関連「もの言う自由を守るために――大垣警察市民監視事件維持法」
「やった! 公安警察の尻尾を掴んでくれた。国賠訴訟で勝つぞ! 倍返しだ!」
2014年7月23日、朝日新聞のスクープが掲載される前日、伊藤智章記者が「近藤さん、面白いというのはなんだけど、妙なものが手に入ってしまった」と拙宅を訪れた。伊藤記者とは、1995年末から徳山ダム建設中止を求める会の取材で知り合い、その後も環境問題などで話をしてきた間柄である。
見せられたのは、シーテック社が大垣署との意見交換を記した「議事録」の一部分だった。「『近藤ゆり子氏』という人物がいるが、御存じか」とある。冒頭はこれを見た瞬間の私の感想だ。
4人の原告は互いに以前からの顔見知りではあるが、4人がまとまって共通の運動に関わってきたわけではない。生きざまも人生観もそれぞれだ。ここで述べるのは、あくまでも私個人の感想である。
「公安警察に倍返し!」の伏線
ひとつは、1968年4月の大学入学式の午後の記憶である。クラスごとの上級生によるオリエンテーションがあった。カリキュラムの登録の仕方、生協の利用方法などに続いて学生自治会の説明があった。自治会旗を掲げてデモに繰り出すのが日常風景だった時代だ。
「公安警察に注意しろ。大学構内はもちろん周辺の公衆電話も盗聴されている。住所録は作らないほうが良い、持ち歩きは厳禁。級友が逮捕されたらすぐにガサ対に行け」。東大ポポロ事件は、最高裁で無罪判決が破棄差し戻しとなっていたものの、この時はまだ有罪は確定していなかった。「公安警察は隠密裡に情報収集をする、それは違憲・違法だ」というのが学生の間では常識であった。それから約半世紀。「監視しているぞ」という公安警察からの仄めかしは何度もあったし、「事業者(例えば国交省)側に自分の情報が流れている」と感じたことも幾度もある。伊藤記者のスクープで、やっと「物証」入手の可能性が出た。
2つ目は、2013年頃に偶然に「警察白書」を目にしたことである。警備局担当の章には、彼らが危険視する政党・政治団体や“敵”とみなす外国の動向などのほか、大衆運動──反戦・反基地運動や環境保護運動、反原発運動──について記述されている。概括的な短いものだが、地方の集会の写真なども載っており、全国の「大衆運動」の現場で日々情報収集が行なわれていること、その情報が警察庁に集約されていることがわかる。活動の現場で公安警察の「目」を感じてきていたが、改めて「不偏不党・公平中正」を逸脱した監視活動を公然と行なっていることを見せつけられた。
3つ目は、2011年3月の福島第一原発の大事故後に全国で盛り上がった脱原発運動への公安警察の介入を感じていたことだ。公安警察にとって「お馴染みの活動家」ではない新しい顔ぶれが活発に動いた。2012年後半頃から、そうしたメンバーへの周囲からの圧力を耳にしはじめた。表面上は民間での出来事だが、背後で公安警察が画策したとしか思えない事象が幾つもあった。大垣署警備課が中部電力岐阜支店を介してシーテック社を呼びつけた2013年8月という時期は、周囲の圧力を受けて「運動から離れざるを得ない」と悔しがる若いメンバーの話を聞いた頃だった。
〈発覚後の警察の対応〉
事件発覚後に当事者たちが出した抗議・要求書に対して、岐阜県警は「通常の警察業務の一環」と文書回答してきた。翌2015年の国会でも、警察庁警備局長は「各種事業…等について、公共の安全と秩序の維持の観点から…関係事業者と意見交換を行(うことは)…通常行っている警察の業務の一環だ」と答弁した。また、各当事者が行なった個人情報開示請求に対して、岐阜県警は「存否応答拒否」とした。「一般に…情報収集の対象…になると…情報収集活動の存在を前提として活動することになり、情報収集の対象とされていない場合…公共の安全や秩序を害する行為を企図していた者が、その行為に及ぶ可能性が高まる…。…また、施設建設への反対運動の動きがあれば、それに関連して不法行為が発生することが考えられる」というのだ。「反対運動」などをする輩は犯罪者予備軍だということらしい。