参政党は守ります」(注5)「日本人の日本人による日本人のための政治がしたい」(注6)。さらに2025年の都議選→参院選のキャッチコピーは「日本人ファースト」とした(注7)。
「○○ファースト」が――現在のアメリカ大統領が発する――「アメリカ・ファースト」に起源をもつのは明らかであろう。神谷代表は親和性が高い他国の政党に「アメリカ共和党の保守派」や「ドイツのための選択肢(AfD)」(ドイツ)、「国民連合(RN)」(フランス)、「リフォームUK」(イギリス)を挙げる(注8)。いずれも極右ポピュリスト政党である。2025年8月5日、神谷はティノ・クルパラ(AfD共同代表)と握手する画像をXにポストした(注9)。投稿にはAfD共同代表は参政党の政策やスタンスに同調したとある。
記号=「日本人」に刻印されたもの
「外国人の差別や排外主義ではない」と、「日本人ファースト」はそれを意図していないと参政党は述べる。だが、実際には標語の中身=政策/言動にも、その排外主義的な性格が滲み出ている。
党の政策紹介(注11)には(社会保障の項目に)「外国人への生活保護支給を停止」「日本の国益につながる相当の理由がある人物のみへの実施を徹底する」との文言が躍る。また、外国人に関する施策は基本的に「国防・外交」に位置づけられている。「外国人」を安全保障・治安を左右する外敵予備軍と眼差している、ということであろう(注12)。
このような「政策」に加え、演説では根拠不明の「与太話」や虚偽情報を披露する。たとえばある街宣で神谷は、外国人の権利を認めていくと、警察が機能しなくなると吹聴した(注13)。
警察を機能させるのも、警察官の士気を高めるのも政治家の仕事です。でも、その政治の中心に外国人の犯罪を取り締まらないというような政党があったり、外国人の権利をどんどん認めるという政党があったら、警察はまともに働けませんよ、みなさん。日本人を守ろうと思って、国民を守ろうと思って一生懸命取り締まったら、取り締まった方が処罰されるみたいな事例があるんですよ。警察の中で。私の知り合いもそれで何人か警察辞めてますから(注14)。
他にも参院選では、「日本人を蔑ろにする外国人優遇政策に終止符を(注15)」と唱える同党の初鹿野裕樹(神奈川選挙区/当選)は、「生活保護の受給が外国人に有利」とのデマを放言した(注16)。
選挙期間中、こうした状況を危惧した市民により、各地で参政党への抗議行動が繰り広げられた。このとき表出したのが人種化された「敵のあぶり出し」である。トライバル化は「白か黒かに単純化する発想に陥り、排除するための敵を創造する」(ドゥブーフ 2018=2020:152)。SNSではプロテスターに向けて(参政党の演説会に集まった)聴衆が「お前は何人だ?」と問う様子が拡散された。その中でも象徴的なのは「15円50銭って言ってみな」との動画であろう(安田 2025)。これは1923年の関東大震災で主に「朝鮮人」と日本人を区別するために使われ、流暢に話せなかった朝鮮人や中国人、障害者、沖縄、地方出身者の人びとを殺害した「虐殺の文法」(朱 2022)である。
トライバル化の煽動、これによる排他性は――各国の極右政党がそうであるように――「自国民ではないもの」に矛先を向ける。そして、その単一的で、人種的、自民族中心的、家父長的な力学は極右エスノ・ナショナリストが夢想する神話的な諸歴史と関係を再度結び直し、パンドラの箱をこじ開ける。アメリカではトランプ台頭後、呼応するかのごとく南軍旗が掲げられるようになった。仮に煽動者が否認しようと、オーディエンスは正確にその匂いを嗅ぎ分け、みずからの欲望を開陳する。『煽動の技術』にて、レオ・ローウェンタールとノーバート・グターマンは、この作用を端的に説明している。
煽動のテーマは宣伝スローガンと異なって、聴き手の素質を直接に反映している。煽動者が聴衆に対するのは、聴衆の外側から臨むという関係ではない。むしろ彼は聴衆のなかから現れて、聴衆の最も奥深くに潜む考えを表現する人間のように思われる。彼はいわば聴衆の内側から働きかけ、そこに眠っているものを揺り動かすのである。(ローウェンタール/グターマン 1949=1959:9)
ナショナルな煽動にはローカルな人種的、自民族中心的な「歴史」の刻印が浮かび上がる。とりわけ極右的な文脈ではそれが即座に顔を出す。排外主義、ナショナルな凝集性と共に「植民地主義の亡霊」が呼び起こされる。「虐殺の文法」の顕現は偶然でも暴走でもなく、必然である。
排外主義的な政治に抗するために
