【連載】歌舞伎町で。(3)「家族の助け合い」という言葉が隠すもの

仁藤夢乃(一般社団法人Colabo代表)
2025/08/10

【連載第1回】歌舞伎町で。(1)差別と排除のなかで置き去りにされる少女たち
【連載第2回】歌舞伎町で。(2)「少女を守る」と胸を張るおじさんたちが守りたいもの

 「家にいられないとき、声をかけてくるのは体目的の男の人だけだった。そういう人しか自分に関心を持たないと思っていたし、頼れるのはそういう人だけだった」。そう話したのは、中学2年生の少女だ。

 また別の17歳の少女は、「まわりの大人に助けを求めても、誰も助けてくれないし、知らない男の人に声をかけられて、嘘でも同情してもらえるほうが気持ちが楽になるから。知らない人について行って、殺されるかもしれないけど、他に行けるところがなかった」と、泣きながら話した。

 彼女たちは家で虐待され、学校や児童相談所、警察などに助けを求めたものの、家に戻される経験を繰り返し、大人を頼ることを諦めた先で、「泊めてあげる」と声をかけてきた男たちに性を買われ、性搾取の被害に遭っていた。

家族神話――価値観の押し付け

 日本では、家族は一緒にいることが幸せであるとか、それが本来の形であるといった価値観が福祉の分野にも浸透している。児童相談所でも職員が、保護された子どもをいかに「家庭復帰」させるかに重きを置いて対応したり、「家族は一緒にいたほうがいいと思う」「あなたのためだ」と子どもを説得しようとしたりすることがよくある。

 家に帰りたくないと訴える子どもに対して、その背景にある問題に介入して状況を改善させたり、家以外の場所で生活できるように選択肢を用意したりすることもなく、「家に帰らなかったら、どうやって生活していくつもりなの?」と子どもに責任を押し付けるように話をし、諦めさせようとする場面を目撃したことも何度もある。もちろん、私たちColaboは、そのような対応を目にしたときには、その場ですぐ抗議し、対応と方針を改めるよう申し入れる。すると、「家族を壊すようなことはしてはいけない」と言われたことがある。この社会には、親子は一緒にいるほうが幸せだろうと思い込んでいる人が多くいる。

個の尊厳よりも家族が尊重される危うさ

 自民党の改憲草案24条1項には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」とある。これを読んだ時、私はぐったりした。自分たちの尊厳が脅かされる、子どもや女性たちの命が危険にさらされると身をもって実感するからだ。

 個人として尊重されるのではなく、家族という単位として扱われる。そして、その単位での助け合いを国民が義務付けられ、強制されることで、家庭内で起こる虐待やDVなどの問題はこれまで以上に自己責任とされる。福祉はさらに衰退し、弱い立場に置かれた人や傷ついた人のケアは今まで以上に軽視され、家庭内で力を持つ者と、そうでない者との力関係は固定化されるだろう。「家族は互いに助け合うもの」という価値観は、約80年前の民法改正で家制度が廃止されてからも強く残る家父長制の影響を色濃くし、男社会の権力構造を温存するものだ。

世の中が見えない議員

 2017年、私は自民党の一億総活躍推進本部「女性活躍・子育て・幼児教育プロジェクトチーム」の勉強会に呼ばれた。女子高生を性的に商品化するJKビジネスや買春など、少女性搾取の問題について話をしてほしいと依頼され、被害の実態を伝えた。驚いたのが、当時国会議員だった赤枝恒雄氏から「1990年代から渋谷で街角相談室をやってきた私がたくさんの子どもを見てきた経験上、お母さんとのコミュニケーションがあれば、そうならないんですよ。お母さんに何でも言える人は性被害にはあわない。大丈夫なんですよ」と言われたことだった。

 性被害は母親のせいではない。加害者の存在や、加害者を生み出し、野放しにする社会の問題であると反論するも、赤枝氏は「母親が愛情をかけないといけないと思う。せめて17時までには帰宅する。お母さんはそれができないといけない。父子家庭なら父親が母親役もしないといけない。母子家庭なら母親は父親役もする。それができないといけない」と持論を展開した。

