【入管と国際法(上)】法廷からの報告 からつづく。
「2年も3年も閉じ込められて、病気にさせられて、病気にならないと出してくれない。(こんなことが)日本で起きるのはおかしい」──1300日以上、入管施設に収容された2人の外国人男性が「日本の入管収容制度と入管法は国際法に反している」として国に賠償を求めた裁判で、10月29日、原告本人が収容の実態を証言した。裁判所が違法と判断すれば、今後の入管行政への影響は大きい。法廷で何が語られたのか。(一部敬称略)
1300日の収容が始まった
「デニスさん、証言台の前に来ていただけますか。これからご本人として話をお聞きします。記憶のまま述べると宣誓してもらいます」
午前10時過ぎ、本多智子裁判長が、原告のトルコ国籍クルド人、デニスさんに語りかけた。40余りの傍聴席はいっぱいで、法廷入口には「満席」の札が掛けられた。
裁判の争点は三点。第一に「日本の入管制度・入管法が自由権規約(国際法)に反して違法か」、次に「2人の原告に対する個別の収容が同規約に反して違法か」、そして「違法の場合、国は賠償責任を負うか」。
この日の「原告本人尋問」は二番目の争点に深く関わる。2人が入管施設に収容中、具体的にどんな扱いを受けたのか。それを自らの言葉で明らかにすることが主眼だ。
宣誓の後、原告代理人の岡本翔太弁護士による「主尋問」が始まった。デニスさんはトルコ語で答え、日本語通訳が付いた。
岡本翔太弁護士(以下、岡本)「入国当時のことを質問します。2007年ですね」
デニスさん(以下、デニス)「はい」
岡本「なぜ母国を出国したのですか?」
デニス「トルコの大統領は独裁者。それに抗議するデモに参加した時に警察に逮捕された。警察から私の電話番号や住所がまったく知らない人に知らされて、私や家族に脅迫電話が……。命を守るために出国しました。政治的、宗教上の理由によりトルコでは命の危険がありました」
岡本「デモは、あなたがクルド人であることと関係がありますか?」
デニス「はい。間違いなくその理由で参加しました」
来日の経緯に始まり、難民申請、オーバーステイで収容、一時的に収容を解かれる仮放免、日本人の妻と知り合って結婚……と歩みをたどる。2016年5月、長期の収容が始まった。

「日本の入管収容制度と入管法は国際法(自由権規約)違反」訴訟
自由権規約は、第二次世界大戦中の大量虐殺などの人権侵害、抑圧を教訓に、国連が1948年に採択した「世界人権宣言」を条約にした。1976年に発効、日本は79年に批准、恣意的な身体の拘束を禁じるほか、拘束にあたり裁判所が関与する必要性をうたっている。
デニスさんとサファリさんは、2019年10月、国連人権理事会の恣意的拘禁作業部会に「個人通報」を申し立て、極めて長期の収容にさらされ、「2週間仮放免」と再収容が繰り返されている実態を訴えた。
これに対し作業部会は2020年8月、「意見」をまとめ「2人に対する身体の自由のはく奪は、世界人権宣言、自由権規約に違反したもの」と結論づけたうえで、「司法の承認や審査なしに収容が繰り返されている」「理由も期間も告げられていない」「事実上、入管法は無期限収容を許すもの」と指摘した。
日本政府がこの「意見」に従うことはなく、2人は2022年1月、提訴した。
岡本「奥様は面会に来ましたか?」
デニス「はい」
岡本「1カ月に1回?」
デニス「はい。来てほしいと妻にお願いしました。東京と茨城(茨城県牛久市の東日本入国管理センター)は距離があって疲れるので月1回、その他は電話です」
岡本「差し入れは?」
デニス「毎回、定期的に。洋服、食べ物。入管の食事は栄養がないので、プロテイン、ビタミン、お金。それ以外にも伝えると、嫌がらずに持ってきました」
岡本「2019年8月までに仮放免を何回申請?」
デニス「はっきり覚えていない。10回、いや15回以上」