外集団と内集団に分別するナショナルな語句は、意図せずとも差別/排除と隣接する。ナショナリズムが良いか悪いかを論述したいわけではない。少なからず都議選→参院選で流布された「日本人(+ファースト)」なるシニフィアン(記号)は無色透明な、ただのそれではない。10年代以降、その記号が最も叫ばれたのはインターネット上であり、旭日旗が舞うデモではなかったか。それは極右的言説/言動により、ヘイトと歴史否定に色づけされてきた。その記号はやはりレイシズムであり、排外主義的な意味(シニフィエ)をもって機能するよりほかない。
かつては――ファシズム体制を想起させるために――政治的に取り扱い注意であった「ナショナルなもの」(阿部 2001:46‐47)だが、現在その緊張関係が急速に崩れてきているように思われる。都議選の際、国民民主党の山口花(練馬区議)はXに「日本人の 日本人による 日本人のための 政治をお願いします。ここは 日本なのですから!!」と書かれた手紙の画像を添付、「若い女の人が走ってきてお手紙くれた。頑張るよ!」と屈託なくコメントした(注17)。あるいは「少年革命家」を自称、たびたびネットニュースで話題になるYouTuber、SNSで有名なホストも「日本人ファーストの何が差別なんですか? 僕も18歳になったら選挙に行くけど、日本人ファーストで考えてくれる人に投票したいし、そうじゃないと日本が日本じゃなくなってしまいそうで怖いです。日本を守りたい!!!(注18)」「日本人の税金を日本人のために使って欲しい(注19)」と書く。
社会学者のジグムント・バウマンが語ったように、分断の発想は人から想像力を奪い、レジリエンス(回復力)を喪失させる。「問題をナイフの先に載せると、断固たる分断の言葉である『二者択一』が義務となると同時に自明なものとなり、それに代わる言葉である『いずれも』は不要になる。そして、二つの考え方のうちどちらかを選んで取り消せなくなるのを防ぐ努力も払われなくなる」(バウマン 2017=2018:65)。
参院選では新興政党に引きずられるかのごとく、自民党は「国民の安心と安全のための外国人政策」として「違法外国人ゼロ」を標榜した。これは「国民」=「日本人」にとって「外国人」はリスクであるとのメッセージにしかならない。この認識をもとにして、2025年7月15日には「外国人との秩序ある共生社会推進室」が内閣官房に設置された。同様に入管庁も「国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン」を発表した。当然、これらには管理、排除の視点しかない。
2005年7月22日、日本弁護士連合会(日弁連)は入管の新たな計画を受け、「国際人権法に反する『国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン』に反対する会長声明」を出した。日本には人種差別禁止法はない(「※ヘイトスピーチ解消法」[2016]は禁止法ではない)。外国人の人権を保障する法律もなければ、国内人権機関もない。であるが、「外国人は優遇されている」「特権がある」との認識だけが独り歩きし、それを土台に制度設計がなされている。転倒した管理/排除の政治(体制)にいかに抗するのか。そのためにも現在、外国人人権法連絡会では国際人権に則る法規範を確立すべく、二つの法案を作成している。
一つが「人種差別撤廃法モデル案」である。これは三つの柱から構成されている。①国(+地方公共団体)が差別を是正、平等を促進するための積極的義務を明記した「人種差別撤廃基本法」、②ヘイトスピーチ/クライムを含む「差別の禁止」、③「国の人種差別撤廃施策の総合的かつ効果的な推進」を任務とし、政府から独立した国内人権機関(救済機関)「人種差別撤廃センター」である。同法案は2025年6月2日に公表した。この日に開かれた(超党派の国会議員から成る)「包括的差別撤廃法制定を求める議員連盟」の公開勉強会では、連絡会事務局長の師岡康子(弁護士)がモデル法案を提起、参加した国会議員にその必要性を訴えた(外国人人権法連絡会HPに掲載予定)。
もう一つが人権全般に関わる「外国人及び民族的マイノリティ人権基本法」であり、2026年の公表を目指して目下検討中である。同基本法は、2004年10月7〜8日に日弁連の第47回人権擁護宮崎大会の第一分科会(「多民族、多文化の共生する社会をめざして~外国人の人権基本法を制定しよう~」)の実行委員会が作成した「外国人・民族的少数者の人権基本法要綱試案」を現代版に改良したものとなる。
歪ではあるが、ようやく「移民政策なき移民国家」である日本でも「外国人」をめぐる議論が始まった。求められるのは排除ではない。管理政策から人権政策への転換である。
〈注〉
1 参議院選挙にあたり排外主義の煽動に反対するNGO緊急共同声明HP参照。
2 「【解説】日本での極右の台頭、トランプ大統領と外国人旅行者によって急加速」(『BBC』2025年7月29日).
