1971年6月9日未明、マンホールからあふれた廃液が側溝に向かって流れ出ている。守る会の生コン投入直後の事件現場(「浦戸湾を守る会」提供)

【短期連載】実力行使の民主主義――高知パルプ生コン事件(1)

坂手洋二(劇作家・演出家。燐光群主宰)

公害を垂れ流す工場を市民が実力で止めた

 3年ちょっと前、『わが友、第五福竜丸』創作準備のため、高知へ行った。子どものとき以来何十年かぶりだった。その劇は、第五福竜丸事件だけではなく、同じようにビキニなど太平洋で核実験のため被ばくした漁船・漁民のことも取り上げた。高知だけで270隻が被害に遭っている。当時、乗組員だった90歳代の漁師たちにインタビューし、彼らの損害賠償を求める「ビキニ被ばく訴訟」の法廷に立ち会う機会もあった。

 そんな中、旧知の、高知大学・環境社会学の森明香助教と再会することになった。彼女も被ばく漁船被害の問題に取り組んでおり、高知入り前に連絡をいただいた。

 「坂手さんは『高知パルプ生コン事件』はご存知でしょうか? 1971年6月9日、高知市内を流れる江ノ口川に廃液を垂れ流していたパルプ工場の排水溝に、4名の市民が生コンを詰めて封鎖した実力行使で、翌年パルプ工場が倒産した事件です。去年(2021年)が事件からちょうど50年で、県立大の教員と、実力行使をした『浦戸湾を守る会』の方と一緒に、50年記念シンポを行ないました。その事件に所縁のある現場を歩く、というのも一案かと」というのである。

 「生コン事件」と聞くと「関西生コン弾圧事件」を連想してしまう昨今だが、内容を知るにつれ、この未知の高知の事件にも惹かれた。「高知パルプ生コン事件」は半世紀前、生コンクリートを使って公害を阻止した、「直接行動による民主主義」の実践だったのだ。

 森助教はアクティヴな人で、高知では、鏡吉原石灰鉱山開発を事業凍結に追い込んだ住民運動もサポートしていた。彼女がまだ大学院生だった頃、熊本で球磨川・川辺川の環境問題に取り組んでいて、ダム湖に沈むかも知れなかった五木村で出会ったのを憶えている。私がその取材で作品にまとめたのが、ダム問題と過去の社会運動について描いた『帰還』(2012年・民藝 山下悟演出 大滝秀治主演)だった。

 彼女は高知に来て以来、自分の生まれる前に起きたこの事件に強い関心を持ち、過去資料を網羅した『高知パルプ生コン事件をめぐる100冊』という資料集まで編んでいた(吉川孝共編)。

 森さんの案内で、江ノ口川沿いの祈念碑のある城西公園、旭町の廃液を投入したマンホールと元パルプ工場の周辺、江ノ口川支流の新堀川などを回った。

 新堀川は、街中にありながら、生物多様性と江ノ口川の回復を象徴する場所で、そこに都市計画道路案が持ち上がったが、橋本大二郎知事時代に凍結されていた。しかし2016年から再び計画が動き出し、市民運動の反対にもかかわらず道路建設が強行され、美しい川筋は車道拡大の犠牲となり、不自然に変形させられていた。

 一昨年の『わが友、第五福竜丸』高知公演は、熱気ある反響を得た。その際も地元関係者の皆さんから、「ぜひ『生コン事件』を取り上げてほしい」と意向を伝えられた。事件の中心人物・山崎圭次氏が立ち上げた〈浦戸湾を守る会〉を受け継ぐ田中正晴事務局長からも資料冊子を渡された。本稿の情報は田中氏の「報告」に負うところが多い。

高知の戦後復興と紙パルプ産業

 事件に至る経過は以下のようなものである。

 明治以降、高知では製紙産業が発達しており、原料のコウゾが盛んに栽培され、戦前には年間6000トンあまりの和紙を生産し、全国1位を誇っていた。

 戦後、パルプ工場の設置認可申請が出された場所は、敷地が狭く人口密集地区に位置する、旧製紙工場跡地だった。空襲で高知の街の中心部は丸焼けとなったが、戦災を免れた旭地区は栄え、闇市の賑わいもあった。

 その計画の時点から漁民を先頭にパルプ工場立地反対の住民運動が起きた。1947年1月から工場建設が始められ、公害防止協定が締結された。その誓約条項は現在から見ても、きわめて強固なものだった。

 工場は公害に対し無過失損害賠償責任を持つ。公害監視と賠償業務のために、地域住民が過半数を占める管理委員会を設ける。工場は賠償原資として200万円を銀行に預託し、その取扱いを管理委員会に委任する。賠償不可能な損害が生じたときには操業を停止し、対策の見通しがつかない場合は委員会の決議をもって工場を閉鎖する。

 このような厳しい協定がありながら、なぜ公害が発生したのか。一つの要因は、初動の工場建設はこの後、インフレにともなう不況のあおりで中断され、挙県的事業として後援してきた県、市、地元経済界が再建のため代替企業を求め奔走し、それに応じたのが隣県愛媛に本拠を有する大王製紙だったことだ。「誘致され、呼ばれたから来た」という尊大さとそれに忖度する行政という構図が、ここから始まっている。

 大王製紙が投資し高知製紙から分離独立させたのが、「高知パルプ」の前身、「西日本パルプ」である。1951年、操業開始。当時のパルプ製造は、希硫酸にチップを投じて煮込み、セルロースを抽出。その過程で発生する高濃度の硫化水素を含む廃液が、無処理のまま会社裏の小川に垂れ流された。

坂手洋二

劇作家・演出家。燐光群主宰。1983年燐光群旗揚げ。『屋根裏』『だるまさんがころんだ』などで岸田國士戯曲賞、鶴屋南北戯曲賞、読売文学賞、紀伊國屋演劇賞、朝日舞台芸術賞、読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞。戯曲は海外で10以上の言語に翻訳され、出版・上演されている。日本劇作家協会元会長。国際演劇協会日本支部理事。

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