【イスラエルイラン戦争】

イスラエルが真に恐れるべきもの

文/オーリー・ノイ

Orly Noy イラン出身イスラエル在住ジャーナリスト。Local Call編集者、ペルシア語翻訳家。イスラエルの人権NGO「B’Tselem」執行委員会議長。女性問題や女性政治家、移民問題などを多く扱い、移民としての自身のアイデンティティや対話についての発信も続ける。

この原稿は、+972 magazine 及びLocal Callに掲載されたIsrael’s greatest threat isn’t Iran or Hamas, but its own hubris(June 15, 2025)の翻訳です。

イスラエルの首都テルアビブで、イランからの弾道ミサイルによる集中攻撃の直撃を受けて破壊された民家。イスラエルは、イランはこの日、イスラエルがイランの核関連施設などに行なった攻撃の報復としてイスラエルに向けて数十発の弾道ミサイルを発射した。2025年6月16日。 Photo by Matan Golan/SOPA Images via ZUMA Press Wire/共同

イスラエルは6月13日、
イランの核関連施設など100以上の標的への攻撃とイランの要人の殺害を開始した。
6月22日現在、報道では、この攻撃によってすでに民間人430人の死者が発生するなど、大きな被害が起きている。これに対してイランも報復攻撃を開始、アメリカもイランの核関連施設を攻撃するなど、軍事衝突が激化している。
イスラエルにおいてパレスチナの人々の声を伝えるウェブメディア+972から許諾を得て、掲載する。

新たな爆発があったのか、イランのミサイル攻撃を受けたテルアビブの現場で上空を見上げる救助隊。イスラエル。Photo by Ronen Zvulun/Reuters/共同

イランへの攻撃、ペルシャ語での叫び

 私は、9歳のときに家族とともにイランを離れ、それ以来、人生のほとんどをイスラエルで過ごしてきた。家庭を築いたのも、娘たちを育てたのも、ここイスラエルだ。とはいえ、イランという地は、いつだって私の故郷でありつづけている。

 〔イスラエルがガザへの軍事侵攻を開始した〕2023年10月以降、私たちは、数え切れないほどのパレスチナ人――大人、そして子どもたち――が、廃墟となった家のそばに立ちつくす姿を目撃してきた。彼らの叫びは、いまも私の心に刻み込まれている。

 しかし今回、イスラエルがイランに行なった凄惨な映像を目の当たりにし、私の母国語であるペルシャ語での叫び声を聞いた時、私の中でガラガラと崩壊したなにかは、これまでの人生のどの場面でも経験したことがない圧倒的なものだった。イランの大地でまさにいま起きているこの破壊が、私が市民権を持つ国(つまりイスラエル)によって行なわれている――。その事実はあまりに耐えがたく、私の心を深くえぐった。 

イスラエルの攻撃を受け炎が上がるイランの石油貯蔵施設。テヘラン。2025年6月15日。ゲッティ=共同

「完全なる勝利」という妄想、「全能の軍隊」という呪縛

 イスラエルの人々は、長い間、隣国に対して深い軽蔑の気持ちを抱きながら、自分たちこそはこの地で生き残ることができるのだと確信しつづけてきた。そして、時を問わず、相手が誰であれ、暴力を行使して殺戮行為を繰り返すようになった。80年近くもの間、イスラエルの「完全なる勝利」は常に、すぐそこにあるのだとされてきた。パレスチナ人をうち負かし、ハマスを排除し、レバノンを制圧し、イランの核能力を破壊する――。そうすれば、楽園は自分たちのものになると、人々はそう本当に信じてきた。

 しかし、こうした「勝利」は、一方で大きな犠牲をともなう「ピュロスの勝利」〔損害が大きすぎて割に合わない勝利の意〕であることは、すでに証明されている。一つひとつの「勝利」がイスラエルを孤立させ、一つひとつ「勝利」するたびに、イスラエルは、わきおこる憎悪の深淵に自ら落ちていっているのだから。

