現在進行形の破局
5月15日、世界は76回目のナクバ記念日を迎えた。
1947年11月末の国連総会によるパレスチナ分割案決議の直後から49年にかけて、パレスチナはシオニスト軍による民族浄化の嵐に見舞われた。パレスチナ住民の実に4分の3にあたる75万人以上が、集団虐殺やレイプ、強制追放等により暴力的に故郷から根こそぎにされ難民となった(死者は1万5000人から2万人にのぼる)。76年前、パレスチナ人を襲ったこの民族浄化の悲劇を、アラビア語で「ナクバ(大破局)」と言う。
1948年12月11日、国連総会は、故郷への帰還を希望するパレスチナ難民の即時帰還の権利を確認するが(国連総会決議194号その前日、国連は世界人権宣言を発表。その第13条第2項は、故郷帰還を人間の基本的人権と謳っている)、イスラエルがこれを認めないために、76年がたつ今もパレスチナ難民の帰還は実現していない。住民が追放された村々500以上はイスラエル軍により破壊され、跡地にはキブツ(集団農場)やイスラエルの街が建設された。
ナクバ以来、パレスチナ人は、イスラエルとなったパレスチナで、1967年に軍事占領されたヨルダン川西岸地区やガザ地区で、あるいは難民となって渡った異郷の地で、繰り返し虐殺に見舞われてきた。世界が今、目撃しているのは、人々が “On Going Nakba”(現在進行形のナクバ)と呼び、イスラエル出身で反シオニストのユダヤ人の歴史家、イラン・パペが「漸進的ジェノサイド」と名づけたその民族浄化の暴力が、ガザで、紛れもないジェノサイドとなって顕現している事態である。
紛れもなきジェノサイド
2007年このかたイスラエルは国際法に反してガザ地区の完全封鎖を続け、この16年のあいだに封鎖下のガザに対して四度もの大規模軍事攻撃をおこなっているが、2023年10月7日のハマース主導による奇襲攻撃を受けて始まった今回の攻撃が、前代未聞の異次元の破壊と殺戮であることは、当初から明らかだった。攻撃開始から1週間とたたない時点で、ジェノサイド研究の専門家、ラズ・セガルはこれを “Textbook Case of Genocide”(教科書に載せるような典型的ジェノサイド)と断じている。
死者は10日間で2800人を数え、負傷者は1万人以上に達した。そして攻撃開始からわずか1カ月で死者は1万人を超えた。ガザでは14歳以下が人口の4割を占める。1カ月で4000人もの子どもたちが殺されたのだ。今年2月に発表されたウクライナにおける民間人の死者は、2年間で1万582人、子どもは587人である。ガザで桁違いのスピードで、桁違いの民間人が殺戮されていることが分かる。スイスに本拠地を置く国際人権NGO、ユーロ=メッド・ヒューマンライツ・モニターによれば、最初の1カ月だけで、広島型原爆2個分に相当する爆薬がガザに投下されたという。
ハマースを標的にした攻撃による民間人の「巻き添え」被害などではない。ハマースに対する攻撃を口実にした、ガザのパレスチナ人という存在そのものに対する殲滅――ジェノサイド――であることは、日々更新される死傷者の数字を見れば明らかだ。その疑いようのないジェノサイドが世界にライブ中継されながら、7カ月が過ぎた今なお継続しているのである。
攻撃8カ月目の現在、死者は3万5000人を超え(瓦礫の下にはさらに1万人以上の遺体が埋まっていると言われる)、負傷者は79000人以上。人口の2パーセントが殺され、5パーセント以上が殺傷されたことになる。さらにこの間、イスラエルは、ガザの人口の85パーセントにあたる200万人を自宅から「避難」という名目で追放し、65パーセントの住宅を破壊ないし損壊、安全だと言って人々を避難させた先々も爆撃し(移動の安全を保障するために設けられた「人道回廊」も攻撃された)、150万もの人々が南端の街ラファに追い詰められ、劣悪な環境で何カ月もテント生活を強いられている。人為的につくりだされた飢餓、清潔な飲料水の欠如、蔓延する感染症。冬の寒さを生き延びた人々を、今度は夏の暑熱が襲う。テントの中はオーブンと化し、感染症は拡大の一途だ。だが病院はほぼ破壊され尽くし、医療従事者も殺害されている。北部は壊滅的飢餓に瀕する。
イスラエルはパレスチナ人を物理的に殺傷しているだけではない。ガザは4000年の歴史を有する。ギリシア、ローマ、ビザンツ、アラブ・イスラーム、オスマン帝国……。人類の文明の歴史が重層的に紡がれてきたこの土地の、その歴史を証言する、人類の遺産とも呼ぶべき史跡も200以上破壊された。イスラエルは、ガザのパレスチナ人がガザという土地に根差した歴史的存在としてあるための、その歴史的記憶そのものをも破壊しているのだ。
