ガザ侵攻に抗うグローバルサウス――誰が国際法をよみがえらせるのか

栗田禎子(千葉大学大学院教授)
2024/07/05

国際世論となった「即時停戦」

 ガザへのイスラエルの全面侵攻、市民への無差別殺戮が開始されてから8カ月近くが経つ。破局的事態の進行は止まらず、ガザは極限状態に陥っているが、注目すべき現象があるとすれば、それは「国際社会」の姿勢の変化だろう。

 昨年10月に――直接的にはハマース(イスラーム抵抗運動)を中心とする勢力による奇襲攻撃を発端に――今回の危機が始まった時、世界は「テロとのたたかい」を掲げるイスラエルの行動を支持するかに見えた。事実、米国をはじめとする先進諸国政府は戦争だけが問題解決の道だとするネタニヤフ政権の主張を当初は全面的に支持、イスラエルと共に立つ姿勢を強調し、バイデン政権は大規模軍事支援・武器供与を開始するとともに、大統領自らイスラエルを訪問して侵攻への「お墨付き」まで与えたのである。

 ところがその後、国際社会ではむしろ戦争による「解決」を疑い、停戦を求める声が大勢となっていった。「即時停戦」決議は国連安保理では米国の拒否権行使により数度にわたって葬り去られたが、国連総会では圧倒的多数で採択され、これを受けて2024年3月には安保理でも(「ラマダーン中」という条件つきではあったが)可決(米国も「棄権」にととめざるを得なかった)に至ったのである。並行して、イスラエルのガザにおける行為を「ジェノサイド条約」違反として国際司法裁判所に提訴するという重要な動きも生じた。また、戦争ではなく交渉をめざすべきとする認識、さらに危機の背景には長年にわたるイスラエルの占領があり、解決のためにはパレスチナ人の民族自決権実現が必要だという認識が広まった結果、2024年5月にはパレスチナの国連正式加盟を支持する決議が(安保理では米の拒否権で否決されたにもかかわらず)国連総会で採択される――これに対しイスラエル代表は壇上で国連憲章をシュレッダーで裁断するという行為に出た――という展開も生じた。

 現在、「即時停戦」は国際世論の大勢となった。ガザで起きていることは明らかな国際法違反、国際人道法違反であることが指摘され、さらにこれを正そうとする努力の過程で国際司法裁判所(ICJ)や国際刑事裁判所(ICC)にその機能を発揮させようとする働きかけが強まるなど、国際司法の役割への新たな期待も高まっている。そして国連も、これを無視あるいは形骸化しようとするイスラエル(およびその背後の米国)の必死の試みにもかかわらず、むしろ――国連総会が安保理を包囲し、繰り返し圧力をかけるといったダイナミズムを通じて――今回の危機の過程で新たな生命力を示し、本来果たすべき役割を追求しようとしているように見える。ガザの状況は破局的だが、これを何とか止めようとする動きの只中から、国際法や、国際法に基づく秩序を再建しようとする息吹が生まれつつあり、イスラエルや米国は追い詰められつつある――国連憲章を裁断するという光景はその象徴――と言えるのではないか。

 注目に値するのは、国際社会の姿勢にこのような変化が生じるにあたり、アジア・アフリカやラテンアメリカなどの、いわゆる「グローバルサウス」の国々が重要な役割を果たしてきたことである。イスラエルによる「報復」戦争を自明視した先進国諸政府とは裏腹に、ASEAN(東南アジア諸国連合)は2023年11月に「即時停戦」を求める姿勢を示した(国防相会議議長声明)。ラテンアメリカでもイスラエルによる侵攻を厳しく批判し、断交(ボリビア、コロンビア)、あるいは大使を召還する(チリ、ブラジル等)諸国が相次いだ。とりわけ決定的役割を果たしたのは南アフリカで、イスラエルを「ジェノサイド条約」違反で国際司法裁判所(ICJ)に訴える(2023年12月)という前述の行動に踏み切ったのは同国政府だが、これはその後ICJがイスラエルに「ジェノサイド防止のためのすべての措置」をとることを求める暫定措置命令(2024年1月)を出し、これを契機に侵攻に対する国際的圧力が格段に強まることにつながった(日本の伊藤忠商事もICJのこの命令を根拠にイスラエルの軍事企業との契約終了を発表)。南アフリカはICJに対し、その後も節目節目で緊急の「暫定措置」を要請しており(現在はラファからの撤退を命じる暫定措置を要請)、これは侵攻拡大を牽制しガザの人々を守ろうとする重要な取り組みとなっている(このICJ裁判にはその後ニカラグア、コロンビア等も参加申請、アイルランドも参加の意向を表明)。

