レバノン侵攻と「対テロ戦争」の論理

末近浩太(立命館大学国際関係学部教授)
2024/11/05
イスラエル軍の空爆を受け煙を上げるベイルート郊外レイラキ地区の住宅地。レバノン。2024年10月23日 Photo by AFP/Aflo

 2024年9月下旬、イスラエルはレバノンへの大規模な軍事作戦を開始した。

 その目的は、敵対するヒズブッラー(ヒズボラ)に打撃を与え、レバノンとの国境に近いイスラエル北部地域の住民の安全を確保するためとされた。

 イスラエル国防軍は、首都ベイルート南部郊外にあるヒズブッラー本部を空爆し、指導者ナスルッラー(ナスララ)書記長を殺害した。その後、イスラエル国防軍は地上部隊をレバノン領内へと侵入させ、作戦を拡大していった。一方、ヒズブッラー側は、ロケット兵器やミサイルを用いてイスラエル領内への攻撃を行ない、国境地帯では北進するイスラエル国防軍部隊に対してゲリラ戦を展開した。

 レバノンでの戦況拡大は、イスラエルと対立する地域大国イランの強い反発を招いた。

 イランは、1980年代初頭の結成以来ヒズブッラーを支援してきた背景から、その指導者の殺害を黙視することはできなかった。その結果、イランは報復として、10月1日にイスラエルに向けて180発もの弾道ミサイルを発射する事態に至った。

 これにより、戦火がレバノンを超えて、中東全体に広がる危険性が一層高まった。

「暗黙の了解」

 なぜイスラエルとレバノン間の紛争が、今回これほどまでにエスカレートしたのか。確かに、イスラエルとヒズブッラーの対立は1980年代初頭から40年以上続いてきたが、これまで今回のような高強度の紛争に発展することは稀であった。むしろ、両者は長らく対峙しつつも、一種の小康状態を保ってきた。最後に大規模な衝突が起こったのは18年前、2006年夏のことだった。

 実は、1990年代後半以降、両者の間には紛争のエスカレーションを回避するための「暗黙の了解」が存在していた。そもそも、ヒズブッラーにとっては、陸海空の三軍を持つイスラエルが大規模攻撃に転じた場合には壊滅的な打撃を被るのは必至であるため、全面衝突は決して望ましいものではなかった。一方、イスラエルもまた、自国への攻撃が一定の範囲に収まっている限り、レバノン領内への攻撃を控える姿勢を取っていた。

 この「暗黙の了解」は、双方が相手に大規模攻撃を余儀なくさせるような状況を避け、民間人に対する無差別攻撃や国境を越えた深部への攻撃を抑止する機能を果たしていた。

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末近浩太

(すえちか・こうた)立命館大学国際関係学部教授。1973年生まれ。博士(地域研究)。著書に『イスラーム主義と中東政治』(名古屋大学出版会)、『イスラーム主義』(岩波新書)、『中東政治入門』(ちくま新書)、『中東を学ぶ人のために』(共編、世界思想社)など。

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