 母親や父親だけでできないことは、どんな家庭にもあって当然であり、地域や社会で支えていく必要があること、居場所がなかったり、頼れる大人とのつながりを持たなかったりする子どもたちが性売買に誘導されるのは、「お母さん」のせいではなく、地域に居場所と思える関係性がないことや、福祉が機能していないこと、そして、そうした子どもを狙う大人がいるからである、そう伝えても、「家庭の中で家族がやらなきゃいけないんだよ」と言われた。君は本当に世の中のことをわかっていないなあ、僕が教えてあげるよ、という態度だった。

 性暴力の問題を母親のせいにする彼の土俵に乗りたくはなかったが、17時に家に帰れる母親なんて少ないし、子どもとの時間をつくりたくてもお金がなくて夜遅くまで働かないといけない人もいること、女性の給料は男性に比べても低く、そうやって働かないと生活していけない人もいることを伝えると、「そんな特殊な事例を基準に考えちゃだめだよ」と言われた。

 いかに世の中を知らずに政治をやっているのか。そして、根深い女性蔑視がこうした男たちをいかに愚かにさせているかを実感した。女性差別を内面化した彼の目には、貧困を生み出す社会の構造や、性加害者の存在や問題は見えないのだ。

 やりとりの最中、女性を含む他の自民党議員は、赤枝氏の発言に深く頷き、私の反論を抑えようとしていた。こうした周囲の態度を変えさせ、彼が裸の王様であることを多くの人が理解し、指摘できる社会にしなければならない。

 そのためには、市民の人権を尊重せず、社会問題を解決しようとせず、「一億総活躍」「女性活躍」という言葉を使って、国家のための「人材」として市民の活用を推進する、そのために家族という「単位」で人々を扱い、「家族の助け合い」を国民に押し付けることの問題を、このように自分たちの生活と結び付けて考え、言葉にしつづけなければならない。

頼っても仕方がないという学習

 自民党政治を批判する人たちのなかにも、「家族は互いに助け合うもの」という価値観を身につけて、それを基準に他の家族を評価したり、子どもの家出や非行、その背景にある虐待などの社会問題に当てはめていたりする人は少なくない。それがなぜ問題なのか。

 「親を悪く言いたくない」「親を悪く言ってはいけない」という想いから、家族との関係について困っていることを誰にも話せずにいる子どもは、多くいる。それは、大人たちが家族神話を温存し、家庭や生活のなかでの権力構造や暴力に目をつぶってきたからだ。

 私も中高生時代、家に帰れない、帰りたくない状況があっても、家で起きていることを学校などで言いたくなかったし、言ってはいけないと思っていた。自分が今つらいのは、親の期待に沿えない、期待される役割を全うできない自分のせいだと思っていた。それは、小さい頃から、家族は互いに愛し合うものだとか、親には感謝しなさいということを様々な形で教えられてきたからだったと思う。

 その一方で、自分には権利があること、そして、その権利や尊厳を侵害することや、自分の意志や選択を尊重せず、暴力を振るったり、精神的に追い詰めたり、食事を抜いたりすることは、暴力であり、虐待であり、人権侵害であること、一人ひとりには安心して眠り、食べ、学び、暮らす権利があるのだということを、大人は誰も教えてくれなかった。

 保育園や幼稚園のときから「母の日」や「父の日」などで、あるべき家族の姿を学習させられ、小学校でも「二分の一成人式」で、親への感謝の手紙を読ませるなど、親への感謝の強要プログラムが行なわれている。

 そうした積み重ねから、子どもたちは、親との関係に悩んでいることは恥だと思うようになり、家庭内での困りごとを隠したり、何も問題がないかのように見せたりすること、取り繕うことがうまくなっていく。そうしたことに気づかない大人たちの態度から、誰かに話したところでどうにもならない、頼っても仕方がないと学習し、問題から目を背けること、自分が耐えること、その状況をなんでもないことかのように思うことでやりすごすようになる。

