立憲主義と恐怖の統制

木村草太(東京都立大学教授)
2026/04/09

はじめに 際限なき恐怖

 「敵国に攻撃される恐怖には際限がない」。アメリカの軍事行動を見て感じたことだ。

 トランプ大統領はイラン攻撃を開始した2月28日にSNSに投稿した動画で、軍事行動の目的について、イランからの「差し迫った脅威」を取り除き、「米国民を守る」ことと説明した。世界最高の軍事力を持っていても、脅威は決してなくならないということだ。

 歴史を振り返っても、恐怖は、やがて理不尽な武力行使に至る。ベトナム戦争(アメリカの本格介入は1965~1975年)は、周辺国が共産化し、やがてアメリカを脅かすという恐怖に駆り立てられたものだった。イラク戦争(2003年)の口実は、大量破壊兵器への恐怖だった。こうした行動は、アメリカだけのことではない。イスラム原理主義による共産主義の駆逐に怯えたソ連のアフガニスタン侵攻(1979年~1989年)やNATO拡大への恐怖を一因とするロシアのウクライナ侵攻(2022年~)についても同様だ。

 圧倒的な武力行使は、一時は、相手を思いのままにできるかもしれない。しかし、必ず禍根を生む。アメリカやイスラエルが中東諸国から向けられる敵意に怯え、ロシアが旧ソ連・東欧諸国から向けられる憎悪に怯えるのは当然だろう。しかし、それは自らの軍事行動が生んだ怨念だ。一度、生まれた怨念は簡単には消え去らない。それを解消するには、途方もない時間がかかるだろう。

 恐怖に飲み込まれないためには、恨みを買わないのが一番だ。それには、落ち着くこと、そして慎重になることだ。そのために、立憲主義がある。

1 前提:憲法と自衛隊

 立憲主義を論じる前に、最低限の前提知識を確認しておこう。

 国際ニュースを見て、日本の安全保障が心配になるのは当然だ。その流れで、「現行憲法は自衛を放棄しているから怖い」とする趣旨の言説はいまだに多い。

 しかし、そうした言説は、明らかな誤りだ。政府は、「現行憲法は日本への急迫不正の侵害があったとき、武力行使を含む自衛の措置をとることは違憲ではない」としてきた。それを前提に、「自衛のための必要最小限度の実力の保有も禁止されない」とする。

 こうした解釈は、憲法上、どのように根拠づけられるのだろうか。政府の説明の概要は、次のようなものだ。

 確かに、憲法9条の文言だけを読むと、「実力の行使及び保持の一切を禁じているようにも見える」(2003年7月15日・小泉純一郎首相答弁書)。しかし、憲法13条後段は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定める。また、前文の平和的生存権やその他の憲法上の権利の規定(1)もある。こうした国民の権利を守ることは、憲法が日本政府に課した重大な義務だ。したがって、外国からの急迫不正の侵害があったとき、その義務を果たすために、実力行使を伴う自衛の措置をとることは、9条の禁止するところではない(2014年7月1日・安倍晋三内閣閣議決定)。

(1)この点は、阪田雅裕『「法の番人」内閣法制局の矜持』(大月書店・2014年)123頁の解説も参照。

 現在の政府は、この解釈を基本に、「日本に対する武力攻撃が生じた事態(武力攻撃事態)」に、武力行使できるよう法制を整えてきた。実際に、自衛隊も必要な装備を持ち、訓練もしているはずである。

 この点、少々注意が必要なのが、2015年安保法制だ。2015年安保法制は、自衛の措置には「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」(存立危機事態)での武力行使も含まれるとした(前記安倍内閣の閣議決定参照)。しかし、日本が武力攻撃を受けていないにもかかわらず、外国に対して武力攻撃をすれば、憲法違反だ(2)。違憲を回避するなら、存立危機事態条項については、「日本が武力攻撃を受けた場合に限られる」という限定解釈をするしかない(3)。2015年安保法制は、「日本への武力攻撃があった場合にのみ、武力行使による自衛の措置を認めている」という前提で理解すべきだろう。

(2) 長谷部恭男「自衛権および自衛力」高橋和之・長谷部恭男編『芦部憲法学』(岩波書店・2024年)69頁。
(3) 長谷部恭男他『検証安保法制10年目の真相』(朝日新書・2025年)46頁。

 こうした限定解釈を前提とするならば、政府解釈は法理的にも支持できる。これを前提にすると、現在の緊迫した国際関係に対応するための防衛力の増強は、自衛のための必要最小限度を超えない限り(4)、憲法で一律に禁止されるということにはならない。

(4) 著名な自衛隊違憲説は、「国内治安の維持」を目的とする警察力と、「外からの侵害排除の任務」を目的とする軍事力を区別し、後者の保有を違憲とする(芦部信喜『憲法学Ⅰ憲法総論』有斐閣・1992年266~267頁)。しかし、日本国内で人が殺されたときに、外国軍からのミサイル攻撃であろうと、犯罪者による発砲であろうと、殺人行為であることに違いはない。外国からの攻撃についてのみ、日本政府が国民の保護義務を放棄するいわれはない。芦部説は、国民保護を偽装した侵略予備行為を禁じたものと理解すべきだろう。 なお、芦部教授は、本書の中で自衛隊を違憲と評価している。しかし、この評価も、あくまで「その時点の国際社会や自衛隊の状況」を前提に、「自衛のレベルを超えており、戦力に当たる」と評価したものであって、国際情勢が変動した場合に、そのまま妥当するものではないと理解すべきだろう。長谷部前掲注2)は1995年の段階で、芦部教授がその時点の自衛隊を合憲とする趣旨の議論をしていたことを指摘する。

 世の中には、不安を煽って、人々を駆り立てようとする人もいる。しかし、現行憲法は、国民の安全を守るべき義務と、それに必要な権限を国に与えている。防衛力の整備に関する議論は、防衛や国際政治の専門家の知見を丁寧に汲み上げ、透明性を確保して、国民の自由や権利を最大限尊重できる体制を作りながら、慎重に進めればよい(5)

(5) 自衛隊と憲法の関係の詳細は、木村草太『自衛隊と憲法(第3版)』(晶文社・2026年出版予定)参照。

2 今日の立憲主義

 本論に入ろう。制限なき権力は、悲劇をもたらす。これが立憲主義の出発点だ。

木村草太

1980年生まれ。東京都立大学教授。2003年、東京大学法学部卒業。同年、東京大学法学政治学研究科助手、2006年、首都大学東京(現東京都立大学)准教授。2016年より現職。著書に『憲法』『「差別」のしくみ』『自衛隊と憲法』など。

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