この事態をどう呼べばいい? この間、二度にわたりガザ入りした、パレスチナ系アメリカ人の作家、スーザン・アブルハワーは断言する、これはホロコーストだと。
イスラエルがハマースを標的にして攻撃しているという西側メディアの報道を読むと、心底、苛立ちを覚える。まったくもって事実ではないからだ。現地にいれば分かる、これは、これまでもつねにそうであったように、パレスチナ人を追放し、その居場所を奪い、パレスチナ人の存在を地図の上から消し去るためのものだということが。1948年以前にしても今回にしても、それこそがイスラエルが公然と掲げる目標であることは自明だ。私たちパレスチナ人を破壊し、排除し、殺し、私たちの居場所を奪うことが彼らの目的であり、それが今まさにガザで起きていることだ。それが1948年に起きたことであり、1967年に起きたことであり、新たなナクバが起こるたびに、それは、それまでのナクバを凌駕するものになり、そしてとうとう、大量殺戮とホロコーストの瞬間を迎えることになってしまった。世界がイスラエルの蛮行を処罰することなく許してきたがために、だ註 1。
日本の主流メディアが発するメタメッセージ
これが今、ガザで起きていることだ。昨年10月7日以来、今日まで、ガザで起きていることだ。この凄まじい現実を、日本の主流メディアはこの間、どれだけ伝えてきただろうか。伝える努力をしてきただろうか。
『改定新版 世界大百科事典』は「ジャーナリズム」を「日々に生起する社会的な事件や問題についてその様相と本質を速くまた深く公衆に伝える作業。また、その作業をおこなう表現媒体」と定義する。事件や問題の「様相と本質」を速く「深く」公衆に伝える、それがジャーナリズムであるならば、ガザをめぐる日本の新聞やテレビなどマスメディアの報道の主流は、ジャーナリズムが本来あるべき姿とは別物の、いや、むしろ真逆のものだ。ガザで起きていることの「本質」も、セガルが「典型的ジェノサイド」と、アブルハワーが「ホロコースト」と断じる出来事の破滅的様相も、それに見合ったことばの強度で、深度で、量で伝えられてはいない。だから、11月7日、グテーレス国連事務総長の「ガザの悪夢は人道危機以上のものだ。人類そのものの危機(Crisis of humanity)だ」という発言が報じられても、国連のトップがそう発言したというだけのニュースとして聞き流されてしまうことになる。
「人類の危機」ということばは、この世界に生きる私たちすべてに向けて、今、ガザで起きている緊急事態に対し行動を求めるものとして発せられたはずだ。だが、事務総長が「人類の危機」とまで呼ぶガザの「悪夢」の内実が日々、それに見合ったことばの強度で伝えられていない状況においては、その発言も、ただのことば以上のものではない。報道は事務総長の発言を伝えながら、そのことばが意図するものとは裏腹に、ガザに対して私たちはさして関心を向けなくてもよいという真逆の「メタメッセージ」を発信している。
ガザの死者が3万人を超えたのは2月29日。だが、「報道ステーション」のその日の報道は開始から延々20分、大谷翔平選手の結婚話だった。それが終わると今度は、別のスポーツ選手の話題だ。ガザに言及があったのは、1時間超の番組が終了する間際、「ガザでは今日、死者が3万人を超えました」の一言、それを受けてメインキャスターの「世界ではいろいろなことが起きています」といった趣旨の発言で番組は終わった。
攻撃開始直後から専門家がジェノサイドと断じ、実際、2カ月半後には南アフリカがイスラエルのガザ攻撃をジェノサイドにあたるとして国際司法裁判所(ICJ)に提訴し、ICJも1月、南アの訴えはじゅうぶん説得力があるとして予防措置命令を出している、その攻撃による死者が5カ月足らずで3万人を超えたのだ。ウクライナにおける24カ月間の戦争の5分の1の期間に、ウクライナの3倍以上の民間人が殺されているのだ。