 親が孤立困窮していたり、心身が弱り、切羽詰まった状況のなかで、子どもに言うことを聞かせたり、支配する方法として暴力を選択したり、ストレスをぶつけてしまうことは珍しいことではない。様々な状況から、家族が互いに支え合うことが難しくなることは、誰にでも起こりうることだ。そんなとき、家族の中でのみ問題解決することは不可能だ。「家族は互いに助け合うもの」だという価値観は家庭内での互いの尊重や対等な関係性をはぐくむことではなく、支配と暴力の関係性を強化することにつながっている。

 このことについての認識や、支え合いの関係性が世の中に広まれば、子どもをコントロールしようとしたり、そのために暴力を用いようとしたりする親も少なくなるはずだ。そして、それは家族の関係を良好に保つことに役立つ。

つづく人身売買

 今、新宿・歌舞伎町を中心に、全国各地でホストが女性を騙し、借金を背負わせ、性売買に斡旋する手口が問題視されている。

 今年6月、ホストクラブに対する支払いのために女性を全国の風俗店に斡旋し、「売春」させていたスカウトグループが摘発された。このグループは全国1800店舗の風俗店に5年間で7万8000人の女性を斡旋し、60億円を稼いでいた。この問題で、警視庁の保安課長はメディアの取材に対し、「マニュアルには『風俗嬢は人ではない』と書かれており、女性自体を物として商品としてみていた。この平和な日本という位置づけの中で女性が搾取されて、人身売買のような人身取引の構図でオークション形式で取引をされている。なおかつ、それが悪質ビジネスとして成立していることに衝撃を受けた」と語っていた。

 警察がそれを知らなかったはずがない。少なくとも私が歌舞伎町で過ごし、実態を知っている20年前から、実際にはそれ以前から続いてきた手口だ。そしてこれは、「人身売買のような」ものでなく人身売買そのものである。

 長年放置され、少女や女性の自己責任とされてきたこの問題が今注目されるのは、ここ数年でホストが、頼れる家族がいない女性以外にもターゲットを広げたからだ。そうした女性の父親たちが、「うちの娘が風俗に売られるなんて」と怒ったことで問題となった。

 こうした事件について、被害をなくしたいと考える立場から「被害に遭ったのが自分の妻や娘だったらと考えると許せない」とコメントする男性コメンテーターがよくいる。こうしたコメントが共感を呼ぶことは、日本社会の人権意識の低さを示している。これは被害を、子どもや女性に対する人権侵害として捉えているのではなく、自分の所有物としての妻や娘が侵害されたら嫌だ、という考えの現れだからだ。

 同様に、性暴力事件の加害者について「あの人には妻や娘がいないのか?」と疑問に思ったり、更生の可能性を示す理由として「妻や娘がいる」と語られたりすることも多い。妻や子どもがいることは免罪符にはならず、むしろ、人権侵害を行なう加害者は、家庭内でも妻や子どもと対等な関係性を築けていない場合が多いだろう。

 7月の参議院選挙では、「日本人ファースト」を掲げ、外国人や女性、性的マイノリティなどへの差別を煽動する参政党の国会議員が14人も誕生した。東京選挙区のさや氏は「私をみなさんのお母さんにしてください!」と絶叫した。「家族」という幻想は人々から考える力を奪い、支配する方法として使われている。

 今、歌舞伎町のみならず、全国各地で、家に帰れない少女たちが、支援からこぼれ落ち、男に「買われる」生活を続けている。性搾取の問題を理解し、現状を変えるためには、大人たちが少女や女性をモノのように扱う自身の価値観を問い、認識を改めることが必要だ。(つづく)

【連載第1回】歌舞伎町で。(1)差別と排除のなかで置き去りにされる少女たち
【連載第2回】歌舞伎町で。(2)「少女を守る」と胸を張るおじさんたちが守りたいもの

仁藤夢乃

一般社団法人Colabo代表。1989年生まれ。主な著書に『難民高校生 絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』(英治出版)、『当たり前の日常を手に入れるために 性搾取社会を生きる私たちの闘い』(影書房)など多数。

2025年9月号(最新号)

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