【連載】ルポ 牙をむく海(第2回)気候紛争

井田徹治(共同通信社編集委員兼論説委員)
2024/11/05
国際社会の援助の手が届き始めたエララブ島。ギニアビサウ。筆者撮影(本文中も)

国際援助が届き始めた島

 見慣れぬ日本人を乗せたボートが着くと、村の中から子どもを含めた多くの人が船着き場にやってきた。粗末なジョベルの桟橋(前号参照)とは比べものにならないほど立派な船着き場だ。

 すぐそばには魚を取ってきたばかりのボートがとまり、大小さまざまな色や形の魚が次々と冷蔵庫の中に収められていった。

 消滅の危機に瀕する村、ジョベルからボートで水路を2時間ほど行った場所にある、エララブという島の光景だ。この地域では2番目の大きさだというこの島の地面は、海面から1メートルはあり、しっかりしている。これもジョベルとは大きな違いだ。

 家の造りは似ているが規模は大きく、たくさんの家々が軒を並べる。ヤギなどの家畜の小屋や畑の規模も大きく、島の中の巨木にぶら下げたブランコの周囲では子どもたちの明るい声が響いていた。

 気候変動で深刻な影響を受けるギニアビサウの沿岸域に、国際的な援助の手が差し伸べられてはいる。ここエララブは、国連開発計画(UNDP)の資金でキリスト教系のチャリティ団体「カリタス」が中心になって、気候危機の影響を軽減するためのプロジェクトを進めていた。

 今はプロジェクトの担当で少し前まで村の教師をしていたというマリオ・サンゴは「コミュニティの主導で、女性のエンパワーメントなどを通じて気候危機と闘うことを目指している」と話してくれた。

 一見すると平穏に見えるこの島でも、海面上昇や塩水侵入の影響は小さくない。

 「最初に異変を感じたのは2000年ごろだったかな」とマリオ。「海が陸地に近づいてきて、かつては田んぼだった場所にどんどん塩水が入ってくるようになった。600ヘクタールはあった水田は今では塩水湿地のようになり、使える農地は半分くらいになってしまった」と言う。

 「雨の降り方もすっかり変わった。雨期の始まりは遅くなり、降るときは昔では考えられなかったような大雨に見舞われるようになった」

 マリオは「少し前まで物々交換で生きるという伝統的な暮らしをしていた人々も、今では農産物や魚、牡蠣を売って現金収入を得なければ暮らしてゆけない。だが、米はもちろん魚も取れなくなっている、貧しい人々が、気候危機がもたらす生活の悪化という新たな現実に向き合わなければならなくなった」と言う。

 「このまま気候変動がどんどん悪化したら、島の人々はここから出て行ってしまうだろう」とマリオは危機感を募らせる。

 だが、同様の影響を受けながらも、エララブの人々の状況はジョベルとは大きく異なる。ここではUNDPなどの援助資金が投じられ、プロジェクトの効果も見え始めているからだ。

 取材に際して、一時はジョベルでのテント生活も覚悟したが、エララブに国連が建てたゲストハウスに泊まれることになり、この島を拠点にすることにした。

 ゲストハウスは、村の他の家に比べてしっかりした造りで、プリミティブなトイレと、バケツの水を浴びるスペース、広いテーブルのある建物が三軒並んでいた。

 近くには10枚ほどの太陽光発電パネルが建てられ、家の中にあるインド製の蓄電池につながっている。そのおかげで暗くなれば部屋に電灯がともり、携帯電話の充電もできる。小さな冷蔵庫の中には常に冷たい飲み物が置かれていた。

 ゲストハウスの管理も任されているマリオはなかなかの料理人で、取れたての魚やそれを使ったパスタなど、思いもしなかったディナーを振る舞ってくれた。

 ソーラーパネルも蓄電池も価格の低下がめざましい。陸地から遠く離れ、商用電力の供給など望むべくもない僻地の島でも、小さなパネルと蓄電池が人々の暮らしを一変させられることの証明だ。取れたての魚の保存、日が暮れてからの子どもたちの勉強、携帯電話やタブレットを使った情報交換など、ちょっとした投資で人々の暮らしを大幅に向上させることができる。

数枚の太陽光パネルの有無で生活のクオリティが激変する
インド製の蓄電池につながる機器類

支援にも格差

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井田徹治

(いだ・てつじ)共同通信社編集委員兼論説委員。環境・開発問題をライフワークとして世界各国での環境破壊や貧困の現場、問題の解決に取り組む人々の姿を報告してきた。著書に『生物多様性とは何か』(岩波新書)ほか。

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