 1948年のナクバ〔イスラエル建国にともない、その地にもともと住んでいた70万人ものパレスチナ人が土地を追われた〕で、イスラエルは建国という「勝利」を手にしたが、一方で、いまだ解決しない難民危機を引き起こし、パレスチナ人に対する隔離と差別を生んだ。1967年にはじまった第三次中東戦争の「勝利」は、パレスチナ人を軍事占領下に置き、いまも彼らの抵抗を煽りつづけている。そして2023年10月から今に続くガザ地区への軍事侵攻は、パレスチナ人に対するジェノサイドへと発展し、そうした行動で、イスラエルは今や、国際社会の「のけ者」として孤立しかけている。

 この一連のプロセスの中核を成す存在であるイスラエル軍は、もはや無差別な大量破壊兵器へと変貌を遂げた。そして、イスラエルの市民からの信頼と絶対的な地位を維持するため、派手なパフォーマンス――レバノンでのポケベルタイプの通信機器の爆発や、敵国の心臓部に工作員を送り込んで「ドローン基地」を設置するなど――を繰り返している。ジェノサイドを推進する国家の指揮下で、出口の見えない戦争は、ますます泥沼化している。

 〔2023年〕10月7日にイスラエルがハマスからの攻撃を受け、その後すぐにイスラエル軍がガザへの猛攻撃を開始したとき、イスラエル政府は国民に対し、この攻撃の目的はハマスの壊滅と人質解放だと説明した。しかしこれら二つの目的の間に内在した矛盾は、すでに明らかになっている。ハマスの壊滅を目論んだガザ地区への激しい攻撃は人質解放の進展にはつながっていないし、それどころか直接的・間接的に50人以上の死者をもたらした。そしてその後は、政府の目的はいつしか、ガザ地区住民200万人の民族浄化や、同地区の長期的な軍事占領の再開といったものに変化していった。

 今回のイスラエルによるイランとの新たな戦争が始まってもうすぐ一週間がたつが、この時と同様のプロセスが、さらに加速して進行している。つまり、当初はイランの核開発計画を阻止することを目指していたイスラエルはすでに、ハメネイ政権の打倒という野心を公然と表明している。勝利のための目的は常に変わり、エスカレートする。

 イスラエル社会というのは、長い間、こうした「全能の軍隊」の呪縛によって満たされ、その呪縛にとらわれた市民らは、自分たちは無敵なのだと信じ込まされてきた。一方では軍隊への絶対的な崇拝、他方では近隣国への傲慢な軽蔑が、自分たちは決して、いかなる代償も払うことはないのだという信念を育んできた。

 とはいえ2023年10月7日、そうした人々の幻想(自分たちは免責される)は――たった一瞬であっても――粉々に打ち砕かれたはずだ。しかしあの時、市民らは、その瞬間の意味に真摯に向き合うのではなく、国家による復讐のキャンペーンにやすやすと屈した。なぜか。殺戮を通じてのみ、自分たちの世界は再び意味を取り戻すからだ。イスラエルが殺し、パレスチナが死ぬ。そして秩序は回復する――。

パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区北部のトゥルカルムパレスチナ難民キャンプをイスラエル軍のブルドーザーが破壊していく。国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、この作戦でイスラエル軍には58の構造物に対する破壊命令が出されていた。 2025年6月11日。Photo by Nidal Eshtayeh/Xinhua/共同

イランによる報復攻撃

 だからこそ、イランからの報復攻撃で爆撃を受けた首都テルアビブ、ラマト・ガン(テルアビブ郊外)、バト・ヤム(同)、リション・レジオン(イスラエル中部)、タムラ(ガリラヤ地方のアラブ都市)といったイスラエルの街が映し出された画像は、多くのイスラエル人にとって大きな衝撃だった。そして、そこに映し出される崩壊した建物や街は、私たちがガザで見慣れてきたものと、信じられないほど似通っていた。焦げ落ちたコンクリートの骨組み、立ち上る煙、粉塵、瓦礫と灰に埋もれた街路、救助隊員が拾い上げる子どものおもちゃ……。
 これらの画像は、自分たちはあらゆる脅威から逃れられ、免責されるのだというイスラエル社会の集団的妄想に、束の間の亀裂をもたらした。破壊の規模でいえば、ガザで日常的に起こされているものとは程遠い。しかしこの新たな戦争もまた、確かに民間人の命を奪っている。 

