特集「大阪デモクラシー 維新政治の先へ」
「修学旅行に連れていけないと言われました。わたし、だめですか」
2学期が始まってすぐ、私にかかってきた電話越しのメイワの声は沈み、ため息交じりだった。
彼女は大阪府内の高校2年生。本来なら高校生活のもっとも楽しい時期だ。しかし、彼女は落胆していた。それもそのはず、在学中の最大の行事とも言える修学旅行に参加できないとあらば、失望は大きいだろう。私に連絡してきたのは、ほかに相談する先がないからで、いつでも連絡しておいで、と以前にやりとりしていたことを彼女は思い出し、無料通話アプリを使ってかけてきた。
学費滞納――皆で知恵を寄せ合う
事情はこうだ。滞納中の学費があって、担任の先生が彼女に、その支払いが終わらないと修学旅行の参加は難しいと言った、というのだ。その学費滞納は姉の分だ。総額が大きく、家計を担う母の収入状態から見て、修学旅行前までに支払える金額ではないという。担任の言葉を伝え聞いた姉のチュリンもまた、「私のために妹は行けないんですか」と隣でささやく声があった。
この家族は、タイ出身。母子家庭で、母親は派遣で働くが就労は不安定で、収入の波が極端だ。母親は職を変えようと懸命に探しているが、今のところ思い通りいっていない。年中、生活費に困っている状況だ。以前も姉妹から通学のための電車賃がない、またあるときは食べ物がないと連絡がきたことがあった。そのたびに応急措置を講じるが、それはいつも付け焼き刃で、この母子の困窮は本当に深刻だと注視してきた。ほかに頼るところがないので、半ば私の存在が最後のセーフティネットになっているところもあり、私にできることはやることにしている。
修学旅行に行けないと落胆する妹、「私のために」と自分を責める姉。日本語が不十分な母親は詳しい事情がわからず、またわかったとしてもどうすることもできず、姉妹の姿をただただ見つめるだけだった。「あまり気を落とさないように。学校と相談してみるからね。きっとなにか方法がみつかるよ」と受け答えた。私の中ではっきりと解決策が浮かんでいるわけではないが、とにかく学校と話し合うしかない。ぜったいに冷淡なばかりではないはずだ。「この子を参加させてあげてほしい」と頭を下げるしかないと、腹をくくって学校に連絡した。
以前から知り合いの人権担当の先生に連絡し、事情を説明。必要あらば学校に行き、私にできることはする、何か文書を交わしてもいいと伝えて、メイワの修学旅行参加を許可してほしいとお願いした。その先生は、事情を把握していなかった。まずは経緯を確かめてみるので、しばらく時間がほしいと電話を置いた。
それから数時間がたって夕方。ほぼ勤務時間も終わりかけであろう時間帯に返事があった。
まずは、姉だけでなく、妹のほうにも学費滞納があったとのこと。ただ、担任によれば、「連れていかない」と言明したわけではないという。「学費滞納分の支払い」という言葉がメイワに強い印象として残ってしまったかもしれないと語ったという。そのうえで、「実は」と、高校無償化により秋ごろに支援金が大阪府から下りてくるので、それをそのまま支払いに回せれば滞納額が相当に圧縮できるとし、それは可能だろうかと逆に質問してきた。支援金は修学旅行後に入る。清算が少々遅れたとしても、「私たちもメイワを修学旅行にぜったいに連れていきたい」と言い切ってくれた。私がお母さんにそのことを話すので、そのアイデアをもって参加決定してあげてほしいとお願いした。
この学校は私学。公立高校に比べると学費問題には過敏にならざるをえない。ただ、学校も姉妹の家庭内事情をよく理解してくれていて、もう卒業したチュリンも含めて、お金のことで教育活動に参加できないという状況だけは作り出したくないと思ってくれていた。一方、学校だけの努力では限界があるので私の力も借りたいとのこと。私も、もちろん、と答え、引き続き学校と連携しつつ、メイワの卒業、進路に向けて双方が協力していくことを確かめた。
修学旅行に行けるよ。その言葉にメイワはとても喜んだ。そしてチュリンも胸をなでおろした。ただ、卒業までにさらに経費は膨らむ。支援金などを活用しながら滞納分を減らしたとしても、卒業までに全額を支払えるか、なかなか見通しは暗い。母子家庭であるうえに、日本語が不自由な外国人家庭であることによる幾重もの壁。声をあげづらい、または声をあげても届きづらい、こうした母子の存在が公的支援の対象にしっかり組み込まれるように、学校だけでなく、市役所などとも連携を深めていく必要がある。
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