3 「(参政党とは:下)マイルド路線、内輪では『陰謀論』 『影の政府』『反ワクチン』も主張」(『朝日新聞』2025年8月6日).
4 参政党HP参照。
5 参政党【公式】X(2024年10月20日17時)
6 参政党【公式】X(2024年10月26日13時30分)
7 神谷宗幣X(2025年6月6日14時35分)
8 「『排外主義なのか?』 参政党の移民政策に海外メディア関心」(『毎日新聞』2025年7月8日).
9 神谷宗幣X(2025年8月5日18時12分)
10 神谷宗幣X(2025年7月16日13時35分)
11 参政党HP「参政党の政策」参照。
12 同項目「日本国内への外国からの静かなる浸透」「(サイレント・インベージョン)を止める」には「外国からの侵略行為は、国外からだけでなく国内でも展開される。(中略)敵対的な外国勢力から日本を守るために、国内への浸透工作を積極的に阻止しなければならない」として、具体的に「実質的な移民政策である特定技能制度の見直しを行い、外国人の受入れ数に制限をかける」「外国からの影響を制限するため、帰化及び永住権の要件の厳格化を行う」等とある。
13 「街頭演説 in 松本駅お城口広場 令和7年6月27日(金)16時30分~ 【参政党代表全国キャラバンLive】」(「参政党」[YouTube]2025年6月27日)
14 実際に問題なのは警察官の対応であり、「外国人」というだけで不当に職務質問をする「レイシャル・プロファイリング」である。また、SNSには「外国人は不起訴率が高い」との情報があるが、これもデマである。「『外国人増加で治安が、賃金が…』広がる情報を検証 誤りも」(『NHK』2025年7月16日).
15 初鹿野裕樹X(2025年6月8日8時)
16 「『生活保護は外国人優遇』事実ねじ曲げ差別扇動 参政党から出馬の初鹿野氏」(『神奈川新聞』2025年7月3日).
17 山口花X(2025年6月16日11時22分)
18 ゆたぼんX(2025年7月19日20時6分).
19 みとなつ様(2025年7月11日21時10分)
《文献》
・阿部潔(2001)『彷徨えるナショナリズム――オリエンタリズム/ジャパン/グローバリゼーション』世界思想社
・クルト・ドゥブーフ(2018)[=2020、臼井陽一郎・小松﨑利明・武田健・松尾秀哉訳]『トライバル化する世界――集合的トラウマがもたらす戦争の危機』明石書店
・レオ・ローウェンタール/ノーバート・グターマン(1949)[=1959、辻村明訳]『煽動の技術――欺瞞の予言者』岩波書店
・朱喜哲(2022)「『虐殺の文法』を解明する?」稲岡大志・長門裕介・森功次・朱喜哲編『世界最先端の研究が教える――すごい哲学』総合法令出版、194‐198
・安田聡子(2025)「『15円50銭』とは何なのか。虐殺に使われた言葉が現代でも復活か。SNSで強い批判」、HUFFPOST
・ジグムント・バウマン(2017)[=2018、伊藤茂訳]『退行の時代を生きる――人びとはなぜレトロピアに魅せられるのか』青土社