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人生最凶の腰痛に襲われてから、ちょうど丸一年が過ぎたころ。
「裁判の準備書面で宣伝しておきましたよ」
フリージャーナリストの寺澤有さんからそんな連絡が届いたのは、本年2月上旬のことだ。
寺澤さんといえば、警察取材の第一人者。記者クラブをめぐる問題にもかねて一家言持っている。不意の連絡は、彼がフリーランスの三宅勝久さんとともに提起した「記者クラブいらない訴訟」に、私が書いた鹿児島県警察の不祥事についての記事を証拠提出したとの報告だった。本連載3回目で少し触れたが、その記事は警察と報道大手との共犯関係に苦言を呈し、報道各社に監視役の務めを全うするよう呼びかけるものだった。
思わぬ「鹿児島繋がり」
2023年7月、寺澤さんたちは東京地裁にその訴えを起こした。鹿児島県政記者クラブ「青潮会」に報道の自由を侵害されたとして、当時の幹事社などに計220万円の損害賠償を求める訴訟だ。被告の記者クラブは2020年7月、塩田康一・鹿児島県知事の着任会見に参加しようとした寺澤さんや三宅さんらを実力で締め出し、会見場への立ち入りを拒んだのだという。県外から足を運んだフリー記者たちは結果として会見に参加できず、重大な不利益を蒙った。裁判はこの被害による精神的苦痛への賠償を求めるもので、本誌発売直前の3月下旬にも原告・被告双方の本人尋問を迎えることになっている。
裁判に提出された私の記事は、すでに述べた通り鹿児島県警の不祥事にからめて警察と報道大手との適切な緊張関係を説いたものだ。その記事がフリー記者と鹿児島の記者クラブとの裁判に使われることには、妙な因縁を感じざるを得ない。「鹿児島繋がり」は単なる偶然かもしれないが、昨年来報じられている県警不祥事が炙り出した問題の中にいわゆる記者クラブ問題も含まれていたのは確かだ。そのことは、繰り返しになるが連載前々回ですでに述べている。
寺澤さんが「記者クラブいらない訴訟」と称する裁判を起こすのは、実は今回が初めてではない。最初にそれを試みたのは前世紀末の1999年9月。この時の訴えは、裁判所が記者クラブに交付する「判決要旨文」がクラブ非加盟のフリーランスに提供されない差別的取り扱いの憲法違反を問うものだった。審理にあたった東京地裁は「記者クラブは我が国の報道で一定の役割を果たしている」などとして寺澤さんの請求を退け、続く控訴審、上告審も一審判決が維持されて原告実質敗訴が確定した。
フリー記者差別を是とした20年あまり前の裁判はしかし、確定判決とは裏腹に司法府の内部に大きな変化をもたらすことになる。それがわかったのはつい最近、昨年夏のことだ。寺澤さんが最高裁への公文書開示請求(司法行政文書開示申出)で入手した文書の中に、判決文などの交付対象を記者クラブ外にも拡大して差し支えないという趣旨の通達があったのだ。発出日は2017年7月。裁判所はとうの昔、8年も前に報道対応の運用を変えていたことになる。
経緯を聴いた私は昨年10月、地元の札幌高裁へ判決文の交付を申請し、ある裁判の控訴審判決を記者クラブ非加盟の立場で提供してもらうことができた。11月には別の裁判で札幌地裁に「記者席」使用を申請し、初めてその使用許可を得た。同時に求めた「開廷前撮影」は今のところ認められていないが、これも遠からず改善される可能性があるとみている。本年に入ってからは、先の通達を知った広島県のジャーナリスト片岡健さんが地元の広島地裁へ同様の申請を試み、フリーランスとして判決文の入手が叶ったことが伝わった。