翻弄されるウクライナ――トランプ外交に憤る市民たち

新田義貴(映画監督、ジャーナリスト)
2025/05/08
戦闘が激化するドンパス地方で暮らす女性(2023年7月5日、ドネツク州シベルスク。撮影筆者)

 「24時間以内にウクライナでの戦争を解決する」と豪語していたドナルド・トランプがアメリカ合衆国大統領に就任して3カ月が過ぎた。プーチン大統領は4月20日の復活祭に合わせ30時間の停戦を一方的に宣言したが、これは交渉難航にいら立ちを強めるトランプ大統領への配慮と考えられ、本質的な停戦とは言いがたい。ロシアとウクライナ双方の隔たりは大きく、いまだ解決の糸口は見えない。

 2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻すると、僕は11日後にはウクライナに入国し、キーウを中心に40日にわたり取材を行なった。その後も2023年6月、2024年2月と計3度、現地に渡航し、戦闘の最前線や市民の暮らしを取材しつづけてきた。今もウクライナにいる友人たちと定期的に連絡を取り合って、彼らの近況と戦争への思いを聞いている。

 今回、トランプ大統領が主導し、なかば強引に進めようとしているようにもみえる停戦交渉について、僕の3人の友人の声を紹介したい。うち二人はウクライナ人の映画監督とカメラマン、そしてもうひとりは現地で27年暮らす日本人のキリスト教牧師だ。彼らの声を通して、目まぐるしく変わる国際情勢の中でウクライナの人々がいま何を思っているのか、感じ取っていただければと思う。

空襲警報鳴り響くキーウ

 4月上旬、日本時間の土曜日の未明、オンラインビデオ通話に応答したタラス・ツカチェンコは住宅街を歩いていた。7歳の息子ルカを連れて帰宅する途上だという。その間も、空襲警報が鳴りつづけている。危険なのでいったん通話を切って、帰宅後に話すことにした。

マイダン広場に立つタラスツカチェンコ 写真はすべて筆者提供

 タラスと初めて出会ったのは2022年の3月、ウクライナ西部の都市リヴィウだった。キーウ出身の映画監督であるタラスは、妻と息子を西部に避難させ自らはキーウとの間を往復しながら人道支援活動を行なっていた。英語の堪能な彼に取材の通訳をお願いすることになった。彼の運転する車でキーウへ向かった。当時、キーウはロシア軍に包囲され地上部隊が15キロ手前まで迫っていた。ウクライナ軍が前線取材を禁止したため、僕らはタラスとともにキーウの町を走り回り、ひたすら市民の声を拾いつづけた。次第にロシア軍によるミサイル攻撃が激しくなり、空襲の現場も何度も取材した。タラスは言った。

 「誰もが座って何かを待つのではなく、自ら何かをしようとしている。これこそがプーチンの最大の誤算だ」

 そのときの取材の最大の実感は、ウクライナの市民の団結の強さだった。まだ200万人がキーウの町に残っているとされていた。ロシア軍の進入に備え、若者たちは路上で土嚢を作り病院を守ろうとしていた。タラスのアパートに泊まりながら取材をつづけた。そして4月初め、ウクライナ近郊の町ブチャやイルピンなどをウクライナ軍が奪還したとの衝撃的なニュースが届いた。さっそくタラスとともにブチャへ向かった。教会の庭の地中から、住民の遺体が堀り起こされていた。ウクライナ当局の発表で400人を超える遺体が発見された「ブチャの虐殺」だ。

 「ロシア人には慈悲の心がないことが分かった」

 タラスはこの直後、ウクライナ軍の記録映画の監督に抜擢され、以来、戦場で兵士たちの撮影をつづけてきた。

 帰宅したタラスと再びオンラインで話をつづける。会話中、何度も息子のルカが泣きわめきながら部屋に入ってくる。戦争が始まった時は4歳だったルカもすでに7歳だ。人生の半分近くを戦時下で過ごしていることになる。最近、ルカが精神的に不安定になっているという。タラスがスマホを持って窓の向こうの景色を映す。

 「ヨシ、あの建物を憶えているか? 先週ロシア軍のミサイル攻撃を受け、15歳の女の子が亡くなったんだ」

 ルカは最近、戦車の絵をしきりに描いているという。戦争が長期化する中で、子どもの心に与える影響も深刻になりつつある。戦争が始まってから、妻はタラスのもとを去った。戦争がもたらす不安やストレスが、多くの家族の暮らしをむしばみつづけている。

空爆で自宅アパートを破壊された男性2023年3月15日キーウ

〝ウクライナ〟か〝死〟か

新田義貴

にった・よしたか 映画監督、ジャーナリスト。1969年東京都出身。1992年NHK入局。2009年ユーラシアビジョンを設立。劇場公開映画に「歌えマチグヮー」(2012年)、「アトムとピース~瑠偉子・長崎の祈り」(2016年)。2025年6月からドキュメンタリー映画「摩文仁 mabuni」が全国劇場公開。

2025年6月号(最新号)

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