ガザ  存在の耐えられない軽さ

早尾貴紀(東京経済大学教授)
2024/07/05
煙を上げるガザ。2023年10月7日

現在進行形の破局

 5月15日、世界は76回目のナクバ記念日を迎えた。

 1947年11月末の国連総会によるパレスチナ分割案決議の直後から49年にかけて、パレスチナはシオニスト軍による民族浄化の嵐に見舞われた。パレスチナ住民の実に4分の3にあたる75万人以上が、集団虐殺やレイプ、強制追放等により暴力的に故郷から根こそぎにされ難民となった(死者は1万5000人から2万人にのぼる)。76年前、パレスチナ人を襲ったこの民族浄化の悲劇を、アラビア語で「ナクバ(大破局)」と言う。

 1948年12月11日、国連総会は、故郷への帰還を希望するパレスチナ難民の即時帰還の権利を確認するが(国連総会決議194号その前日、国連は世界人権宣言を発表。その第13条第2項は、故郷帰還を人間の基本的人権と謳っている)、イスラエルがこれを認めないために、76年がたつ今もパレスチナ難民の帰還は実現していない。住民が追放された村々500以上はイスラエル軍により破壊され、跡地にはキブツ(集団農場)やイスラエルの街が建設された。

 ナクバ以来、パレスチナ人は、イスラエルとなったパレスチナで、1967年に軍事占領されたヨルダン川西岸地区やガザ地区で、あるいは難民となって渡った異郷の地で、繰り返し虐殺に見舞われてきた。世界が今、目撃しているのは、人々が “On Going Nakba”(現在進行形のナクバ)と呼び、イスラエル出身で反シオニストのユダヤ人の歴史家、イラン・パペが「漸進的ジェノサイド」と名づけたその民族浄化の暴力が、ガザで、紛れもないジェノサイドとなって顕現している事態である。

紛れもなきジェノサイド

 2007年このかたイスラエルは国際法に反してガザ地区の完全封鎖を続け、この16年のあいだに封鎖下のガザに対して四度もの大規模軍事攻撃をおこなっているが、2023年10月7日のハマース主導による奇襲攻撃を受けて始まった今回の攻撃が、前代未聞の異次元の破壊と殺戮であることは、当初から明らかだった。攻撃開始から1週間とたたない時点で、ジェノサイド研究の専門家、ラズ・セガルはこれを “Textbook Case of Genocide”(教科書に載せるような典型的ジェノサイド)と断じている。

 死者は10日間で2800人を数え、負傷者は1万人以上に達した。そして攻撃開始からわずか1カ月で死者は1万人を超えた。ガザでは14歳以下が人口の4割を占める。1カ月で4000人もの子どもたちが殺されたのだ。今年2月に発表されたウクライナにおける民間人の死者は、2年間で1万582人、子どもは587人である。ガザで桁違いのスピードで、桁違いの民間人が殺戮されていることが分かる。スイスに本拠地を置く国際人権NGO、ユーロ=メッド・ヒューマンライツ・モニターによれば、最初の1カ月だけで、広島型原爆2個分に相当する爆薬がガザに投下されたという。

 ハマースを標的にした攻撃による民間人の「巻き添え」被害などではない。ハマースに対する攻撃を口実にした、ガザのパレスチナ人という存在そのものに対する殲滅――ジェノサイド――であることは、日々更新される死傷者の数字を見れば明らかだ。その疑いようのないジェノサイドが世界にライブ中継されながら、7カ月が過ぎた今なお継続しているのである。

 攻撃8カ月目の現在、死者は3万5000人を超え(瓦礫の下にはさらに1万人以上の遺体が埋まっていると言われる)、負傷者は79000人以上。人口の2パーセントが殺され、5パーセント以上が殺傷されたことになる。さらにこの間、イスラエルは、ガザの人口の85パーセントにあたる200万人を自宅から「避難」という名目で追放し、65パーセントの住宅を破壊ないし損壊、安全だと言って人々を避難させた先々も爆撃し(移動の安全を保障するために設けられた「人道回廊」も攻撃された)、150万もの人々が南端の街ラファに追い詰められ、劣悪な環境で何カ月もテント生活を強いられている。人為的につくりだされた飢餓、清潔な飲料水の欠如、蔓延する感染症。冬の寒さを生き延びた人々を、今度は夏の暑熱が襲う。テントの中はオーブンと化し、感染症は拡大の一途だ。だが病院はほぼ破壊され尽くし、医療従事者も殺害されている。北部は壊滅的飢餓に瀕する。

 イスラエルはパレスチナ人を物理的に殺傷しているだけではない。ガザは4000年の歴史を有する。ギリシア、ローマ、ビザンツ、アラブ・イスラーム、オスマン帝国……。人類の文明の歴史が重層的に紡がれてきたこの土地の、その歴史を証言する、人類の遺産とも呼ぶべき史跡も200以上破壊された。イスラエルは、ガザのパレスチナ人がガザという土地に根差した歴史的存在としてあるための、その歴史的記憶そのものをも破壊しているのだ。

 この事態をどう呼べばいい? この間、二度にわたりガザ入りした、パレスチナ系アメリカ人の作家、スーザン・アブルハワーは断言する、これはホロコーストだと。

ここから有料記事

岡真理

おか・まり 早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授。1960年生まれ。エジプト・カイロ大学に留学、在モロッコ日本国大使館専門調査員、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を経て現職。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題。近著に『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房)。著書多数。

latest Issue

Don't Miss