【連載第1回】歌舞伎町で。(1)差別と排除のなかで置き去りにされる少女たち
誰も少女を守らない街
「おはよー。今日ご飯食べた?」
歌舞伎町の夜の街を、少女たちに声をかけて歩く。「今日暑いね」「最近どう?」「アメいる? 何味がいい?」と他愛もない話をしながら、その日のその子の表情や体調、生活状況を気にかけ、街の様子を教えてもらう。少女たちを取り締まる警察の動きにも注意を払い、彼女たちと情報交換をする。「今日何も食べてない。まじでお腹すいてるんだけど、まだ稼げてないから行けない」と話す少女も少なくない。彼女たちは路上で「客待ち」をしている。15歳から20歳前後の女性を中心に、12歳、13歳の少女もいる。
話しかけられたくないと態度で示す少女たちもいるが、何度も声をかけていくうちに、連絡先を交換したり、名前を呼び合ったりする関係になることも多い。近くで見張りに監視されている少女たちは、性売買業者から私たちを拒絶するよう指導されているが、見張りの男たちが彼女たちを守ることはない。
例えば買春目的の男が女性にしつこく絡んでいたり、買う気もないのに金も払わず会話をしたがる男がいたり、友人同士で冷やかしにやってきた男たちがいたときにも、彼らは何もしない。少女たちを値踏みに来た男たちは、「いくら?」「どこまでできる?」と聞いたのち、女性から冷たい態度をとられると豹変し、「ブスが!」と暴言を吐き捨て、唾をはいたり、女性たちをあざ笑ったりすることがよくある。無視された腹いせに暴力をふるう男たちもいる。
歌舞伎町には毎晩、買春男性が100人以上、少女や女性を性売買に誘導するスカウトも200人ほどがいて、それ以外にも女性を管理する性売買業者の男たちや、女性に借金を背負わせ性売買に斡旋するホストなどが多数活動しているが、歌舞伎町で少女や女性が暴力をふるわれているとき、それを止めに入る男性を私は1人も見たことがない。
OD(オーバードーズ、薬の過剰服薬)した少女が少年たちに乱暴に扱われ、泡を吹いて倒れていても、区の雇った警備員も警察も、何もしてくれなかったこともある。ホストから逃げ惑い、捕まって首を絞められている女性がいたときも、女性が逃げ込んだコンビニ店員も他の客たちも彼女を助けることはなかった。野次馬がたくさんいても、「大丈夫?」と女性に声をかけ、「警察呼びますよ!」と暴力をふるう男に立ち向かっていくのは私だけだった。そんなことは、この街ではしょっちゅうある。そして、彼らは警察が役に立たないことも知っているから、「呼べば?」と開きなおる。
大人たちへの絶望
少女たちが社会から見放され、女性の人権がないものとして扱われる街。目の前で数々の差別や暴力が繰り広げられていても、誰も咎めない街。むしろそのことによってお金が回り、成り立っている街なのだ。
路上に立つ彼女たちの背景には、貧困や虐待、彼氏からのDV、奨学金の返済やホストからのグルーミング、消費者金融や闇金からの取り立て、心身の不調や障害など、さまざまな困難がある。
これまで、大人に助けを求めた経験がある少女も多いが、多くの場合、そこで適切な対応をされないどころか、傷つけられている。助けを求めた児童相談所や警察、学校で、家出や性売買を繰り返していることを、被害としてではなく、「非行」として捉えられ、指導や矯正の対象として扱われた経験のある人も少なくない。そうした経験から、誰かを頼ることや、他者を信じることを諦め、自分のこれからの人生にも期待しないようにして生きている人も多い。
彼女たちが抱えさせられている困難は、個人の責任ではなく、社会の構造的な暴力や差別によるものであるが、ほとんどの少女たちが自己責任だと思い込まされている。
