済州島四・三事件――記憶と向き合う

文京洙(立命館大学名誉教授)
2025/08/08

特集:東アジアの不再戦のために

 去る4月11日、パリで開かれたユネスコ執行委員会は、済州島四・三事件の経緯とその後の問題解決の歩みを収めたアーカイブ(Revealing Truth : Jeju 4・3 Archives)の世界記憶遺産(Memory of the World)への登録を承認した。

 世界記憶遺産は、1992年にユネスコによって設立された、歴史的文書や記録を保存し、利用することを目的としたプログラムで、手書き原稿、書籍、映画、デジタル記録などが対象となる。日本では英語名のMemory of the Worldにあわせて「世界の記憶」とされている。済州島では、行政や関連団体による10年越しの取り組みの結実として島をあげてこれを祝った。

 済州島四・三事件は、第二次大戦後の朝鮮半島の分断と米軍政下の住民に対する弾圧に反対して起きた1948年4月3日の済州島での武装蜂起に端を発し、その武力鎮圧の過程でおよそ3万人の島民(当時の済州島の人口は28万人余り)が犠牲となった出来事である。最近では「済州四・三」という呼び名が定着していてアーカイブでもJeju 4.3という名称が用いられている(以下では単に四・三とする)。

 悲劇の発端となる武装蜂起が起きた1948年4月、朝鮮半島の南部は、まだ米軍政下にあって翌月の10日には大韓民国政府樹立の基礎となる「単独選挙」を控えていた。

 第二次大戦の日本の敗北によって朝鮮半島は米ソの分割占領の下におかれるが、両国は、4大国(米英中ソ)による5年間の信託統治を経た後の朝鮮の独立という構想に合意していた。ところが、そのための話し合いが、米ソ対立(冷戦)の進展や、朝鮮半島での左右両勢力の対立が激化する中で決裂する。米国は、信託統治という米ソ間の合意を反故にして、朝鮮の戦後処理の問題を誕生間もない国連に持ち込んで国連監視下の選挙による新国家の樹立を提起するが、ソ連側がこれを拒み、南だけの単独選挙となった。武装蜂起は、直接にはこの選挙、つまり南北分断に反対して決行されていた。

 事件は、朝鮮戦争(1950~53年)以後の反共的な強権体制下で「共産暴動」という烙印が押され、これを語ることは久しくタブーとされてきた。悲劇の記憶は、はけ口を見出せないままひたすら島の人びとの内面に澱みつづけ、人びとのあるがままの自我や情緒を圧しつづけた。昨年、ノーベル文学賞を受賞した韓江(ハンガン)の代表作の一つである『別れを告げない』(白水社)も、四・三で家族を虐殺された亡き母を思う主人公の心象を、死者と生者の魂の行き交いの物語として綴った作品である。

 アーカイブは、1万3976点の文書資料をはじめ図書19冊、ビデオ538本など合計1万4673点の資料からなり、事件発生当時の記録だけではなく、島の人びとがようやく重い口を開き、四・三の悪夢のような体験を語りはじめた民主化の時代、公式の真相調査報告書が確定した2003年までの記録が収められている。ユネスコの紹介も「韓国のポスト・コロニアルの移行期に抑圧された記憶を保存し、久しく共産主義の汚名を着せられた犠牲者たちの名誉を回復しようとする営為に光をあてた」記録であるとしている。

ジェノサイドの記憶

文京洙

(ムン・ギョンス)立命館大学名誉教授。著書に『在日朝鮮人問題の起源』(クレイン)、『済州島四・三事件』(岩波現代文庫)、『文在寅時代の韓国 弔いの民主主義』(岩波新書)など。

2025年8月号(最新号)

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