【連載】山椒のひとつぶ(第3回)大地に染み込んだ哀しみと金城実

辛淑玉(ヘイトスピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表)
2026/07/04
Magazine cover design: a pink plate with a blue rim, a vertical orange-bordered title panel, and curved Japanese text along the edge.
韓国の光州市で1980年5月20日、反政府暴動の参加者に棍棒で襲い掛かる陸軍降下部隊の兵士。ロイター/共同

 彫刻家、金城実さんと初めて会ったのは、もう20年以上前だ。

 もちろん酔っぱらっていた。

 テレビの取材のため一人でカメラを担いで沖縄読谷村までインタビューに行ったのだが、出来上がった金城さんはまっすぐ立っていられず、何度撮り直してもフレームから外れてしまう。頭を抱えて、どうしようかと一瞬目をそらしたら、今度は視界から消えていた。

 慌てて周囲を見渡したら、なんと立ちションしていた。

 私は、固まった。

 朦朧としながらチビチリガマの裏にある彼のアトリエにたどり着いた瞬間、作品を見てさらに固まった。

 強烈な叫びが聞こえてくるような彫刻。こんなの、今まで見たことがなかった。

 私は、いわゆる「彫刻」が苦手だ。街を歩けば女の裸の像が並び、企業に行けばむさ苦しい創業者の彫像が偉そうに置かれ、何かの賞を受賞したという作品も、歴史性も政治性もない、ただそれっぽいだけのものばかり。

 うんざりだった。

 しかし、金城実の作品は違った。彫刻が生きて迫ってくるようで、恐ろしかった。

 そのすさまじいエネルギーに圧倒されてアトリエでポカーンとしていると、急に後ろから殴られた。

 本当に殴られたのだ。ボコスカと。

 そして「部落とチョーセンが上品でどうする! もっと野蛮になれ!! 野蛮になれ!!!」と。

 金城実は、飲む前と飲んだ後では、キャラが天と地ほども異なる。飲酒前は、まるで生真面目な英語の先生だ。おそらくその繊細さこそが彼の素なのだろう。しかし、飲むと何かがのりうつる。

 繊細であるがゆえに、飲まなければ耐えられない歴史の現実、その慟哭を、彫刻という形で吐き出しているように見えた。

 虐殺され、差別され、言葉も民族性も奪われ、基地を押し付けられ、今なお憲法番外地で泣き寝入りを強いられている沖縄の大地の哀しみが、酒とともにのりうつるのだ。

 彼から学んだことは多い。

 「シュールって何かわかるか?」と聞かれ、現実離れした、とか、不条理な、奇抜な、夢の中のような、かなぁ、と答えると、彼は「軍艦マーチが流れるパチンコ屋の屋上に置かれた自由の女神のオブジェだよ」と喝破した。

 パチンコという、正業から追いやられたマイノリティの生活の糧の象徴と、金と戦争と強者の「自由」の象徴が、混然と溶け合うさまのことだと。

 そして、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』(1830年)の女神はなぜ上半身裸だと思うかと問うてきた。

 この作品は、フランス革命の自由の精神を描いた、最も有名な作品だ。一般的な解釈では、中央の女性(マリアンヌ)は「自由」を擬人化したもので、胸がはだけた状態で、革命の象徴である赤・白・青の3色旗(トリコロール)を掲げており、少年、労働者、知識人(シルクハットの男)など様々な階層の人々が団結して戦う様子が描かれているとされている。

 しかし、金城実の読み解き方は違っていた。マリアンヌは「娼婦」で、その右にいるピストルを持った少年は「ヤクザ」で、この絵は社会の中で最も抑圧された者たちが立ち上がったさまを描いたのだと。

 そう言われても、マジョリティとして生きてきた人にはピンとこないだろう。

 「ヤクザ」というものが、差別によって作られ、権力によって利用され、そして法律によって抹殺された存在であるという見方をしている人は少ない。

 そもそも、テレビや映画、漫画の世界のヤクザは幻想に近い。差別されたことのない者にとって、非合法の「任侠の世界」など生涯無縁なのだから、まさに空想の産物なのだ。

 そして、「娼婦」。

 沖縄は、性搾取の集団的被害者でもある。

 戦時中は日本軍の慰安婦にされ、米軍占領下では生きるために米兵を性接待して命をつないだ。日本への「復帰」後も、米兵が自分の強さを確認するための強姦殺害が繰り返されている。

 沖縄の日本復帰は、占領からの解放ではなく、アメリカとヤマトによる二重支配の完成でしかなかった。それを象徴する1995年の少女暴行事件には、沖縄の終わらない哀しみへの怒りが爆発した。

 1980年5月、韓国光州では、民主化を求める人々に対して全斗煥将軍が2万人以上の軍隊を投入して反対派の抹殺を図った。

 虐殺された多くの遺体が置かれた場所で、血まみれの遺体を一つひとつ丁寧に拭いていたのは酒場で働く女性だったという。遺体が捨てられないよう見張っていた青年は、その後の銃撃戦で殺された。

 光州蜂起に参加した若者が、「なぜ市民軍に参加したのか」という質問に、「今まで生きてきて、一度も人間として扱われたことがなかった。でも市民軍に参加したら、多くの人たちから食事を振る舞われた。こんなに暖かいおもてなしを受けたのは初めてだった。生まれて初めて、人間として扱われた。だから、最後まで闘わなければと思った」と答えた記録がある。

 そんな彼らを「アカ」だとする物語が権力によって作られ、彼らは政権の正統性のためには殺していい存在として始末された。

 あのとき光州で立ち上がった人たちの多くは、学生にもなれなかった人たちだ。まさに、ドラクロワの伝えたかった世界がそこにはあった。

 金城実にしか見えない世界があるのだ。

辛淑玉

(しんすご)ヘイトスピーチに抗する市民団体「のりこえねっと」共同代表。主な著書に『怒りの方法』(岩波書店)、『せっちゃんのごちそう』(NHK出版)ほか多数。

地平社の本

CHIHEI Podcast

Protest on a stage with people holding bright pink banners and Japanese text behind a speaker at a mic.
Previous Story

【連載】歌舞伎町で。(13)風俗業者側の呆れた論理

Next Story

トラブル続発の柏崎刈羽原発――制御棒問題と東京電力の技術的劣化

2026年8月号(最新号)

Magazine cover with a white koi fish swimming left against a blue-purple background and large pink vertical Japanese title text on the right side.