宮古島・珊瑚礁の海から大きな朝陽が昇る美しい景色を背景に、怒声が響き渡った。
2025年8月6日の早朝、2015年の架橋以来、宮古島と伊良部島をつないでいる伊良部島大橋を渡ってすぐの「いらぶ大橋海の駅」の駐車場で、事件は起こった。
私ともう1名、女性2人で、前日から行なわれている陸上自衛隊宮古島駐屯地の新入隊員の教育プログラム最終の「行進」訓練の様子を見ようと朝から出かけていた。
2019年3月に開設された陸上自衛隊の新基地・宮古島駐屯地に関して沖縄防衛局は建設途上からいくつもの約束を住民と交わしているが、それらは反故にされており、その1つ、「訓練は基地の中で行なう」ということに関しても守られていないので、私たちは彼らが基地を出て広域を歩く訓練の実態を記録しようと出かけてきた。訓練の最終地点である佐良浜港に向かって走行していたら、偶然、伊良部大橋を渡った所で彼らに出会った。
高台から写真を撮ろうと「海の駅」の駐車場に車を入れると、彼ら30名近い一団も歩いて駐車場へ上がってきた。彼らは休憩を取るようだった。たくさんの軍用車両も駐車していた。市民は私たち2人。彼らの背後に朝陽が昇り始め、空は橙色に輝きを増していく。その背景とまだ幼い顔立ちの新隊員の戦闘服の迷彩柄とのギャップが、私には何とも言えない違和感となって膨らんだ。彼らと私たち2人の距離は10mくらいだったろうか。もう1人の女性はハンディビデオカメラで撮影していた。私もスマホで朝陽と彼らを動画撮影していたが、それを彼女に預けて、車からハンドマイクを下ろし、少し距離があるのでマイクで、でも控えめな声で語りかけた。幼い顔立ちに向かって。
「皆さん、おはようございます。あの、素晴らしいご来光ですよね。でも、私たちは残念です。そういう戦闘服姿、迷彩服姿の向こうに、こんなきれいな朝陽を見るのはとても残念です。そういうね、戦闘服姿でない、私服で皆さんと一緒にですね……」
と、ここまで私が数十秒語ったところで、駐屯地トップの比嘉隼人司令(警備隊長)の怒鳴り声がいきなり近づいてきた。以下は、それ以降の私と隊長のやり取りを正確に文字起こししたものだ。
隊長 許可を取ってるんですか、こっち。われわれは許可取ってるんですよ。許可取ってからやってください、許可取ってから。やるんだったら! ホテルあるだろ、ホテル!
私 ライブで、ライブで放送してる、流れてますけれども。 隊長 ライブで流れてるじゃない、そもそも許可取ってるんですか。
私 ここは市民の……
隊長 違う! 許可、われわれは取ってやってる。あなた許可やってるんですか、って。市民のものじゃない、許可やってるのかどうか、まずそこを確認してるんだよ。
私 ここの許可は……
隊長 じゃあ許可取れ! 早く、取ってこい!
私 どこから……
隊長 私は市から取ってます、全部。
私 宮古島市ですね。
隊長 はい、早く行ってください。行ってください。まず行ってからやってください。行ってからやってください。早く。いいですか、いいですか、いいですか、分かりましたか。
私 はい。
私は隊長に詰め寄られ、顔の前で、大声の怒声で、命令口調で恫喝された。このやり取りは、撮影された映像がメディアに提供されたことでSNS上で一気に拡散し、武力を持つ組織の統率責任者が市民を恫喝する姿を白日の下に晒して衝撃を与えている。そして、自衛隊応援のネット右翼の人々は、「悪いのは隊長ではなくお前だ」と私たちへの誹謗中傷を再生産している。
前日夕刻の出発式は伊良部島の長山港で行なわれた。この訓練は、二十キロの装備品を担いで、35キロの公道を一晩中歩くというものだ。私たち反戦・反基地の運動をしている市民団体は、島を戦場に見立てて行なわれるこの「行進」訓練は、防災訓練と銘打ってはいるが、小さな島で民家もあまりない公道を徹夜で歩くことに「防災」の意味は見いだせないと考えている。若い新隊員を「兵士」として鍛える訓練であり、旧日本軍の戦時中の「死の行軍」を彷彿とさせるものであり、銃こそ携行していないが戦闘服の集団が公道を行進する姿は市民には脅威である、何より基地の敷地外の公道での訓練は約束違反である等の理由で反対している。
この5日夕刻の出発式の際には、私たちは長山港に7、8名で出かけ、「行軍訓練は戦争訓練!」と抗議した。しかし、6日早朝の「海の駅」駐車場では、私たち2人は抗議行動はしていない。それは映像から確認できる。