政権崩壊――収容所の解放
2024年12月8日、シリアのアサド政権はシリア北部イドリブ地方を拠点とする反政府勢力ハヤット・タフリール・アル・シャーム(HTS)の電撃的な急襲作戦によって崩壊した。13年つづいた内戦は10日間ほどであっけなく終わった。アサド大統領はロシアへ亡命し、その一族も散り散りに逃亡した。
政権崩壊直後にシリアの反体制派武装集団と市民たちが行なったのは、首都ダマスカス郊外にある軍事刑務所、セドナヤ刑務所を始め、シリア各地に設置されたアサド政権の治安機関が運営する収容所を解放することだった。各収容所には反体制派武装勢力と共にシリア各地から集められた政治犯たちが勾留されていた。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書によれば、シリア全土の治安機関が運営する収容所は27カ所と推定されているが、実際はさらに多いと思われる。事実、私が偶然取材した軍事施設のビルの地下に軍事関係者を勾留する収容所が存在した。たまたま入った他の軍事施設でも確認できたので、シリアにあるすべての軍事施設の中に収容所が存在すると思われる。シリアでは徴兵制を導入しており、アサド政権の意向に少しでもそぐわない人物は勾留されていた。実際、各人権団体にアサド政権の行ないを証言する離反した脱走兵は多く存在する。軍人、民間人問わず治安機関の施設に勾留されるという恐怖体制だった。
シリア人がシリア国内で逮捕される場合、ほとんどの理由は「テロ」に関わったとする容疑である。第三者からの通報や密告であったり、治安機関から目をつけられてしまったりなどして、超法規的に拘束されていた。私といっしょにいた通訳も、仕事帰りに職務質問を受けた際、指名手配されていると言われ、そのまま勾留された経験を持つ。何の罪で指名手配されているのかは最後までわからなかったという。政治的な活動をしている人だけでなく、人道支援活動をしている人も問答無用で拘束される。
そうして拘束された人は「強制失踪」となって、秘密裏に政治犯としてダマスカスの収容所へ送られることになる。元勾留者の証言や実際の取材によると、勾留期間はだいたい2、3年が多い。家族が賄賂を払って居場所を突き止め、多額の保釈金を払って早く出られる場合もある。
〝シーザーズ・ファイル〟
セドナヤ刑務所を始め、各収容所では凄惨な拷問、過酷な環境での長期間におよぶ勾留、そして処刑が行なわれていたとされる。
シリアの治安機関には無制限の権限が与えられ、勾留者たちは政権によって強制失踪させられ、行方不明者となっていた。強制失踪者は中東で起こった民主化運動「アラブの春」が始まった2011年から現在までに10万人以上におよぶとされている。そしてその調査結果を裏付けたのが2014年に発表された〝シーザーズ・ファイル〟だった。
アサド政権軍で鑑識カメラマンとして勤務していたある男性は、収容所で死亡した犠牲者たちの遺体を記録した。彼は2011年5月から13年8月まで撮影したそれら超機密の写真データ5万点を持ち出し、国外へ逃亡した。コードネーム〝シーザー〟の名前でそのデータは反政府団体へ託されたのち発表され、それはアメリカ議会でシリア政府、それを支援するロシア、イラン政府も対象とした制裁〝シーザー・シリア市民保護法〟を発動するまでに至った。アサド政権はそのすべてを否定した。シーザー法の経済制裁も、アサド大統領の一族は合成麻薬カプタゴンをシリア国内で製造、近隣諸国へ密輸するようになり、巨万の富を得て、制裁の効果は得られなかった。
犠牲者たちはダマスカス近郊の墓地に秘密裏に遺棄され、その行方は永遠にわからなくなる。解放後、次々に遺棄された身元不明の遺体が発見されている。その総数は増えつづけ10万人以上に及ぶとも予想されている。