日本のウクライナ報道は一貫している。国外避難を余儀なくされる難民たち(国に独り残る夫は幼子を連れて国外へ逃れる妻を固く抱きしめ、二人を無言で見送る。カメラは夫の表情をアップで捉える)、地下シェルターで何週間も避難生活を強いられる住民たち(「日常」を奪われた苦しみの証言の数々)、あるいは通りで火炎瓶を作る市民たち(ロシアの侵略に抵抗する市民のレジスタンスは私たちが応援すべきものとして無条件に肯定される)……いずれも最大限の人間的共感を掻き立てる形で、日本のメディアは彼らの姿を伝えていた。そうした報道に呼応するように、日本各地でウクライナをテーマにした平和学習もさかんにおこなわれた。
ウクライナについてかくもの熱心さと人間的共感をもって伝えてきた同じ報道番組が、ガザについては番組の最後で、死者が3万人を超えたとひとこと付言すればそれで事足りるとする。パレスチナ人の命は、かくも軽いのだ。番組はガザのジェノサイドの最新の情報を視聴者に伝えたのではない(もとより、日本のメディアは、ガザで起きていることを「ジェノサイド」とは呼ばない)。制作者の意図はどうあれ、番組はその「報じ方」によって、ガザで3万人が殺されたことよりも、日本の私たちにとっては大谷選手の結婚のほうがはるかに重要だということを言外に伝えたのだ。
先述の国連事務総長の発言についてと同様、番組はガザについて報じつつ、それが視聴者にもたらす「効果」としては、パレスチナ人の命などとるに足らない、ガザで起きているのは、世界でいろいろなことが起きているア・ラ・カルトのひとつに過ぎない、だから気にしなくていい、というメタメッセージを送っているのである。ガザで今、起きていることが、紛れもないジェノサイドであるにもかかわらず、こうしたメタメッセージを発信することで報道は、それがジェノサイドにほかならないという出来事の「本質」を逆に、公衆の目から隠蔽し、遠ざけているのである。何が報じられたか、ではない。それがどのように報じられたか、その報じ方によっていかなるメタメッセージが発せられているかが、受け手の潜在意識により大きく作用する。
事態の根本原因はどのようなものか
これは一個人、一番組だけの話ではない。ロシアのウクライナ侵攻に関してのウクライナ絶賛応援キャンペーンとは裏腹に、主流メディアのガザ報道は結果的に、出来事の本質を曖昧にし稀釈した言説となっている。ウクライナに関してさかんに実施された平和学習が、ウクライナをはるかにしのぐ生活の破壊、命の破壊、人間の尊厳の蹂躙をもたらしているガザに関してほとんど見られないのは、こうしたガザ報道のあり方と決して無縁ではないだろう。それはまた、イスラエル政府の発表をそのまま検証もせず報道する姿勢ともあいまって、いまだに主流メディアの報道に信を置き、これらを唯一の情報源にしている市民が、イスラエルのありようを批判的に問題にし、政治的に批判の声をあげることを抑制する結果にもつながる。
出来事の「本質」を語るには、その出来事が根差す、問題の “root cause“(根本原因)を踏まえねばならない。しかし、主流メディアの報道がこの間、見事なまでに一貫しておこなっているのが、ガザをめぐる問題の根本原因を理解するために私たちが必要とする歴史的文脈の捨象である。
パレスチナ・イスラエルの「紛争」には「複雑な歴史」「入り組んだ歴史」があると言ってお茶を濁し、「憎しみの連鎖」や「暴力の連鎖」といった「どっちもどっち」のイメージに落とし込む。「歴史」が語られないわけではない。だが、そこで紹介されるのは、紀元前にユダ王国がバビロニアに滅ぼされて、から始まり、ホロコーストを経てイスラエル建国に至る、キリスト教ヨーロッパに固有のユダヤ人の歴史である。アラブ・イスラーム世界においてユダヤ教徒が歴史を通じてイスラーム教徒やキリスト教徒と共生してきたこと、聖地エルサレムはその歴史的共生のシンボルであり、千数百年にわたるこの共生の歴史を破壊したのが近代におけるシオニズムによる侵略であるという、むしろ今、起きている出来事の本質にかかわる史実には触れない。「歴史」を語ると言いつつ、そこでは徹底して問題の歴史的背景――問題理解に必要なのはこの100年あまりの歴史である――については口を閉ざし、現在、生起している暴力が根差している根本原因を隠蔽する。まさに、エドワード・サイードが“Covering Islam”と呼んで批判した、報道を通して事実を歪曲・隠蔽する「イスラーム報道」である。
現在、ガザのジェノサイドとして暴力の頂点を迎えている問題の歴史的文脈とは、要約すれば以下のようなものだ。
▼19世紀末、ヨーロッパにおける反ユダヤ主義を背景にシオニズム(パレスチナにユダヤ国家建設を企図する政治的プロジェクト)が誕生し、英国の後ろ盾を得て、パレスチナへの入植が推進される。