「南」は何を経験してきたか

 ではなぜグローバルサウスの国々が機敏かつ原則的な動きを示しているかと言えば、それはガザ問題の根底に「占領」や「植民地主義」という要因が存在しているからであろう。今回の事態は直接には昨年10月7日の事件を契機とするものであるが、その背景にはガザ地区が16年間にわたりイスラエルによる封鎖下に置かれ、住民の生活が極度に困窮していたという現実がある。さらに遡ればガザおよびヨルダン川西岸は1967年の第三次中東戦争でイスラエルが支配下に置き、以後数十年以上にわたって国際法違反の占領を続けてきた地域である(1993年の「オスロ合意」に始まる「中東和平プロセス」では部分的・暫定的ながら「自治」が認められ、将来的なパレスチナ国家建設への見通しが示されたかに見えたが、これは幻想に終わり、イスラエルは西岸には入植地建設、さらには「分離壁」設置を進め、ガザに対しては封鎖政策をとって支配を強化している)。今回ガザへの攻撃をイスラエルは「自衛権」の行使だと主張しているが、国際法上は占領者が占領下の民衆を弾圧することは「自衛」とは見なされない。逆に占領や植民地支配の下にある民衆が抵抗する権利は、国際法上はレジスタンスや民族解放闘争として認められており、10月7日にハマース等が行なった作戦も――民間人殺傷や人質拘束等、国際人道法違反の個々の行為の責任は当然問われるべきだが――パレスチナが占領下にある以上、客観的にはパレスチナ人民による民族解放闘争の一部と見なされることに注意する必要がある。

 さらに問題の本質を見極めるためには、イスラエルという国家、およびそれを支える「シオニズム」(「ユダヤ人国家」建設運動)というイデオロギーの、植民地主義的・人種主義的性格を理解する必要があるだろう。イスラエルはそもそもは第一次大戦後、当時のイギリス帝国が中東支配の都合上、自らの支配下のパレスチナ(国際連盟「英委任統治領」)に建設を開始した入植者国家であり(その過程で19世紀末にヨーロッパで生じた政治運動「シオニズム」を利用)、第二次大戦後に――パトロンを英帝国から米国に替える形で――建国宣言(1948)した。その後は冷戦期の中東における米国の「前哨基地」的存在となり、域内で米国はじめ先進資本主義諸国の利害を脅かす動き(1950~60年代の中東で高揚した、植民地支配からの民族解放闘争や革命)が生じた場合には、これに武力干渉して牽制・妨害を図る(1967年の第三次中東戦争は当時の中東における革新陣営の中心エジプトのナセル体制を葬り去ることをめざすものだった)という役割を演じてきたのである。

 このように見てくると、イスラエルという国は基本的に19世紀末~20世紀にかけてのアジア・アフリカに対する欧米列強の進出、帝国主義的な支配の歴史の展開の中で生まれた入植者国家であり、当初から植民地主義的性格を刻印されていることが分かる(シオニズムの指導的論客ヘルツルが用いた、「野蛮に対する文明の前哨」という表現は有名である)。同時に、こうした入植者国家は必然的に(「原住民」を差別、あるいは排除・絶滅さえしようとする)「人種主義」的性格を持つので、ここからイスラエル国家とかつての南アフリカの「アパルトヘイト」体制の類似という現象も生じることになる。現在イスラエルがガザで行なっている行為は(子どもや女性を含むコミュニティー全体を根絶しようとする)ジェノサイドの典型例と指摘されるが、これは決して偶発的現象ではなく、イスラエルが持つこのような人種主義的体質によって規定されているものと言えよう。

 アジア・アフリカ・ラテンアメリカ等のいわゆる「グローバルサウス」は、先進諸国による植民地支配、侵略や占領を経験してきた国々であり――「グローバルサウス」はマスコミ等では「新興国・途上国」で「南半球に多い」といった(どこか要領を得ない)説明をされることが多いが、「サウス」の含意は「南北問題」の「南」であり、植民地支配下に置かれ先進諸国への従属を経験してきたという意味であることを改めて確認したい――、これら諸国がパレスチナ問題の本質を見抜き、イスラエル国家糾弾の声をあげているのはある意味では当然のことだとも言える。「南」の国々は、占領や植民地支配に対する民衆の血のにじむようなたたかいによって独立を獲得して今日に至っており、その記憶と歴史の教訓は、各国の現在の諸政権によっても無視できないものだと考えられるのである。