「自分が悪いのだから」「どうせ自分の気持ちや抱えている困難を話したところで何にもならないし」。そう思わされる経験を繰り返してきた少女たちは、大人に関与されることを嫌がる。「放っておいてほしい。うざい。どうせお前に何もできないくせに」。20年前の私もそう思っていた。
だけど今、街でそのようなことを少女から言われることは、ほとんどない。彼女たちは、大人にそのような気持ちをぶつけることすら無駄だと思っているからだ。
「自分でなんとかするしかない」と少女たちは、その日、その晩を生き抜くために、どうするかを考える。街やネットで声をかけてくる人の中から、自分に関心を寄せる人の中から、よりマシな、安全そうな人を選ぼうと考えるが、その中に「安全」なんてない。頼れる大人とのつながりのない子どもたちを探し、声をかけているのは、手を差し伸べようとする人ではなく、性搾取を目的とした人ばかりだからだ。
Colaboへの妨害と被害の拡大
私たちは、夜の街をさまよう少女たちを探し、声をかけて、つながるアウトリーチの活動を10年以上、続けてきた。2018年には、夜の歌舞伎町にピンクのバスとテントを広げ、10代少女向けの無料の「バスカフェ」を開き、食事やスマホの充電、休息の場の提供を始めた。
今では世界に名を知られる性売買スポットとなった大久保公園周辺では、当時、私たちが少女たちに声をかけるために赴くと、性売買業者らがフルスモークの車をすぐに持ってきて、少女たちを押し込んで連れて行ってしまっていた。その頃、そうした少女たちが「売られ」ている場所に出向き、彼女たちに声をかけてつながろうとする女性や団体は他になかったので、業者に警戒されていたのだ。
それが今では、私たちは業者と買春者の嘲笑の対象となった。2022年にColaboに対する会計不正などのデマが拡散され、Colaboの活動に対する深刻な妨害が発生した。性売買業者や女性の権利を踏みにじることで利益を得てきた人たちがそれを下支えし、資金提供も行ない、バスカフェへの突撃など妨害が深刻化した。
当時、Colaboは東京都の委託を受けて、新宿区とも連携していたが、行政は妨害から少女たちを守るのではなく、「危ないから」とColaboの活動を中止させ、バスカフェを新宿・歌舞伎町から追い出した(その後、私たちは別の場所で市民の寄付で活動を続けている)。
それは女性差別の思想を持つ人たちや性売買業者らの成功体験になり、その後、少女を取り巻く街の状況はこれまでになく悪化し、被害が拡大している。私が街を歩くと「仁藤さんじゃん! おつかれい!」と笑いながら撮影されたり、「お前らのことなんて誰も守ってくれねえよ」「歌舞伎町から出てけ」と業者や買春者の男たちに言われるようになった。
自称「支援団体」の跋扈
Colaboに対する妨害が激化した2022年は、女性支援法が成立した年だ。
私も厚労省の検討会の委員を務め、性搾取の実態と少女支援の必要性を訴え、法制化に携わった。若年女性支援が予算化されると、男性が中心となり「俺が少女を守ってやる」という差別的な目線で活動し、性売買業者とつながる人たちも若年女性支援団体を名乗り、入り込むようになった。
東京都がトー横に集まる青少年支援の名目で開設した「きみまも」では、支援施設内での少女への性加害や性売買への斡旋が事件となった。新宿区長は「困難な課題を抱えている若年層の受け皿での事件は避けられないこと」「屋外で起きていれば泣き寝入りになった可能性もある」とXで発信し、施設を擁護した。「きみまも」には開設当初から少女たちを性売買に斡旋する男たちが出入りし、寝床にしているのを私はこの目で確認、問題を指摘していた。
Colaboに代わって東京都の補助金で活動するようになった「駆け込み寺」(公益社団法人日本駆け込み寺)の元代表は、YouTubeの有名番組に出演し、「立ちんぼ」という差別的な言葉で女性を指し、自団体のアウトリーチについてくれば生の実態、「ドキュメント」を撮影できると提案。子ども食堂の開催日には「たっぷり撮りごたえある」などと話している。性売買のなかにいる女性や家出した子どもたちを見せ物のようにして扱いながら、「女性、子どもを守るのがもともとの信念や」と話していた。
