書店が「色々」を提供するとき【書評】『なかよしビッチ生活』

小林えみ(編集者)
2025/05/07

 2024年の春はテレビドラマ『虎に翼』を夢中で観ていた。

 「今でも変わらない」いくつものジェンダーや社会の問題に共感を寄せつつ、それでも、いまは女性が大学へ通うことも、弁護士になることも、当たり前になっている。先人たちの努力で、世界はたくさんのことが良くなっている。

 後退した、今はなんてひどい時代なんだ。そういうことがまったくないとは言わないし、特に地球単位で見れば、頭を抱えたくなることはたくさんあるけれど、それでも、前に進んでいることも、たくさんある。

 だから、私たちも先人に倣って、これからも社会を良くしていくことをたゆまず努力していかなければいけない。私のまわりには、そういう人たちが少なからずいて、とても心強いと同時に、それは決して多数派ではない、ということも知っている。左派・リベラルの政党は野党で、時にびっくりするような政治家が支持される。

 では、左派・リベラル以外の人たちは、良識がない、不見識・不正義な人たちなのだろうか。「あんなのが当選するなんて良識はどうなったのか」と相手を集団の一員として見るとき、自分が社会正義の立場になっているとしたら、その反対は悪なのだろうか。

 書店で「多様な本が」というとき、ほんとうに「多様だろうか」と思う。私はそこに直接的な差別やヘイト本を含めないが、ある種の居心地のよい同質性で構成された場合に、それを「多様」と呼ぶことは、違うんじゃないかと思う。

 『なかよしビッチ生活』は、「地獄なこの世」で、世間一般に「フツー」とされる関係性から逸脱したかたちで、親しい人たちとかかわることを選んだ人たちを描いた漫画だ。

 それは、いまの「フツー」からしたら、挑戦的で、でも世界に対して、未来に対して、とても「正しい」ことだ。

 ただ、この登場人物たちは、葛藤する。「どんなに省みても/私は生きているかぎり/人を傷つける力を持っていて/(略)それでも誰かを傷つける人生は続いてしまう」。

 無自覚に、無神経に傷つける人たちの方がたくさんいて、普通を押し付けてくる人たちがいて、むしろ、彼女たちの繊細さの方が守られるべきものだ。それでも、ではそこで「正しさ」を盾にしようとしない。173頁の1コマ目のセリフは、感動的だが、ここに転記しない。ぜひ、頭から作品を読んで、そこへ至ってほしい。

 私は私の繊細さを失わないまま、生きていきたい。人の繊細さも失ってほしくない。そう思っていても、私が間違えること、鈍感な者や立場であることは、いくらでもありえる。

 私と違うことを考えている人たちは、何を考えているのだろう。なんらかの当事者が無理に「色々な立場・考え」を知る必要はないが、少しでも余裕や立場の距離感があるならば、私たちはもっと、知ること、話すことができるはずだ。

 書店がその「色々」を提供できるとき、少しは「多様な」ということを掲げてもよいのかな、と思う。

 私たちが、自然に、いつでも「なかよしビッチ生活」をおくれる社会であることを目指して。

〈今回紹介した本〉
なかよしビッチ生活
とれたてクラブ(著)、エトセトラブックス、1700円+税

小林えみ

編集者。1978年生まれ。よはく舎代表、マルジナリア書店オーナー。

2025年6月号(最新号)

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