ルポ 無法労働――非正規公務員の荒野(3)「公僕」から「公奴」へ

竹信三恵子(ジャーナリスト、和光大学名誉教授)
2025/08/15

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 労働基本権とは、団結権(労働組合をつくる権利)、団体交渉権(労働組合を通じて雇い主と交渉する権利)、団体行動権(要求の実現へ向け、ストライキなどの争議行為やビラ配り・集会などを行なう権利)を指す――。と聞いても、すぐにピンと来る人は多くないかもしれない。ただこれは、働き手にとってもっとも基礎的な権利だ。非正規公務員の処遇に対する批判が強まる中、その「解決策」として2020年4月から施行された「会計年度任用職員」制度は、「非正規公務員を正規公務員並みに」という説明のもと、この基本的な権利を事実上使えなくし、奪っていく超絶技とも言えるものだった。

「シッシッと追い払うように」

 2025年6月、私は東京都内にある外国人労働者を支援するユニオンの小さな事務所で、ALT(外国語指導助手)の米国人、メアリー・ハンソン・ダガティとトニー・ドーランと向かい合っていた。「5年も前のことだからよくおぼえていないかもしれませんが」と切り出すと、二人は声をそろえて言った。「何年たってもあの日の衝撃は忘れられません」。

 メアリーは1981年に来日した。語学講師として職歴を重ね、2003年から東京都教育委員会にALT として直接任用され、1年契約を更新しながら都立高校などで英語を教えてきた。トニーは1995年に米国から来日、このユニオンの結成に参加し、2015年から東京都のALT に任用されている。そこへ2017年の地方公務員法の改定と2020年4月からの会計年度任用職員制度がやってきた。

 それまでの公務員は、常時ある仕事は原則、常勤とされ、それ以外は、専門的知見を活かして行政に貢献する「特別職非常勤」や、正規職員に急な欠員が出た際の「臨時的任用職員」など、一時的な仕事として地公法に位置付けられてきた。だが、人件費節減へ向けた「定数」の抑え込みと増えつづける行政の業務との差が広がり、その穴を埋めるため、常時必要なはずの職員が、短期契約の非正規としてなし崩し的に拡大されていった。「特別職非常勤」や「臨時職員」の枠は、そのために利用された。

 一時的な職務の枠を使って常時ある職務の働き手を増やしていくのは脱法的行為では、という批判が高まり、「その矛盾を解消する」として登場したのが「1年契約の一般職公務員」である会計年度任用職員だった。特別職非常勤は「本来の趣旨である有識者などに限定する」として、大半は、会計年度任用職員に統合された(図表1)。

 それまで「特別職非常勤」だったメアリーやトニーはこのとき、事前の説明なく「会計年度任用職員」と職名を変えられ、思わぬ状況へと落とし込まれていく。

 トニーやメアリーが「あの日」と呼んだ2020年7月30日。二人はユニオンのALT支部に所属する他の組合員たちと、要求書を携えて東京都庁第二本庁舎14階の都教委に出向いた。この年の3月から急激に拡大しはじめたコロナ禍の中で、マスクやフェイスシールドの支給や休業手当の支払いなど、働く側には死活問題の10項目の要求が盛り込まれていた。

 いつものように事務局の窓口に行くと、きちんとしたスーツに身を固めた都教委の職員たちがずらりと並び、こう言った。「4月から会計年度任用職員制度に変わったので団体交渉に応じる義務はない。要求書も受け取れない」。

 二人は、シッシッと(とメアリーは手振りで示した)追い払うかのような態度に驚いた。低賃金で不安定な雇用とはいえ、それまで団体交渉は、ごく普通に受け入れられていた。そうした交渉では、「任用打ち切りは撤回できない」と主張していた都教委が、組合員を別の学校のALTにあっせんするようになったこともあった。それが、手の平を返したような拒絶に変わっていた。

 「制度が変わったので、もう団体交渉は受けなくて済むとほっとしていたのでしょう。そこへ私たちがやってきたので感情を害したのでは」とメアリーは推察する。

 とにかく要求書は置いて、組合員たちは部屋を出たが、トニーもメアリーもひどく不安な気持ちになっていた。自分たちのことを人として扱わないような職員の態度のせいだけではなかった。何かあれば交渉する道は確保されているということが大きな安心を与え、それが雇い主である都教委への信頼にもつながっていた。それがいきなり壊されたからだった。

 二人とも、ALTとしての年収は200万円にも届かない水準で、家族の収入や、翻訳などでしのいできた。民間の英語講師の仕事で補おうとしても、不定期なシフト制なので、安定した副業が難しい働き方だからだ。「それでも東京都の任用の下でずっと何事もなく働き、生徒たちに真摯に英語を教えて日本の社会に役に立ってきたという誇りがあった。それが、たった一つの制度変更で一方的に遮断され、日本に居場所を失ったような気がした」とメアリーは目を潤ませる。

 トニーは、違った意味でも衝撃を受けていた。2015年からALTとなったが、ユニオンの勉強会で5年を超えたら無期雇用に転換できる権利を保障した労働契約法があると知り、2020年を楽しみにしていた。だが、その後、公務員は労働契約法の適用除外と知った。加えて、期待の2020年は、労働基本権まで奪われる年になった。

 「都教委の直接任用の自分たちは、派遣会社や私立学校の講師より守られていると思っていた。だが、公務員は労働者保護からことごとく外されていると知り、おまけに7月30日にはゴミか敵のように扱われた」

 1週間後の8月6日、都からメールによる返信が来た。今度は丁寧な文面だったが、そこには「会計年度任用職員は(特別職ではなく)一般職なので労働組合法の適用はなく、団体交渉に応じる義務はない」という趣旨が書かれていた。

「正規並み」のトリック

竹信三恵子

(たけのぶ・みえこ)和光大学名誉教授。元朝日新聞記者。NPO法人官製ワーキングプア研究会理事。

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