ハンガーストライキと「2週間仮放免」
収容が1年、2年と長引くにつれて、デニスさんは体に変調を来すようになる。
岡本「身体の状態は?」
デニス「非常に弱っていました。食事がひどいもので、食べられなかった」
岡本「精神的には?」
デニス「良くない」
岡本「なぜ良くない状態に陥っていたのですか?」
デニス「日本語を交ぜてもいいでしょうか。『精神的暴行』(セイシンテキボウコウと日本語で発言)をされたために非常に弱っていました。幻聴、幻覚、不眠……、具合悪いので精神科の医者にかかりたいと言ったが、なかなか連れて行ってもらえませんでした」
岡本「いつ出られるかと(入管職員に)聞きましたか?」
デニス「(涙声で)『5年になるか、10年になるかわからない』と言われて、『あなたはここにいてほしくない人』と」
続いてハンガーストライキと「2週間仮放免」についての質問に移る。
岡本「2019年8月の仮放免の前にハンストをした理由は何ですか?」
デニス「2週間であっても妻に会いたいと思いました」
岡本「それ以外、外に出る方法はないと感じたからですか?」
デニス「はい」
岡本「どれぐらい続けましたか?」
デニス「はっきり覚えていませんが、2週間から2週間半」
収容から3年2カ月余り、1回目の「2週間仮放免」が認められた。
岡本「2週間の仮放免で妻とどんな会話をしましたか?」
デニス「『これまでどうだった』と妻から聞かれて、『何がしたい、行きたいところは……』と、できるだけ私を喜ばせようとしてくれた。私は泣いてしまい、悪夢を見て叫んだり、精神科に。入管のせいで妻も精神科に行くことになった」
2週間が過ぎてデニスさんは再収容を覚悟し、スーツケースを引いて入管に出頭する。
デニス「私は逃げませんでした」
岡本「なぜ延長が許可されないと考えたのですか?」
デニス「ハンストで仮放免になった他の収容者は全員、例外なしに捕まった(再収容された)からです」
生きたいと思って来た日本で
2回目の「2週間仮放免」を経て2019年11月、3度目の収容となる。精神状態はさらに悪化していた。
デニス「(言葉に詰まって、一息吐いて)もう出られないんじゃないか、ずっとここにいなければならないのではないか、妻と離れてしまうのではないか、私が諦めて国に帰る、妻も私のことを諦める……と考えた。結婚して長期収容の人たちがいる。家族がいる人たちは50~60人いる。外に出られないと言われて離婚した人も、絶望して自殺した人も。私は絶対にうそをついていません。これは入管もわかっていること。否定できない、私は宣誓してうそをついたら罪になることを承知して話している」
岡本「その後、精神状態は?」
デニス「生きたいと思って、この国に来たが、その国で自分を殺したいと思うようになった」
岡本「収容中に自殺未遂を図った。その多くが2019年11月の再収容後ですね?」
デニス「はい」
岡本「なぜ自殺未遂を図ったのか、説明してもらうことはできますか?」
デニス「はい、申し上げることができます。(証言台のいすの位置を少し下げ、マイクを左手の指でつかみ、手ぶりを交えて)私はもうここから出られない、2週間でも妻に会えなくなってしまうのでは……。理由なく収容されて。人を殺したのでも、麻薬を売ったわけでもない。深く傷ついて、これ以上耐えられない。こんな風に生きるのなら自殺したほうが、名誉が守られると思った」
岡本「仮放免後、自殺衝動は?」
デニス「また繰り返してしまった」
岡本「逃亡しようとしたことは?」
デニス「逃げる必要があるでしょうか。私には妻がいる。いままでも逃げないし、これからも逃げない」
デニスさんは裁判を起こした思いを、こう述べた。
岡本「長期収容について、国連(人権理事会の恣意的拘禁作業部会)が国際人権法違反、恣意的拘禁と意見を公表した。理由の1つは、期限の定めなく収容されたこと……。いつ仮放免されるかわからず収容される苦しみは?」