▼第二次大戦後、国連は、ナチスによるホロコーストの結果生じた25万人のユダヤ人難民問題を解決するために、パレスチナの分割とユダヤ国家創設を可決。1948年、パレスチナ人の4分の3を民族浄化し、パレスチナの78パーセントを占領してイスラエルが建国される(ガザの住民の7割は、このとき難民となった者たちとその子孫である)。
▼イスラエルとは、アメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの白人共和国、そして満州国と同じ入植者植民地主義の国であり、パレスチナ人は80年近く、その暴力の犠牲となってきた。
▼1967年にイスラエルは、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区とガザ地区を占領、以来、国連安保理決議に違反して占領を続け(エルサレムに関しては、国際法に違反して併合し)、さらに国際法違反の入植地建設を国家的価値を有する事業と位置づけ、その拡大を推進する。占領下の人々は60年近く、その人権を否定され、入植者に土地を奪われ続け、日常的な暴力にさらされている。
▼2007年以来、イスラエルは、国際法に違反し、ガザ地区の完全封鎖を続ける。封鎖は産業基盤を破壊し、失業率は47パーセント、世帯の8割が国連による食糧支援でかろうじて食いつなぐ生活だった。ガザは10月7日以前からすでに人道危機状態だった。
▼ヒューマンライツ・ウォッチやアムネスティ・インターナショナルが訴えるように、イスラエルはヨルダン川から地中海まで、その支配下に置いている土地の全土において、パレスチナ人に対するアパルトヘイト体制を敷いている。占領下であれ、イスラエル市民であれ、パレスチナ人には自己決定権がなく、基本的人権を奪われている。
「入植者植民地主義」と「民族浄化」と「アパルトヘイト」と「占領」と「封鎖」。これが、主流メディアが「複雑で」「入り組んでいる」と称して、説明しない(説明することを忌避している)、ガザ、そしてパレスチナをめぐる問題の歴史的背景の要諦である。パレスチナ系アメリカ人の歴史学者でコロンビア大学教授のラシード・ハーリディーの著書『パレスチナの100年戦争』(日本語版は『パレスチナ戦争 入植者植民地主義との抵抗の100年史』法政大学出版局、2023年) のタイトルが端的に示しているように、ガザで今、起きていることとは、入植者植民地主義による侵略と占領とアパルトヘイトという政治的不正のもとに置かれ、その支配の頸木からの解放を求める者たちと、その支配をあくまで貫徹しようとする植民地主義国家のあいだの、100年にわたる「植民地戦争」の最新の局面である。
メディアは加害の共犯者でありつづけるのか
植民地戦争――それは、歴史的に北米大陸で、アルジェリアで、ベトナムで、アイルランドで、そして中国で起きたことだ。日本の台湾植民地支配があったればこそ、1930年の台湾先住民による日本人民間人に対する襲撃と虐殺(霧社事件)があった。満州国建国があったればこそ、1932年の反満抗日ゲリラによる撫順炭鉱襲撃があった。いずれも、日本の植民地主義の暴力に対する抵抗の暴力として生起したものだ。同様に、10月7日に行使されたパレスチナ側の抵抗の暴力に先立って、イスラエルによる入植者植民地主義の、占領の、アパルトヘイトの、積年にわたる暴力がある。私たちに必要なのは、この歴史的視座である。このような視座に立てば、ガザに対するジェノサイドを、「テロ組織ハマース」に対する「自衛の戦争」だとするイスラエルの主張が(台湾先住民による抵抗の暴力を、蛮族のテロとして殲滅した日本同様)いかに自国の加害の歴史を棚上げした認識の上に成り立っているかが分かる。
ガザの民間人に多大な犠牲が出ていることは同情的に報じても、日本のメディアがイスラエルの非道ぶりを、その非道さに見合った強度のことばで非難することはない(ロシアがウクライナの子どもを1万数千人も殺害したなら、メディアは躊躇なく「ジェノサイド」ということばを使うにちがいない)。イスラエルが主張する「自衛権」に疑義が呈されることもない。イスラエルの自衛権云々は、イスラエルが国際法上、占領国であるという事実を無視した上に成り立つ議論であり、国際法の専門家は、イスラエルはガザ攻撃に関して「自衛権」を主張することはできないと表明しているが註 2、それを明言しうる国際法の専門家がスタジオに招かれることはない。
