【連載】ルポ 最貧国と気候正義(第2回)テロが生む多数の避難者

井田徹治(共同通信社編集委員兼論説委員)
2025/04/04
IDPキャンプに暮らす多くの人々。テロや洪水で住居を追われた人々だ=2024年11月7日、バルトラム

 「医師だった夫と4人の子どもが一緒に殺された。目の前で何人もの村人が首を切られるのも見た」

 チャド湖に近い小さな村、バルトラム。熱帯の強烈な日差しを避け、木の下に集まった村の女性らの一人、63歳のジャジャ・トームが言葉少なに自らの体験を語り始めた。

洪水被害とテロの脅威

 チャド共和国の首都ヌジャメナから北に走り、最近、チャドを襲った大規模な洪水の被災地を抜け、途中から西に道を変えてチャド湖に向かう。前号でも触れた大洪水の被害は湖に近づくほどひどくなり、広大な面積の畑が人の肩くらいまでの深さの水に浸かっている場所が見渡す限りに続いている。

 洪水の被害を受けなかった場所は、緑がほとんどない乾燥地帯だ。土で作った質素な家もあれば、遊牧生活をする人々のテントが並んだ場所もある。多数のヤギやヒツジ、時にはウシやラクダを連れて道を歩く人々の姿も珍しくはない。チャドの国土の半分以上はこのような乾燥地帯で、深刻化する気候危機の前には極めて脆弱な場所であることがすぐに分かる。

 チャドに到着してから1週間後、国連のセキュリティ関係者が行なった治安の評価と対策に関するブリーフィングを受けた翌日、ようやくチャド湖方面の現場に向かうことができた。常に2台の車で移動し、無線で連絡を取り合うこと。現地の取材時間は短くし、日没前には首都に戻れるよう午後2時には現地を出ること。それが取材をする上での条件だった。

 対テロ戦争の最中の湖エリアに向かう道には何カ所かのチェックポイントがあり、銃を抱えた何人もの兵士が厳しい顔で、見慣れぬ日本人に厳しい目を向ける。この地域の役人などをよく知る国連の担当者の車でなければ、おそらく通過できなかっただろう。それでも4時間ほどかけてチャド湖に近い小村、バルトラムにたどり着いた。すでに現地の携帯電話さえ通じなくなっていた。チャド湖に近いこの村は、地図で探すことさえ難しい小さな村だ。

 チャド湖はカメルーンなど4カ国にまたがる巨大な湖だ。漁業によって多くの人の暮らしを支えた豊かな湖は、いつしかテロ集団の根拠地となってしまった。湖岸は今や、貧困と暴力が人々の命を脅かす危険地帯だ。国軍だけでなく住民を標的にすることが多いイスラム過激組織ボコ・ハラムの活動によって、湖の漁業はほとんどできなくなった。拉致されていまだに行方が分からない人も多い。バルトラムもチャド湖をめぐるそんな状況の中にあった。

 「われわれが直面する最大の課題はテロの脅威だ」

 「まともな職も収入もほとんどなく、村人は生きる目的をなくしている。中央政府はまったく当てにならない。麻薬中毒の若者も増えている」

 薄暗い部屋でインタビューに応じてくれたこの地域の役人たちは口々に、テロの深刻さと地元の暮らしの苦しさを語ってくれた。

 「昔と違って乾期の気温が50度を超えることも珍しくなくなった。洪水が増える一方で干ばつも多発し、高温と水不足で多くの家畜の命が失われている。せっかく育てた作物が、洪水ですべてだめになる。人々の生活の糧が失われるのだが、われわれにはそれをどうすることもできない」と深刻化する気候危機の状況を訴える担当者もいた。

 バルトラムでは、国連開発計画(UNDP)のアリが、日本人の記者が話を聞きに来るから、と現地の担当者に声をかけてくれたため、村の中心部に多数の男女が集まり、われわれを待ち受けてくれていた。

 ここに暮らす人々のほとんどが、2年前にボコ・ハラムに襲われた6つの村から逃げてきた国内避難民(IDP)で、冒頭で紹介したトームもその一人だ。

 「人が殺されたり、傷つけられたりしたのを見た人はいまずか?」と尋ねると、多くの人が手を挙げる。ある男性は「7年前に村に突然、何人もの兵士がやってきて、多くの人がむごたらしく殺された。村には誰もいなくなり、散り散りばらばらになった家族も多い」と話した。

 人々の話は、続いて訪れた隣村のミッテリンでも同じだった。

 「ある朝、村にテロリストが突然やってきて、多くの人がいろんな方法で殺された。一番年上だった息子を目の前で殺され、9人の孫と一緒にここへ逃げてきた。小さな孫たちを連れて逃げるのは本当に大変だった。家族を漁業で支えていた息子を殺され、収入はほとんどなくなった」

 ミッテリンに暮らす65歳のハワ・アバデルケリムはこう証言する。孫たちの多くはまだ家計を支えるには若すぎ、国連やNGOからの援助がなければ命をつなぐことはできない。「たとえ働けるような年になっても治安が悪すぎて、漁業はもちろん農業もできない。どうやって暮らしていけというのだ」。そう話す彼女の表情は暗い。

ミッテリンでテロに襲われた時の恐怖を語るハワアバデルケリム=2024年11月7日ミッテリン

井田徹治

(いだ・てつじ)共同通信社編集委員兼論説委員。環境・開発問題をライフワークとして世界各国での環境破壊や貧困の現場、問題の解決に取り組む人々の姿を報告してきた。著書に『生物多様性とは何か』(岩波新書)ほか。

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