実は、私は「駆け込み寺」の相談員に、歌舞伎町で声をかけられたことがある。なんと、18歳未満向けの子ども食堂と「きみまも」に来ないかと誘われた。東京都の補助金によって行なわれるアウトリーチ事業だろう。どう考えても私は未成年には見えない。相手を見ず、形だけの「支援」をしていることは明らかだった。
この団体ではつい先日、事務局長が相談者に薬物を勧める事件が起きた。事件を受けて退任した元代表は取材に対し、自分のこれまでの功績が踏みにじられたという話ばかりしていて、相談者のことを気にかけるような発言や態度は一切ない。ある少女は事件後、駆け込み寺を訪ねると「もうやってません! 文句があるなら東京都に言って!」と怒られ、追い出されたという。
他にも代表だった40代の男が17歳の少女に性加害したとして逮捕された「オウルxyz」など、男性を中心とした自称若年女性支援団体が次々と立ち上がり、代表やスタッフによる少女への性加害が後を絶たない。私はこのような団体の実態を、行政や与野党の議員、メディアに伝えつづけてきたが、相手にされなかった。そして、被害は拡大した。
彼らは「子ども食堂」などを開催し、そこに集まる子どもたちの様子をSNSで顔を隠すこともなく発信してネタにし、活動を議員やメディアに売り込み、取材や視察を次々と受け入れていた。街で出会う少女たちからは、それらの団体に行くとSNSに晒される、利用者の男性たちから触られる、スタッフから性的な目で見られたり、「男の人と話すのが好きなんだね」と言われた、家出中とわかると警察に突き出された、実際には食事の提供がほとんど行なわれていなかったなどと評判を聞いていた。
数年前までは、街にいる少女に声をかけ、つながろうとするのは買春者かColaboくらいしかなかったが、妨害以降「支援団体」を名乗って少女につながろうとする人たちが急増し、そうした団体が「アウトリーチ」や「食事の提供」を始め、「支援」とは到底言えない活動を続けたことで、少女たちのなかで、声をかけて来る団体への不信感が広がり、これまで以上に支援に繋がりにくくなっている。
市民もメディアも議員も、そうした活動に騙されるのは、少女を弱いものとして扱い、搾取や暴力を生む構造を温存しながら、少女支援を理解しているかのような良い気分にさせてくれるのがそうした団体だからだろう。本質的な問題に切り込んで男社会からの攻撃にあうのは嫌だし、自身の加害者性に向き合い、弱者を踏みつけることで得てきた地位やプライドを手放すのが嫌だからではないか。
Colaboとつながる前までは、今日何を食べ、どこで寝るか、その日を生きることで精いっぱいだった少女たちが、体を売らなくても生活できる環境があってはじめて被害を認識することも多く、その傷やトラウマに向き合うことは容易ではない。シェルターなどで、自身のこれまでやこれからを考える時間ができたとき、痛みや怒りを感じるようになり、心身に不調がでることも当然にある。その痛みや怒りを分かち合ったり、社会の構造的な暴力を共に見つめる他者との出会いや関わりを通して経験を再解釈し、自分に力があることを認識していく。
「少女を守る」と語るおじさんに騙されてはいけない。彼らが守っているのは男社会の構造である。少女を弱いものとして扱う思想や目線は、男社会に少女たちを縛り付けるものであり、少女たちの被害からの回復や自立を遠ざけている。
そうした「支援」を絶賛することを市民がやめて、内面化された女性差別に向き合うことが必要だ。少女たちが自分の人生を歩んでいけると思えるようになるためには、男社会からの脱却が必要だ。(つづく)