尹錫悦はなぜ非常戒厳を宣布したのか
12月3日、夜中に発表された尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の非常戒厳宣言は、全国民を当惑させた。憲法に明示された戦争や内乱どころか、大規模なデモすら起きていなかった状況で、非常戒厳令は納得できるものではなかった。
過去12回の戒厳令を経験した韓国人にとって、戒厳軍の登場は恐怖を感じさせるものはあるが、当初、偽ニュースではないかと疑う市民も多かったほど、常識から外れた戒厳令宣布に市民たちは怒った。
状況は急迫した。野党「共に民主党」が国会に議員を招集するなか、大統領の戒厳令宣布が不当だと考えた多くの市民が、深夜にもかかわらず国会に集まった。国会議事堂の外では抗議する市民が集まり、国会を封鎖した警察と対峙した。議事堂内部には戒厳軍のヘリと完全武装した部隊が国会議事堂に乱入し、緊張感のある対峙が続いた。
国会議員300人のうち190人がかろうじて国会に入ることができ、彼ら190人が満場一致で戒厳令解除要求案を可決したことで、戒厳令の宣布から155分後の午前1時1分、その無効が宣言された。それから3時間が過ぎた午前4時27分、尹大統領は戒厳令の宣布を解除した。
憲法77条1項は「戦時、事変またはこれに準ずる国家非常事態において兵力として軍事上の必要に応じ公共の安寧秩序を維持する必要がある時」に戒厳を宣言できると規定している。今回、そのような事態は明らかに存在しないにもかかわらず、なぜ大統領は突然、非常戒厳を宣布したのだろうか?
大統領が明らかにした戒厳の理由は、国会が政府官僚を弾劾し、政府の予算案を削減するなどして国政を麻痺させたためであり、さらに一歩進んで国会が「破廉恥な従北反国家勢力」になっているため、彼らを一挙に撲滅するためだ、という主張だ。
韓国憲法は、戒厳令発動の場合、戒厳司令部は政府と司法府を統制することはできるが、戒厳解除を議決できる権限を持つ立法府については統制できないように規定している。ところが、尹大統領は軍を動員して与党・野党の代表をはじめとする特定の議員の逮捕命令まで下し、国会議事堂への軍部隊乱入を直接指示した事実が明らかになり、むしろ大統領の戒厳令宣布の理由は、どちらが国家の本質的な機能を毀損しているのかと国民の怒りを買っただけでなく、今回の事態は大統領によるクーデターであり、内乱に該当するものであることを立証する結果を生んだ。
実際、国会が戒厳令を解除できることを誰よりもよく知っている検事出身の大統領が、なぜ無理に戒厳令を宣布したのか、多くの疑問が残る。8月に戒厳疑惑を一番先に提起した金民錫(キムミンソク)議員曰く、戒厳令の核心は大統領夫人金建希(キムゴンヒ)女史に特別検事捜査がなされることを恐れたためだということだ。また、蔡相炳(チェサンビョン)事件をはじめ、野党が主導する特検が、大統領の拒否権行使にもかかわらず、再議が入り、大統領をめぐる様々な疑惑への調査が続くことにも大きな負担を感じていたことも指摘されている。また、精神医学者たちは、3日から14日にかけての5回の談話を分析し、大統領には深刻なコミュニケーション不全と妄想が疑われるとの意見も出た。
一つ確かなことは、尹錫悦大統領の中には統治はあっても政治は存在しなかったという点だ。2年半の在任期間中、大統領の拒否権行使は25回に達する。2024年4月に第22代総選挙が行なわれ、「与小野大」で与党が惨敗した後、与野党間のトップ会談は4月29日に1回開かれただけだ。国会で開かれた緊急質疑で、戒厳令宣布のために国務委員会(日本の内閣に相当)が召集されたのか、戒厳令になぜ国務委員が反対できなかったのかが問われた。それによると、誰も大統領を説得できなかっただけでなく、大統領は5分ほど一方的に話して出て行ってしまったという。情況上、この時、戒厳令を宣布したものと見られる。会議録もなく、真剣な対話もなかったという点は非常に衝撃的だ。さらに、軍隊を国会に動員する過程で、戦時作戦権を持っている米国にも知らせていない。 非常戒厳令の宣布自体が内乱を越えて国家の非常事態を作ったのだ。
何が非常戒厳解除を可能にしたのか
出動した軍の行動は中途半端だった。特殊部隊のヘリが到着する前に、非常戒厳を知った市民たちが先に国会議事堂前に駆けつけていた。 真夜中に数千人の市民が集まって警察と対峙し、戒厳解除を要求した。この間、民主党議員など野党議員たちは塀を越えるなどして国会進入に成功した。国会内には与党代表の韓東勲(ハンドンフン)議員をはじめ、与党「国民の力」の一部議員たちもいた。一方、「国民の力」の秋慶鎬(チュギョンホ)院内代表は、国会にいた議員さえ国会外の党本部に呼び出した。