日本学術会議の解体――今後の課題

小寺隆幸(明治学院大学国際平和研究所研究員)
2025/07/09

現行の学術会議法にある「平和」の言葉を削除し、新法ではその拡張として「経済社会の健全的な発展」が目的とされた。政権が今めざすのは、最先端の兵器を開発・製造・輸出する「死の商人国家」としての日本経済の発展である。軍事研究に反対する学術会議の解体もその一環である。(本文より)

強行された法制化と私たちの取り組み

 現在の日本学術会議を解体し、総理大臣が統制する特殊法人としての新たな日本学術会議を来年10月に設立する法律が、市民の抗議が渦巻く中で6月11日に成立した。

 筆者は本誌3月号記事「本質的問題は消えていない――学術会議法人化法案のまやかし」で「執行部が全会員の声を真摯に聴き、総意を練り上げる努力を」と記した。臨時総会は設定されなかったものの、法学委員会を中心とする会員の奮闘により4月15日の総会で法案修正を求める決議がなされた。

 しかし、4月18日に始まった国会審議でも、政府は「学術会議は法人化は認めており、法案提出にも反対していない」と法案の抜本的修正を求めていることを無視しつづけた。野党の質問にもまともな答弁はなされず、大臣の違憲発言も見過ごされたまま、5月13日の衆議院本会議で、立憲、共産、れいわ、国民民主、社民、有志の会の反対にもかかわらず、維新が少数与党に加担し、僅差で通過した。

 続く参議院審議では、学術会議の修正決議を踏まえ立憲が全面的な修正案を提出したが、ほとんど審議されなかった。熟議もせず数の力で学術の将来が決められることに抗議して、6月4日に任命拒否当事者の加藤陽子さん・小沢隆一さんが田中優子法政大元総長らと国会前での座り込みを決行、350名の市民が激励した。さらに9日には上野千鶴子さんや小玉重夫日本教育学会会長ら40名の学者・文化人が雨の中座り込んだ。しかし翌日の委員会でそれについて坂井学内閣府担当大臣は、「外部からの不当な介入を許容しない」と答えた。学問への敬意など微塵もない政治家が学術会議を解体した。

 12日、学術会議の光石衛会長は「修正に至らなかったことは非常に残念」「新たな法律の下での日本学術会議のさらなる発展に向け…自ら主導する」との談話を発表した。歴代会長も法人化までに執行部がなすべき具体的な取り組みについて声明を発表した。私たちも外から支えたい。

 私たちの運動は、2月にネット署名を呼びかけた17団体などが結成した「日本学術会議の『特殊法人化』法案に反対する学者・市民の会」が主体となり、4月14日の学術会議総会での「人間の鎖」、5・6月の11回に及ぶ国会前での「人間の鎖」、2回の座り込み、国会議員を招いた4回の院内集会を行なった。参加者は延べ4000名、署名は7万筆を超えた。東京だけではなく、札幌、仙台、新潟、長野、名古屋、京都、大阪、神戸などでも学者と市民の協同の取り組みがなされた。大組織や政党の主導ではなく、学者・教育関係者・弁護士・ジャーナリスト・労組・市民ら、立場の違う小さな団体と個人が互いにリスペクトし力を合わせることで、学問の自由と独立を守る新たな運動が生み出された。法制化は阻止しえなかったが、学問の自由を守る闘いはこれからも続く。その課題を3点指摘したい。

広く民主主義を守る取り組みとして

 残念ながら多くの市民には「学問の自由」はまだ自分の問題になっていない。しかし国会審議で明らかになったのは、「学問の自由」の侵害が「言論の自由」の制限や民主主義の破壊と重なって進む現実である。東大の隠岐さや香さんは科学史研究を通して「国がおかしくなる時、権力者は学問から手をつける」と指摘している。それは今のアメリカでグロテスクに現実化している。今なすべきは、この闘いを、民主主義を守る広範な闘いと結びつけることである。

 国会で何が語られたかを見ておこう。5月9日、衆議院内閣委員会で維新・三木圭恵議員が、「学術会議元会長が辞めて数年後に赤旗に寄稿した。こういう方が名を連ねている歴代会長6名の声明は政治的に中立と言えるか」と質問した。寄稿自体に何の問題もなく、そのことと関係のない歴代会長の見解を問題にすること自体が政治的である。しかし坂井大臣は三木議員に同調し、「特定なイデオロギーや党派的主張を繰り返す会員を、この法案では、学術会議が解任できる」と答えた。それを受けて三木議員は「元会長がこういうことをやってくる学術会議の自浄作用はない」と断じた。坂井大臣発言はこの文脈でなされ、三木議員は歴代会長声明が「党派的」であるかのように貶めたのである。

 だが、たとえ「党派的主張」や「特定なイデオロギー」であっても、その言論により解任できるとすることは、憲法21条「言論・表現の自由」の否定であり、治安維持法やレッドパージと同じ言論によるパージである。しかし内閣委員会ではこのことが追及されないまま審議が打ち切られ採決がなされた。違憲発言を撤回するまで審議を止めれば、流れが大きく変わる可能性もあった。残念でならない。

