【関連】韓国政治と社会の行方
尹錫悦大統領弾劾から大統領選挙まで
2024年12月3日午後10時28分、尹錫悦(ユン・ソギョル)大統領は、「国会の専横と政党間の深刻な対立により国家の統治機能が麻痺している」との認識を示し、「国民の安全と憲政秩序」を名目に、突如、非常戒厳令を発令した。戒厳令発令と同時に、戒厳軍が戦車と銃をもって国会に侵入し封鎖すると聞いた市民たちが国会前に集結し、国会議事堂前8車線の道路は人で埋め尽くされるほどであった。彼らは、国会議員が戒厳令の解除のため国会に入ることを阻止しようとした警察と軍に激しく抗議した。その緊迫した状況下、国会議員たちは国会の壁を乗り越えて議事堂内に入り、戒厳令発令からわずか2時間で国会は戒厳令解除決議を可決した。それから10日後の12月14日、尹錫悦大統領に対する弾劾訴追案が国会に提出され、賛成多数で成立した。
弾劾訴追案が国会で採択されてから約4カ月後の2025年4月4日に、韓国憲法裁判所は判事8人の全員一致で尹錫悦大統領の弾劾を認定し、尹錫悦氏は大統領職を罷免された。判決理由は、戒厳令が憲法で定められた要件を満たさず、民主主義の根幹である三権分立を侵害したことである。裁判所は、戒厳令の発令を、「憲法を無視した重大な違憲行為であり、大統領の権力濫用による民主主義の否定である」と断じた。
この判決を受けて、6月3日に大統領選挙が行なわれ、弾劾訴追を主導した進歩系「共に民主党」代表の李在明(イ・ジェミョン)が保守系候補を破って当選した。ただし、後述するように、李在明の得票率は49.42%で過半数に達しなかったばかりか、保守系候補者2人を合わせた得票率49.49%にも及ばず、圧勝ではなかったという事実は看過できない。選挙前には李在明候補の優勢が予想されていたにもかかわらず、実際には支持は過半数に届かなかった。その背景には、20代・30代の若年世代のジェンダー対立、とりわけ若年男性からの明確な反発があったと見られる。
大統領弾劾運動の特徴
2016年から17年にかけて行なわれた当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領弾劾運動と比べることで、尹錫悦大統領弾劾運動の特徴を浮き彫りにしてみたい。