立ち上がるアメリカの学生たち

大矢英代(ジャーナリスト)
2024/07/05

人を傷つけたら、眠れない

 「他人んかいくるさってー寝んだりーしが、他人くるちぇー寝んだらん」

 他人に叩かれても眠れるが、他人を叩くと眠れない。沖縄のことわざだ。自分が誰かに殴られたり、傷つけられたりしたとしても、その晩は眠ることができる。でも、自分が誰かを傷つけてしまったら、こころが痛くて、苦しくて、その夜は眠ることができない。他人を傷つけるということは、つまり、自分自身の良心を傷つけることでもある。だから暴力をふるってはならない、という教えである。

 私がこの言葉を初めて知ったのは、2012年、沖縄のテレビ局で報道記者になったばかりの頃だった。6月、沖縄の「慰霊の日」が近づく頃、地獄の沖縄戦を生き抜いたお年寄りたちは、戦争体験を語る中で、この言葉の大切さを私に教えてくれた。

 「だから、米軍基地は沖縄にも、本土にも、いらないさ。あれは戦争のための、人殺しのための基地なのに」「いくさで、あんなに苦難したうちなーんちゅ(沖縄の人)が、なんで人殺しのための基地を許すか?」と。沖縄の反戦平和運動の原点には、絶対的な平和への信念があった。

 取材を通じて受け取った戦争体験者たちの言葉のひとつひとつが、やがて私の血肉となっていった。これまで戦争と国家の暴力をテーマにした報道を続けてきたのも、現在、米国・カリフォルニア州立大学で教員となり、アメリカでジャーナリスト育成に携わるようになったのも、原点には、沖縄の教えがある。戦争で最も傷つくのは、一般市民である。もし戦争を支えるような報道に加担してしまったら、私だってこころが痛くて、夜は寝られないだろう。

 「実は、アメリカでもね、人を殴った夜は眠れないんです。でも、沖縄の人たちとはまったく別の理由からです。何だと思いますか?」

 先日、大学時代の恩師、高原孝生先生(明治学院大学名誉教授)とお会いした時、そう問いかけられた。様々な答えが私の脳裏をよぎった。自分も怪我をして痛いからだろうか。巨額の賠償訴訟が怖くて不安だからか。

 高原先生は言葉を続けた。「相手の仕返しに備えて、起きていなくてはいけないというのです。これは怖いことで、そんなふうに考えるなら、安眠のためには、結局、相手を殺してしまうしかありません」。

 米国に移住して6年が経つが、暴力をめぐる価値観に触れるほどに、大きなカルチャーショックを覚えてきた。暴力を止めるために、より大きな暴力を行使するという暴力肯定論は、米国のカルチャーの隅々に染み渡っているように思う。安心のために、相手を撲滅する。それはテロとの戦いを掲げて乗り込んだイラクやアフガニスタンでの米軍の殺戮破壊行為、そして今、この瞬間もイスラエルがパレスチナ・ガザで行なっているジェノサイドと共通する。

 国連の5月13日付けの報告によれば、イスラエルによる攻撃によりガザ地区で3万5000人以上が死亡した。そのほとんどは民間人であり、女性と子どもの割合が高い。「援助活動家にとって世界で最も危険な場所」。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、6月17日、そう発信した。昨年10月の戦闘開始から193人の職員が死亡した。これは国連史上最多の死者数だという。

 暴力を止めるために、さらに強大な暴力で相手の息の根を止めるまで徹底的に潰す。現在のイスラエルの攻撃は、米国的暴力論と共通するように私には思える。他人を殴って心が痛むのは、相手を人と認識しているからだ。イスラエル政府はガザの人々を人間とすら思っていないのだろう。

立ち上がった大学生たち

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大矢英代

おおや・はなよ ジャーナリスト、ドキュメンタリー監督・プロデューサー、カリフォルニア州立大学フレズノ校助教授。1987年、千葉県出身。琉球朝日放送(QAB)記者などを経て現職。映画『沖縄スパイ戦史』(三上智恵との共同監督)、『沖縄「戦争マラリア」』(あけび書房)など。

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