1945年7月。米国ニューメキシコ州の砂漠で人類初の核実験が行なわれた。それ以来、人類は「世界の破滅」をもたらす可能性がある核兵器の拡散をどう防ぐか、との問いに悩まされ続けてきた。
現在、世界では9カ国が核兵器を保有しており、さらに多くの国が核抑止に依存している。果たして、人類は核兵器の拡散防止に成功したといえるのだろうか。原子力平和利用への期待が高まるとともに、核の脅威に対抗するには核抑止力の強化しかない、と考える国が増えている現状をどう考えればよいのか。被爆81年の今、改めて核不拡散問題を考え直してみたい。
核軍縮・不拡散の原点――二つの報告書
マンハッタン計画の最終段階、1945年6月、シカゴ大学の科学者たちが「政治的・社会的諸課題に関する委員会報告(1)」を政府に提出した。座長のジェイムズ・フランク博士の名前をとって、「フランク・レポート」と称するこの報告は、核兵器開発に携わった科学者からの貴重な提言として、注目すべき内容を含んでいる。その結論は「核兵器に対して有効な防御策は(科学ではなく)世界的な政治機構によってのみ実現できる」というものだった。さらに報告は、日本への核兵器使用にも反対で、「米国が核兵器を使用したら、核軍拡競争が始まる」と、現在までの状況を見事に予見していた。
(1) “Report of the Committee on Political and Social Problems”, (The Franck Report), June 11, 1945.
そして、その趣旨は戦後すぐに発表された、「核エネルギーの国際管理に関する報告(2)」(通称「アチソン・リリエンソール」報告)に引き継がれたのである。報告において注目すべき結論の一つが、「『ウラン濃縮』と『再処理』は核拡散リスクという点で「危険」な原子力活動である」というものだ。原子力技術の中でも核兵器の材料となる高濃縮ウランとプルトニウムを生産する技術、「ウラン濃縮」と「再処理」を「危険な技術」と呼んで、特に警告を発していたのだ。そして、フランク・レポート同様、核兵器・核技術の国際管理を提唱し、その提案が「バルーク案」として同年の国連で紹介された(3)。
(2) “A Report on the International Control of Atomic Energy”, March 16, 1946.
(3) “The Baruch Plan”, Atomic Archive.
残念ながら、ソ連の反対で国際管理構想は実現しなかったが、その代替案として紹介されたのが、1954年にアイゼンハワー大統領が提唱した「平和のための原子力(Atoms for Peace)」構想であった(4))。原子力平和利用の推進演説とも言われるこの構想の根本は、やはり「核技術の国際管理」、すなわち核不拡散政策が原点であった。この構想のもと、国際原子力機関(IAEA)が設立され核技術の軍事転用を防ぐ保障措置が制度として確立したのである。
(4) Address by Mr. Dwight D. Eisenhower, “Atoms for Peace Speech”, December 8, 1953.