デニス「1人の人間を収容するには、犯罪を犯して裁判にかけられる手続きが必要。何もしない人間を、裁判にもかけられずに収容……。私たちには何もできることがなかった。入管は国の機関だから。理由なく3年2カ月もの間収容され、精神的に、もはや治療できないほどの状態に追い込まれた。理由なく失われた年月を返してほしい」
突然の収容
午後の法廷ではイラン国籍のサファリさんが証言台に立ち、駒井知会弁護士が質問した。
サファリさんは1991年に来日した。イランを出たのは、反政府デモへの参加などで2回逮捕され、むち打ち刑を受けたからと証言した。オーバーステイとなり、2010年に入管に摘発され、初めて日本で難民申請ができると知って手続きをした。その後ずっと仮放免が続き、許可条件に違反することもなかったが、2016年に突然、収容された。サファリさんは日本語で証言した。
駒井知会弁護士(以下、駒井)「帰国するとどうなりますか?」
サファリさん(以下、サファリ)「捕まるのは確実、死刑も。日本でデモに参加しただけでも命に関わる」
駒井「(摘発後)2010年12月に仮放免、(収容までの)5年半、何カ月ごとに延長されたか?」
サファリ「2カ月に1回」
駒井「30回以上の延長で、さぼったことや遅刻は?」
サファリ「ないです。いつも一番」
駒井「2016年6月に収容、理由は説明されましたか?」
サファリ「今回の仮放免延長は認められない、入管の都合で、と」
駒井「3年以上収容中、どんな気持ちで過ごしていましたか?」
サファリ「顔見知りの職員が来て、『サファリ、大丈夫だよ、6カ月ぐらいで出す』と。(しかし)実際(は)、1年たっても(収容が続いて)、仮放免申請しても(認められない)理由教えてもらえない……。先が見えないから本当に大変。(涙声になって)私たちは日本に対して助けを求めているわけだから」
駒井「入管職員に通訳を頼まれたか?」
サファリ「週2回ぐらい」
駒井「つらい気持ちなのに引き受けた?」
サファリ「しょうがないね。困っている人がいるから助けるのは当たり前。入管も困っている。被収容者も困っている。担当職員と(被収容者の間に)トラブルがあったような時に」
相次いだ収容者の死
いつまで続くかわからない収容のストレスに、サファリさんは体調を崩していく。
駒井「入管職員に言われてショックを受けたことは?」
サファリ「たくさんあります。他の外国人への見せしめ、帰らなければ出さない、病気で具合悪くならなければ外に出さないと言われた時」
駒井「仮放免申請は?」
サファリ「10回以上」
駒井「認められず、どんな気持ちに?」
サファリ「つらいね(涙声、間が空いて)。ごめんなさい。希望が(絶たれて)……、とてもショック。毎度ダメになる……理由は全然教えてもらえない。強制的に自分の国に帰るのは怖いから……」
駒井「2016年6月に収容されて、精神的変調が自分でわかったのは?」
サファリ「1年ぐらい経ってから始まった。正直、とりえは元気しかないから、いいところないけど。だんだん眠れなくなって、ストレスたまるから、(収容が)長くなればなるほど精神的におかしく……」
そして、同じように収容されていた人の死がサファリさんに重くのしかかった。
駒井「2017年3月、ベトナム国籍の人がくも膜下出血で亡くなりました」
サファリ「とても怖い。彼は『頭痛いから病院に連れて行って下さい』と(言っていた)。連れて行ってもらえずに死んだ。一歩間違えたら、私だったかもしれない。自分たちの都合で閉じ込めているなら、ちゃんと面倒を見てあげてよ。(入管の対応は)早くても2週間、遅い人は2カ月。それじゃあ大きい病気なら死ぬじゃない。とても怖い」
駒井「2018年4月、インド国籍の人が自殺しました」
