【連載】台湾・麗しの島だより——移行期正義の練習帳(第11回)無数の「17歳のあなた」

栖来ひかり(文筆家)
2025/04/04

移行期正義(Transitional Justice)〉……過去に大きな不正や人権侵害があった社会が、真実を追求して責任の所在を明確にすると共に、分断された社会の和解をめざし、より良い未来を築くために行なうプロセスのこと。

これまでの記事はこちら(連載:台湾・麗しの島〈ふぉるもさ〉だより)


 わたしは山口県の出身だが、祖父は福岡県の門司に住んでいた。そもそも門司は「バナナの叩き売り」で知られるが、これは、戦前より台湾とのあいだにフェリー(内台航路)が往来していたことによる。台湾から船に積んだ青いバナナを神戸まで運ぶ際、黒ずんでしまったバナナを途中の門司港で下ろし、手っ取り早く港内で売りさばいた。それと関係あるかはともかく、祖父の家に遊びにいくと、いつもバナナがあった。当時のバナナは高価だったが、祖父は国鉄の職員で特に裕福だったわけでもない。だから、よほどバナナが好きだったのだろう。

 幼いころ、祖父に尋ねてみたことがある。

 「おじいちゃんは、どうしてそんなにバナナが好きなの?」

 祖父は先の戦争で海軍におりフィリピンに船で行ったこと、台湾に寄港したとき、積み込まれたバナナを初めて食べてその美味しさに驚き、それ以来、大好物になったことを話してくれた。それまで祖父から、戦争についての話をほとんど聞いたことがなかった。今思えば、戦争に出征し帰ってきた多くの方々と同じく戦争の記憶を口に出すのを嫌っていたと思う。だから、祖父の口から珍しく出た「戦争」という言葉が印象的で、とくに頭に残っているのだった。祖父はわたしが大学に入ったころ、亡くなった。

 それから10年ほど経った19年前、わたしは縁あって台湾人男性と結婚し、台湾で暮らすことになった。そんなわたしに、父や叔母はこんなことを話してくれた。

 「お祖父ちゃんは、台湾へ行きたいって死ぬまで言っとったんよ」

 「お祖父ちゃんの親友の船がね、台湾とフィリピンのあいだの海に沈んでいるから、お参りに行きたいってねえ」

 わたしがバシー海峡について知ったのは、台湾に来てずいぶん時が経ってからだ。2022年に初めてバシー海峡戦没者慰霊祭に参加し、祖父が来たかったのはこの場所だったとわかった。

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栖来ひかり

(すみき・ひかり)文筆家。1967年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路』(図書出版ヘウレーカ)、『日台万華鏡』(書肆侃侃房)など。

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