【書評】『あきれ果てても、あきらめない 「子ども脱被ばく裁判」』

兼子 歩(明治大学准教授。専門はアメリカ社会史)
2026/10/07

 2011年3月11日、東京電力福島第一原発事故が起きた。その直後、国と福島県は、SPEEDⅠ(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)などの被ばくに関する情報を市民に隠蔽してしまう。公開されていれば、無用な被ばくは避けられていたはずであった。何のためのSPEEDⅠであったのか。

 安定ヨウ素剤についても、チェルノブイリ事故のときの近隣諸国(ポーランド)では、子ども1000万人、大人700万人に安定ヨウ素剤を投与し、小児甲状腺がんの発生ゼロ、副作用はわずかだった。けれども、東電福島第一原発事故では、避難事故地域の子ども、三春町(福島県田村郡)の子どもをのぞき、被害を抑える安定ヨウ素剤を服用させなかった。そして、さらには福島県だけが、被ばくの限度として定められている年間1mSvをいきなり20倍の年間20 mSvに引き上げられて、学校が再開させられた(当時の文部科学省が採用)。これについては、首相の肝いりで内閣官房参与に任命された東大教授の小佐古敏荘氏が「わたしのヒューマニズムからしてもこの数字は受け入れ難い」と涙ながらに語って辞任している。原爆症認定集団訴訟で国側の証人として、国の主張に沿った発言をしてきた人物が、学問上の見地からのみならず、人間として抗議したことは、大きな衝撃を与えた。

 そして、今現在、小児甲状腺がんになったお子さんが、400人に達している。

 これら、国や県が子どもたちを被ばくから守るための対策を怠ったことに対して、福島に暮らしていた親や子どもたちが、2014年にその責任を問う訴訟を福島地方裁判所で起こした。それが「子ども脱被ばく裁判」である。「子どもたちを安全な環境で学ばせたい」。そのためにも被ばくの責任の所在を明らかにし、生命や人権が擁護されない状況を改善しないといけない。この裁判には、漫画『あしたのジョー』の作者であるちばてつや氏も注目し、丹下段平よろしく一審から原告団に伴走されている。裁判は10年にわたって最高裁まで争われたが、最高裁判所は、2024年11月に上告棄却、上告不受理の決定をした。なぜ国は、司法は、子どもたちを被ばくから守らなかったのか?本書は原告や弁護団、全国の支援者の証言を通して、事故後の日本で何が起きていたのかを記録している。

 刊行記念に著者のお一人でもある井戸謙一弁護士(子ども脱被ばく裁判弁護団共同代表)と水戸喜世子さん(子ども脱被ばく裁判原告)に隆祥館書店にお越しいただいてトークイベントを行なった。井戸さんはかつて北陸電力志賀原発2号機の運転差し止めの判決を言いわたした裁判官である。

 お二人からは、3・11原発事故から、「子ども脱被ばく裁判」に至るまでの経緯、また、子どもに無用な被ばくを強いた原因行為(違法行為)として何を取り上げたか、また、放射性物質の恐ろしさについてお聞きした。

 お話の中で分かったことは、日本には、本来あるべき放射性物質に関する環境基準がないということである。引き上げた年間20 mSv(生涯1400mSv)の被ばくではがん死の割合が10万人に7000人であるが、この事実が市民にまったく知られていないということである。

 また、現在の福島の土壌中の放射性セシウムのうち、不溶性のものが占める割合についても、元京都大学技官である河野益近氏の調査結果を見せていただいた。

 子ども脱被ばく裁判を闘った意義として、「被ばくさせられたこと」自体を損害として賠償を求めた唯一の裁判で、低線量被ばく・内部被ばくのリスクを正面から争点化したということが挙げられる。一方、井戸さんも水戸さんも裁判によって感じたこととして「原子力村は十分な準備をしてことに臨んでいる。それに対して、市民の側は準備の点で圧倒的に負けている」と話された。要するに、事故が起こったときは、住民を守るためではなく、いかに「原発事故の被害を小さくみせるか」の準備ができているということを実感されている。特別ゲストとしてお越し下さった小出裕章さんも官、民、財、御用学者などが一体化したこの原子力村のネットワークのご発言を下さった。小出裕章さんの子どもたちへの言葉には、会場の皆さんが涙されていた。

 最近、日本全国で大きな地震が発生している。原子力発電所は、日本中にある。大地震が発生し、福島のような原発事故が起これば、このままでは同じようなことになる。一番影響を受けるのは子どもたちだ。万が一のためにも安定ヨウ素剤についての理解を深めることの必要性を感じた。

 本書には司法の場で明らかにされた福島第一原発事故、被ばくの実態が記されている。

 なぜ、この裁判結果なのか。あきれ果てるが、原告団はあきらめていない。シカゴ大学名誉教授のノーマ・フィールドさんもアーカイブ視聴を申し込まれ、「これは終わったことの記録に決してとどまらず、これからの闘いへの蓄えとなることでしょう」とのメッセージを寄せて下さった。「あきれ果てても、あきらめない」とは、本書を通じての決意表明でもあった。

『あきれ果てても、あきらめない 「子ども脱被ばく裁判」——なぜ、子どもたちは守られなかったのか 東京電力・福島第一原発事故を問う』
子ども脱被ばく裁判の会編
泉町書房
2026年7月、1760円(税込)

二村知子

(ふたむら・ともこ)大阪市にある隆祥館書店の店主。1960年生まれ。1949年創業の隆祥館書店の奮闘は木村元彦『一三坪の本屋の奇跡』(ころから)に詳しい。

2026年11月号(最新号)