大阪から教育の希望を紡ぐために――維新政治のもとの学校で起きてきたこと

平井美津子(大阪府公立中学校教諭、大阪大学・立命館大学非常勤講師)
2024/12/05

 特集「大阪デモクラシー 維新政治の先へ


 この言葉を生涯忘れることはないだろう。それは、2018年10月17日に私が教頭から告げられた言葉だ。

 「もう二度と『慰安婦』を教えないと言ってください」

 2018年10月3日、高知新聞をはじめ各地の地方紙に、共同通信配信のシリーズ「憲法マイストーリー」が掲載され、私がこれまで行なってきた教育実践が紹介された。見出しは社によって多少の違いはあるが、「自分が『慰安婦』にされたら」「『慰安婦』もし自分なら」という生徒に当事者性を問うタイトルが付けられた。記事は、記者が教室で見た私の日本地理の授業「オリンピックが開催される東京」や私へのインタビューで構成されていた。この授業は地理学習だったが、戦時中に開催が予定された東京オリンピックが戦争で中止になったことに触れ、平和でなければスポーツや文化を享受できないことを考えることを導入にしたものだった。記事の中盤以降は、「慰安婦」問題や沖縄戦といった戦争の授業にこだわってきたことについての私へのインタビューが主になっていた。ここに一つ私の瑕疵(かし)があった。それは、記者の学校内における取材について管理職の許可を得ていなかった点だ。

 記事がSNSで拡散されると、学校の電話が鳴り始めた。事態を重く見た管理職は、緊急生徒集会を開く決定をした。保護者向けプリントに「平井先生はもう『慰安婦』の授業はしない」と約束していると書いて鎮静化を図ろうとした教頭は、「もう二度と『慰安婦』を教えないと言ってください」と私に迫った。新聞記事には私が「慰安婦」の授業をしてきたことは書かれていたが、それでなぜ「慰安婦」授業に問題があるかのように受け取られるのか、私には理解できない。

 沖縄戦「集団自決」や「慰安婦」問題を授業で取り上げ、様々な批判を受けてきたことは過去にもあった。しかし、管理職から「教えるな」と言われたことはなかった。ユネスコの「教員の地位に関する勧告」 にある「61. 教員は、職責の遂行にあたって学問の自由を享受するものとする。教員は、生徒に適した教具及び教授法を判断する資格を有しているので、教材の選択及び使用、教科書その選択並びに教育方法の適用にあたって、承認された計画のわく内で、かつ、教育当局の援助を得て、主要な役割が与えられるものとする」という条文は管理職ならば必ず理解しているはずだ。その理念を踏みにじる発言に耳を疑った。

 「先生にそんなことを決める権限はありませんよ」

 「いえ、この問題を収めるためにはこの文言を入れないとダメなんです」

 「これはうちの学校の問題だけじゃなく、学校教育そのものに禍根を残すことになりませんか。外部から攻撃されたら、そうやって教育の自主性を投げ出すんですか」

 「学校を守るためです」

 「教育課程の編成権を放棄することになりますよ。私は絶対に容認できません」

 「それでもこの文言を入れないと収まりません」

 最終的に、「『慰安婦』の授業はしない」という文言を入れることだけは阻止できた。19日に配布する保護者向けプリントには、「新聞報道について」として、私の授業が掲載された新聞記事がもとでSNSへの書き込みが起きたとして、写真が掲載されたことへのおわびと、記事に記載された内容はほとんど過去のもので、実際に地理の授業で「歴史的事象」は教えていないということなどが書かれた。配布されたプリントには「慰安婦」という語句は「歴史的事象」とされた。SNSでヘイトスピーチさながらの文言を拡散する顔の見えない人々の悪意が学校現場を攪かく乱らんした。プリントに「慰安婦」を教えないという文言は入れなかったものの、その後も管理職は執拗に「『慰安婦』の授業をしないでほしい」と言いつづけた。ここで展開されたような問題はどのようなことを前提にして起きているのか、次に考えてみたい。

なったらあかん人が知事に

 2008年1月、橋下徹氏が大阪府知事に立候補したとき、暗澹たる気持ちになった。橋下氏にいい感情を抱けなかったのは、テレビで見る彼の姿からだ。自分に敵対する人を口汚く論破する様子に、彼が府知事になったらきっと同じような言動をするのではないかと思ったからだ。過去にも大阪府では横山ノック氏が圧倒的な支持を得て当選し、とんでもない性暴力事件を起こした末に辞職したことがあった。タレント出身の知事に強い忌避観があった。在阪メディアは視聴率を取るために毎日のように橋下氏に関する報道を流した。ある日、日本一長い商店街と言われる天神橋筋商店街を歩いていたところ、テレビ局につかまり、「橋下氏が府知事になることを支持しますか? しませんか?」と問われた。私は、ここぞとばかりに「ぜーったい支持しません。あの人がなったらとんでもない府政をやりかねません。府民の声なんか無視してやっていきますよ。私はあの人はなったらあかんと思います」と力説した。翌日の夕方、保護者から「先生、見ましたよ! よかったわー! ズバッと言ってくれて! さすが大阪のおばちゃん代表!」というメールがやってきた。あのインタビューがテレビで流れたのだ。冷や汗が出た。そんな私の想いも虚しく、2008年1月27日、橋下氏は圧倒的な得票で大阪府知事になった。そこからは予想した通りだった。

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平井美津子

(ひらい・みつこ)大阪府公立中学校教諭、大阪大学・立命館大学非常勤講師。著書に『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』(高文研)、『近現代史を子どもにどう教えるか』(同、共著)ほか多数。

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