サファリ「あの人、確か仮放免が駄目だった日。自殺する人の気持ちはわからない、でもよっぽど痛い目に遭ってるんでしょうね。自分からすすんで命を奪うのは」
サファリさんもハンガーストライキを始めた。
駒井「ものを食べないつらさは?」
サファリ「食事があって、食べたくても食べられない。仮放免(申請しても)全部駄目で、(施設を訪れた外部の人が自分たちを)犯罪者扱いした件もあって、ごはん全然食べない、水もほとんど飲まない。人生は私にとって大切、若くない。人生って1度きり、3年無駄になった、入管の都合で。それを取り戻したくてハンストをした。とても大変だった」
駒井「体と心の変化は?」
サファリ「前よりひどく、睡眠薬5錠、精神安定剤。睡眠薬を飲まないと寝られない。体も心もボロボロ」
2019年7月、3年2カ月ぶりに収容が解かれる。
サファリ「23(歳)で日本に来た。いま55。人生の半分以上、日本。人生で一番みじめだったのは、この『2週間(仮放免)』。(涙で声を詰まらせて)悪いことをしてならしょうがない。私は少なくとも日本で真面目に生きてきた。オーバーステイは理解しているが、なんでこんな目に遭わないといけないのか」
再収容で恐怖が消える?
「2週間仮放免」は3回、再収容は4回に及んだ。サファリさんは、再収容を恐れながらも、収容されたことでその恐怖がなくなるという異常な心理状態に置かれたという。
サファリ「おかしいと思うかもしれないが、(再収容前は)恐怖がとても強い、眠れない、食べ物がのどを通らない、体がガタガタ震えて……、(しかし)入管に行って再収容されて恐怖感がなくなった。逆戻り、地獄みたいなもん……、飯もうまくないし、毛もゴキブリも(食事に入っていることも)、ぜいたく言わないがいいところではない。再収容の恐怖がなくなったのでほっとして」
駒井「再収容された途端、恐怖がなくなる?」
サファリ「はい」
駒井「2019年10月、精神科医からうつ病の診断を言われたときは?」
サファリ「生きている間に元気で楽しく生きたいから、どうせならおもしろく生きたい。2年も3年も閉じ込められて、病気にさせられて、病気にならないと出してくれない。(これが)日本で起きることがおかしい」
駒井(弁護側の証拠写真を示して)「腕に赤い筋(の傷)。相当な数と長さだが、いつ、どのように?」
サファリ「覚えてない。気がついたら付いていた。朝起きてびっくり。ちょっと怖い。自分の精神がおかしかったと思う」
駒井「壁に頭を打ち付けたのは覚えていますか?」
サファリ「入管の職員から、昨日サファリさんが頭を……と言われて」
駒井「19年10月、国連に通報した時の思いは?」
サファリ「自分たちの人権を守ってほしい……、人間として扱ってほしい」
最後に駒井弁護士から「裁判官に訴えたいことは」と聞かれて、思いを込めた。
「いろんな人は、入管は組織だからかなわないとわかっているので裁判しないが、苦しんでいる人たち、たくさんいる。俺たちだけでない。今回、国連が国際法違反と(結論を出したが)、相変わらず(入管は)人の言うことを聞かない。あの中(入管施設)で叫び声、吐いたり、自殺……。あそこは地獄みたいなところ。救えるのは裁判官。法律が少しでも変われば……。私たちは帰れるものなら、帰る、帰れない理由がある。日本に助けを求めている。いい結果が出れば、他の被収容者のためにも(なる)。私は日本が好きだから、好きな国で、俺たちの人権も守ってほしい」
裁判官から異動した国側代理人
それぞれの「主尋問」が終わった後、国側代理人の川勝庸史氏による「反対尋問」があった。
駒井弁護士が語る。
「彼らは難民申請者であって、デニスさんには日本人の妻がいるし、サファリさんは1度、仮放免許可を受けてからは長年ルール違反なく延長されてきた。それなのに、例えばサファリさんの30年以上前のオーバーステイを、何度も何度も俎上に載せて、何となく悪いイメージを印象づけたいだけと感じた。この裁判の本質とは関係がない」