 その後、参議院で追及されると、坂井大臣は「現行法にも同様の規定はある。私は学術会議が自主的自律的に適切に判断されると申し上げた」と撤回を拒んだ。確かに現行法にも「不適当な行為」があれば総会が退職させられる規定はある。だがこの「不適当な行為」とは、犯罪、研究資金の不正使用、論文におけるデータの改竄・捏造であると学術会議も内閣府も理解しており、言論が含まれることはありえない。坂井大臣がそこに党派的主張なども含まれるとし、解任できると認めたこと自体が憲法違反である。

 また「政治的中立性」を学術に持ち込むことも誤りである。例えば多くの憲法学者は学術の論理で「集団的自衛権は違憲」と考える。しかし政治の側が、それを政治的に偏ったイデオロギーとみなせば解任対象となりかねない。そもそも任命拒否は安保法制に反対した学者のパージだった。そのパージが今後は法制度上可能であるという大臣発言は、単なる失言ではない。この法案の狙いを吐露したのである。

 もう1つの重大な出来事は、衆議院通過3日後の5月16日、東京地裁が2018年文書開示における一部黒塗りは違法という判決を出したことである。1983年の学術会議法改正時に、当時の中曽根康弘総理は「任命は形式的だ」と国会で答弁し、法解釈が確定していた。しかし2018年に内閣府と学術会議事務局は、当時の山極学術会議会長にも極秘裡に法解釈を変更し、しかも「変更ではなく83年からこの解釈だ」と詭弁を弄している。そこで立憲・小西洋之議員が、学術会議事務局がこの過程で13回も法制局に出した文書の開示を求めた。その結果、当初書かれていた「総理大臣に拒否の権能はないものと解するのが相当」という文言が消え、最後は「推薦のとおりに任命すべき義務はない」となったことが判明した。だがその間が黒塗りされ、変更の経緯が隠されているので東京地裁に訴えたのである。地裁は「任命の根幹に関わる重要な変更を含む」もので、「法解釈や運用が整理される経緯や理由は国民に十分に明らかにされる必要があり、公益性は極めて大きい」と全面開示を命じたが政府は不当にも控訴した。

 参議院で立憲・石垣のりこ議員が黒塗りの理由を問うと内閣府は「未成熟な記載で…情報公開法の不開示事由である『不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれなど』に該当するから不開示とした」と答えた。しかし総務省担当者はこの不開示事由は「検討情報を公にすれば買占め、売惜しみなどが起こるおそれがある場合など」と答弁した。法制局文書を不開示にする根拠にならないのは明らかである。石垣議員は「過去に意思決定されたものでも、今出すことで混乱が生じるというのであれば、本当に妥当なものか。国会が行政監視をする上で、黒塗りのままでは判断できず、この開示なしに新学術会議法の審議などあり得ない」と追及し、国会での秘密開示を要求したが拒否された。

 国会で確定した解釈を勝手に変え、その経緯も示さず、行政の暴走を嗜める司法の判断も無視する。国会と司法の軽視であり法治主義の否定である。三権分立の面でも日本の民主主義は極めて危うい局面にある。今後、任命拒否理由開示と2018年文書開示の2つの裁判を闘う弁護団と共に、行政の横暴に対する司法の判断を求めていく。

学術の軍事化に歯止めをかける

 現行の学術会議法にある「平和」の言葉を削除し、新法ではその拡張として「経済社会の健全的な発展」が目的とされた。政権が今めざすのは、最先端の兵器を開発・製造・輸出する「死の商人国家」としての日本経済の発展である。軍事研究に反対する学術会議の解体もその一環である。

 国会審議では軍事研究の狙いを隠してきた政府は、法案成立の翌日、学術の軍事動員の司令塔である防衛科学技術委員会設置を発表した。しかもそこに有識者懇談会で法律を準備した2人が参加している。参議院の参考人として、日本の学術を発展させる法案だと臆面もなく述べた上山隆大・前総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)議員と、有識者懇談会の組織・制度WGで総理による統制の仕組みを作った宝野和博・物質・材料研究機構理事長である。彼らが今後「アカデミアを含む研究者・技術者の参画促進等に関わる助言を行なう」のである。

 戦争中、学術会議の前身である学術研究会議に、軍は電波兵器や磁気兵器の開発のため科学者の組織化を命じた。同様に今後、防衛科学技術委員会がAIや宇宙、サイバーなど先端技術の軍事利用推進のため、学術会議に研究者の組織化を依頼するのだろうか。その際には秘密保持が欠かせない。衆議院内閣委員会で共産・塩川鉄也議員が「秘密保持義務でなぜ罰則まで作るのか」と問うと、坂井大臣は「秘密保護法に関わるものも将来の可能性として排除しない」と答弁した。既に経済安保法で最先端の特定重要技術の秘密保持が定められており、法人化された学術会議も関与し、防衛科学技術委員会が学術を軍事へと動員していく。