イスラエルによる「占領」という歴史的事実を問わず、10月7日の対イスラエル攻撃を無条件に「テロ」と呼び、「ハマースのテロ」をそれ以降のすべての出来事の起点とし、「テロ組織ハマース」対「イスラエルの自衛戦争」という歴史性を捨象し国際法の法理も無視した枠組みのなかで問題を論じる日本の主流メディアのガザ報道は、イスラエルのプロパガンダの普及に貢献し、このジェノサイドの暴力が湧きあがる問題の根源を有耶無耶にすることで、まさしくジェノサイドに共犯しているのである。
4月半ば、ニューヨークタイムズ紙がパレスチナ・イスラエル報道に関し、記者に対して「ジェノサイド」「民族浄化」「占領地」という語彙の使用を避け、「パレスチナ人」「難民キャンプ」といった語彙も可能な限り使用しないよう指示していた事実が、内部の者によってリークされた(The Intercept, 2024/4/15)。現在、NYTをはじめアメリカの主流メディアはことごとくプロ・イスラエル資本の傘下にある。出来事の歴史的文脈を――すなわち問題の根源が、イスラエル国家がこの76年の歴史を通してパレスチナ人に対して行使してきたもろもろ暴力にあることを――示すこれらの語彙の使用が主流メディアにおいて規制されているという事実は、イスラエルにとって歴史的文脈を明らかにされることが、致命的な破壊性をもつものであることを示していよう。
プロ・イスラエル資本の傘下にあるわけでもなく、NYTのように「上からの」規制があるわけでもないであろう日本のマスメディアは、しかし、アメリカ・メディア同様に「ジェノサイド」「民族浄化」「占領」や、「(入植者)植民地主義」「アパルトヘイト」といった言葉を報道に用いず、歴史性を捨象することで、結果的にイスラエルに奉仕している。
2014年5月、ネタニヤフ首相が来日し、安部、ネタニヤフ両首相は「日本とイスラエルの新たな包括的パートナーシップ構築についての共同宣言」を発表した。10年後の今、日イの共同研究だけでも、両国政府による「あり得べき日・イスラエル経済連携協定に関する共同研究」を筆頭に、国立研究開発法人 科学技術振興機構の戦略的国際共同研究プログラムにおけるイスラエルとの二国間協力、東京大学先端科学技術研究センターの日本・イスラエル共同研究「レジリエントな社会のためのICT」をはじめ枚挙に暇がない。イスラエルとの「包括的パートナーシップ」が産官学連携で強力に推進されているのである。
この地上のすべての人々が欠乏と恐怖を免れ平和のうちに生存する権利を有すると前文で謳う憲法をもつ国のジャーナリズムが真にジャーナリズムであるならば、法を歯牙にもかけず、普遍的人権を無視し、占領とアパルトヘイトを続け、公然と大量殺戮をおこない、人道に対する罪を犯し続ける無法国家のパートナーたらんとする政府こそペンで串刺しにしなければならないはずだ。だが、ガザについて報道しつつ、「気にするな」「取るに足らないことだ」とメタメッセージを発信し、歴史的文脈を漂白して問題の本質を隠蔽する日本の主流メディアのガザ報道は、日本政府の思惑に沿い、権力に奉仕する道具となって、憲法などおためごかしだというメタメッセージすら国民に向かって発している。
ジャーナリスト保護委員会によれば、5月16日現在、ガザでは、105人のジャーナリストおよびメディア従事者が殺害されている。アルジャジーラのエルサレム支局は閉鎖となった。出来事の様相と本質を世界に伝えんとする報道のゆえだ。彼らが殺害されるのは、彼らのことばに力があるからだ。この不正な現実を変える力が。
企業メディアにジャーナリズムを期待することがそもそもナイーブだと笑われるかもしれない。それでも、願わずにはいれない。この拙稿を読んでいるあなたが記者ならば、ガザのジャーナリストたちがその命を代償にして世界に伝えようとしたガザの事実を、日本の人々に伝えてほしい。あなたのペンで闘ってほしい。この世界の明日を変えるために。ことばにはその力がある。
註1 “What I Witnessed in Gaza Is a Holocaust: Palestinian Writer Susan Abulhawa,”Democracy Now, 2024/3/6
註2 一例として“UN Special Rapporteur: Israel can’t claim ‘right of self-defence’,” Aljazeera, 2024/11/15.