イランのコムで行われた、イスラエル・イラン戦争に巻き込まれた犠牲者の葬儀。2025年6月20日。Photo by Ahmad Zohrabi/ISNA/WANA/Reuters/共同

永遠に剣に頼っては生きられない

 とはいえ、イスラエルが、ずっとこうだったわけではない。かつては、イスラエルのユダヤ人指導者の中にも、この地域における自分たちの存在が、「完全なる免責」という幻想では維持できないことを理解していた人たちがいた。彼らは優越感を抱いていなかったわけではないかもしれないが、少なくとも、この基本的な真実を理解していた。1990年代後半から2000年代はじめにかけて左派メレツ党党首などを歴任した故ヨシ・サリドは以前、当時のラビン首相の発言をこう回想している。「50年間も力を見せつける国は、いずれ疲れ果てる」――。ラビン首相は、ネタニヤフ首相の恐怖に満ちた考えとは反対に、永遠に剣に頼って生きるという選択肢が、まったく現実的ではないことを理解していたのだ。
 しかしこんにち、イスラエルにはそうしたユダヤ人政治家はもういない。シオニスト左派らはイランへの無謀な攻撃に歓喜の声を上げるが、それは、自分たちが何をしようと、あるいは自分たちが住む地域から「他者」をどれほど排除しようと、軍隊が常に自分たちを守ってくれるという幻想への頑固な執着の露呈に他ならない。
 「強い国民、決意に満ちた軍隊、そして屈することのない民間防衛軍。我々はこれらでもって常に勝利をおさめ、今回も勝利する」――。メレツ党と労働党の合併で誕生した民主党のヤイール・ゴラン党首(元イスラエル国防軍副司令官)は、13日のイランへの攻撃後、Xにこう投稿した。同党のナアマ・ラジミ議員もこれに続き、「高度で優秀な情報システムとイスラエル国防軍、安全保障システム、勇敢なパイロットたちと空軍、イスラエルの防衛システム」に感謝の意を示している。
 これらの発言を見ても、軍が与える完全なる免責という幻想は、今や右派よりもシオニスト左派においてより深く根付いていることがわかる。右派が安全保障上の不安に対する答えとして示すのは殲滅と民族浄化であり、それが彼らの最終目的だ。しかしイスラエルのユダヤ系中道左派は、軍の持つ「無限の能力」をほぼ全面的に信頼しきっている。この点で、軍を破壊と民族浄化という自らの目標を遂行するための道具としてしか扱わない右派よりも、はるかに、熱烈に崇拝していることは明らかだ。 

ガザ市北西部スーダン地区の援助物資の配給所で、前夜に殺された親族の遺体に集まる子どもたち。ガザではこれまでにも配給所に集まった住民が発砲を受け数百人規模で殺されている。2025年6月18日。Photo by ZUMA Press Wire/共同

 しかしいま、私たちイスラエル人は理解しなければならない。私たちに免責特権などない。存在そのものが軍事力のみに依存している民族は、いずれ暗黒な破滅の深淵に突き落とされ、最終的には敗北に通じる運命にある。
 過去80年間はおろか、ここ2年間からこのもっとも基本的な教訓を学んでいないとすれば、私たちは完全にいま、自らを見失っている。そしてそれは決して、イランの核開発計画やパレスチナ人の抵抗のせいではない。この国家全体をむしばんでいる、盲目的で傲慢な思い上がりのせいなのだ。

ヨルダン川西岸地区のナブルス旧市街で、銃を構えるイスラエル兵のそばを移動する男性。この直前、イスラエル兵の武器を奪おうとしたとして2人のパレスチナ男性が射殺された。2025年6月10日。Photo by Wahaj Bani Moufleh/Middle East Images/ABACA/共同

2025年8月号(最新号)

Don't Miss