私も同様に受け止めた。象徴的なやりとりを紹介したい。
川勝「奥さんから差し入れのプロテインをハンスト中に食べましたか?」
デニス「ハンスト中は妻は差し入れたことはない。その後」
川勝「入管収容中に大声を出したり、扉を叩いたり、自分は怒りやすい性格だと考えていますか?」
デニス「いいえ、私はすぐ怒るような人ではありません。収容中は大変なストレス、病気に。いまも続いている。(扉を)叩いたりしたのは、私だけではない。私をひどい人間のように言うのはやめていただきたい」
2019年12月、サファリさんは隣部屋のイラン人収容者のために抗議したことから、入管職員に暴行されたという。原因はトイレの清掃用ブラシだった。部屋の中にあるトイレは、低いついたてがあるだけで、周囲からも見えて臭いがひどいという。隣部屋の人は、まだブラシを使うので預かっておきたい旨を告げたが、入管職員は引き渡すように求めトラブルになった。見かねたサファリさんが抗議したところ、5~6人の職員が駆けつけて押さえつけられたという。普段は温厚なサファリさんだが、国側代理人の質問の仕方に強く反論した。
川勝「知り合いを助けようと抗議したのですか?」
サファリ「(抗議は)正しいこと、要は(隣の人が)使うのだから。トイレに扉や壁があれば臭いはしない」
川勝「わかりました。いまも声が大きくなったが」
サファリ「どういう意味だよ。自分たちを棚に上げて、俺、いつ声を大きくした?(当時は)精神的な薬を飲んでいて、全部覚えていない。5人、6人でかかってくれば声を出すしかない。手は出せない」
川勝「あなたは別室に連れて行かれそうになって抵抗した?」
サファリ「しました」
川勝「どのように?」
サファリ「何もしてないのに、抗議しただけなのに、5人も6人も、手や足を思い切り、思い切り頭を押して……」
ちなみに川勝氏は今年3月までは名古屋地裁の裁判官だった。「判検交流」と呼ばれる最高裁と法務省の人事交流は、刑事事件の裁判官と検察官については「裁判の公正さをゆがめかねない」と批判が出て2012年度に廃止された。しかし、民事分野ではいまも続いている。民事といっても、国や自治体への処分取消や賠償請求などの裁判もある。本誌前号の後藤秀典氏連載でも検証されているが、2022年9月には、国などが訴えられた事件を担当していた東京地裁行政部の春名茂裁判長が、その裁判の継続中に異動し、国側で訴訟を所管する法務省訟務局長に就任した。当時、「審判がいきなり相手チームの監督になった」と批判された。
いずれ裁判官に復帰するような人が、一方の当事者である国の代理人を務めることには、大きな違和感を覚える。訴えを起こす人にとって裁判は最後の頼みの綱だ。どこから見ても「公正らしさ」が保たれていなければならない。
この春にも判決へ
「原告本人尋問」は約5時間に及んだ。傍聴席から見る限り、3人の裁判官は真剣に耳を傾けていたと感じた。
尋問の終了後、本多裁判長は、原告側が求めていた国際法の専門家の証人申請を却下した。これは冒頭で触れた第一の争点「日本の入管制度・入管法が自由権規約(国際法)に反して違法か」に関わる部分だ。却下の理由を、本多裁判長は「証人の性質と被告の応訴態度を見ると必要ない」と述べた。すでに専門家から詳細な意見書が提出されていること、原告側の国際法違反の主張に対し、国側が「入管法という法律の手続きにもとづいて収容をしているのだから違反ではない」とのみ述べて、国際法の面では正面から反論していないことなどを踏まえた判断とも思える。そのうえで裁判長は原告側、被告側双方にまとめの書面の提出を求め、次回1月28日に結審する意向を示した。
注目の判決はこの春にも言い渡される可能性が高まった。