 直接の影響としては、学術会議解体により、大学での軍事研究の加速が危惧される。2015年に始まった安全保障技術研究推進制度についての学術会議2017年声明を多くの大学が真摯に受け止めた結果、大学の応募は年10件程度で推移してきた。だが、2023年は23件、24年は44件、そして今年は123件と激増した。大学の運営費削減で基礎研究費が枯渇し、文科省の科学研究費も3000億円台で増えていない。一方防衛省の研究費は5年前の1600億円が今年は6400億円である。背に腹は代えられないと多くの研究者・大学が応募し始めている。ただ採択された大学も軍事研究とはいえず、軍事に使われるかもしれないが大学は民生研究として行なうと弁解している。また本誌3月号に書いた経済安保法によるKプログラムなど、政府はあらゆる研究の軍事活用を目指している。

 この動きに抗するために、学術会議解体後も、3つの軍事研究反対声明を市民社会が守り、大学の研究者・学生・卒業生・地域住民と共に大学に働きかけていきたい。

 さらに、学術や大学のあり方を問い直す大きな動きを創り出したい。2023年4月の学術会議「勧告」は「日本の学術体制全般にわたる包括的・抜本的な見直しを行うための開かれた協議の場」を求めたが、政府は無視した。日本の科学・技術力の低下の原因として、国立大学法人化、「稼げる大学作り」、ムーンショット計画などCSTIによるトップダウンの科学・技術政策の問題などが指摘されている。本来、CSTIと車の両輪とされ、ボトムアップで学術の振興を担ってきた学術会議が解体されれば、この歪な動きがさらに進みかねない。軍事を含むイノベーションを目的とする科学・技術政策で良いのかが問われている。

政策のためではなく市民の立場に立つ科学を

 国会で与党は、国民の期待に応えていない、政策に対する学術的提言が不十分、などと学術会議を批判した。例えば先述の上山氏は参考人として、コロナの際、米アカデミーは政府批判も含む膨大な提言をしたが、学術会議は国際的動向の紹介だけだと批判、当時の学術会議会長が「政府の専門家会議に物申すのはできにくい」と語ったことをもって「政府の中で、政府の政策に批判的視点を持って関与することの難しさ」と説いた。さらに米アカデミーの年間収入は約600億円(その85%は連邦政府の契約や助成金)、学術会議の予算は年間10億円なので学術会議を責めるつもりはないといいつつ、政策提言する責務の遂行のためには、政府からの助成金と共に民間からの寄附が必要で、そのために独立した組織にすることが不可欠と主張した。

 だがこの発言は欺瞞に満ちている。上山氏は2016年から24年までCSTIの議員で、コロナ禍の時も科学技術政策を指令する立場にいた。安倍政権が専門家会議を作り、その後専門家の意向も無視して暴走したことにも責任があるはずである。また学術会議にコロナの見解を求めるのであれば、CSTIが緊急に相応の予算を計上することもできたはずである。こうして自らの責任を顧みない人が学術会議を解体し、今後、軍事研究を指揮するのである。

 与党議員が質したもう1つの問題は、「国際機関も福島の“処理水”は安全と言うのになぜ学術会議は発言しなかったのか」である。だが原発事故によりデブリにふれた汚染水を海洋に流すのは人類初の愚行であり、これを「安全」と決めつけることは科学ではない。食物連鎖による濃縮の問題等を含め長期的研究が欠かせない。政権が欲するのは、科学ではなく、政策を補強する「科学的助言」である。

 市民社会が学術に求めるのは、新たな科学・技術・イノベーションや政府の政策について、次の世代も見通す長期的視野にたって、世界の人々や地球環境に及ぼす影響も考えて、どう考えればよいかという学術的アドバイスではないか。だが科学者にも様々な意見がある。最後の手がかりはその学者の人間としての生き様だろう。水俣病に対し原田正純医師は、小さき市民の声に耳を傾け、企業や政府の嘘を見抜き、科学者としての良心をかけて研究し、学問的根拠をもって人々のために闘った。そのような科学者はこれからもきっと存在する。ただ政府や企業の意向を忖度しなければ研究費が打ち切られるとなれば倫理を貫くことは容易ではない。だからこそ倫理的規範を掲げ科学者を支えるコミュニティ(学協会、学術会議)が必須である。今後、学術会議が政府の統制下に置かれても、科学者の人格まで統制できない。私たち市民は、今後も学術会議・大学・研究機関の中で、科学者としての倫理と権力からの独立を貫こうと奮闘する方々を見出し、対話し、連帯し、地域から学問の自由と学術会議の独立を守る闘いを進めたい。

関連:「本質的問題は消えていない――学術会議法人化法案のまやかし」(小寺隆幸)

小寺隆幸

(こでら・たかゆき)1951年生まれ。明治学院大学国際平和研究所研究員・元京都橘大学教授。専門は数学教育。編著書『主体的・対話的に深く学ぶ算数・数学教育』(ミネルヴァ書房)『兵器と大学』(岩波ブックレット)など。

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