新自由主義と「対テロ戦争」の時代

 さらに注目する必要があるのは、植民地主義的な侵略や占領といった現象が、過ぎ去った歴史の一コマではなく、残念なことに現在の世界でも――とりわけいわゆる「冷戦」終結後の1990年代以降――新たな装いのもとに、ある意味ではより全面的な形で展開しつつある、ということだろう。巨視的に見れば20世紀後半、特に1950~70年代は(すでに見た中東の例だけでなく)アジア・アフリカ・ラテンアメリカ全域で民族解放闘争が発展し、植民地支配からの独立、先進資本主義諸国への従属からの解放が進んだ時期だったと言えるが、1990年代以降、国際社会の構造は大きく変わることになる。冷戦終結と(それまで資本主義陣営を牽制する役割を果たしてきた)社会主義圏の崩壊の結果、以後の世界は資本の論理の暴走、新自由主義的「地球統一」(グローバリゼーション)ともいうべき段階を迎え、これは政治的・軍事的には米国を中心とする先進資本主義諸国が経済的・地政学的利害を求めて――19世紀末の帝国主義全盛期を彷彿とさせる――むき出しの軍事介入を他の諸地域に対して仕掛ける、という現象を生み出すことになった。特に中東は(その資源および戦略的重要性のゆえに)米国による一連の軍事介入の標的となり(アフガン戦争やイラク戦争)、さらにこれらの戦争では、「テロとのたたかい」あるいは「大量破壊兵器疑惑」等を掲げることで、無差別殺戮、先制攻撃等、明らかに国連憲章・国際法違反の一方的な戦争を先進諸国が中心となって推進し、法にもとづく国際秩序を掘り崩すという現象が見られたのである。このような状況を指して中東出身のマルクス主義者サミール・アミンは、現在は(「米国=欧州=日本+豪」の三極から成る)「集団的帝国主義」の時代であり、これは一握りの「北」の諸政府が共同で「南」の民衆を管理し資源を搾取しようとする仕組みである、と指摘した(元来は対共産圏軍事同盟として発足したNATOが2001年のアフガン戦争に米国との「集団的自衛権」行使を名目に参加し、さらに冷戦後の新たな活動領域として「中東」――あるいは「拡大中東」――を挙げるに至ったことは、「北」による「南」の共同管理という、「集団的帝国主義」概念を説得的なものにしている)。

 つまり1990年代以降、「南北問題」は克服されるどころか、より深刻化し、新たな段階に入った――冷戦体制が終結し、「東」という軸が消失したことで、「南」の民衆は「北」による帝国主義的支配と単独で対峙せざるを得ない状況となった――と言えるのであって、ある意味ではこれが「グローバルサウス」概念が持つ(かつての「南」を超える)射程・含意なのである。「グローバルサウス」とは要は、新自由主義的「グローバリゼーション」下の「南」――地球全体が資本の論理に覆い尽くされ、先進諸国支配層の「集団的帝国主義」が暴走し始める只中で、それに独力で立ち向かわざるを得ない諸地域の民衆――のことだ、と定式化することもできよう(「グローバルサウス」概念のこのような含意は現在ではほとんど無視されているが、そもそも同概念成立にはサミール・アミンの議論が寄与していることに注意)。

 冷戦期の中東における米国の「前哨基地」だったイスラエルは、「新自由主義」と米主導の一連の戦争によって特徴づけられるようになった1990年代以降の世界においても、先進資本主義諸国による中東支配を支える要として、その重要性を一層増すことになった。オスロ合意や「中東和平プロセス」の背後には、これを機に域内秩序を再編し、イスラエルを中心とする「新中東構想」(イスラエルの資本・技術とアラブ諸国の石油や労働力を結合)を始動させるという計画が存在したとされる。また、イスラエルは先進諸国の同盟者であるがゆえに、(90年代以降イラク、イラン等が相次いで「大量破壊兵器」保有や「核開発」の疑惑をかけられ、国際的圧力に苦しむ状況下で)中東で唯一核武装を黙認され、「事実上の核保有国」たることを許されてきたのである。

 現在イスラエルは「テロ」への「自衛」を名目に、国際法・国際人道法違反の無差別殺戮を行なっているが、振り返ってみると「冷戦」後、米国をはじめとする先進諸国が中東に仕掛けてきた戦争(アフガン戦争、イラク戦争)も全く同様に「対テロ戦争」の名のもと、国際法を無視する形で強行されたのであり、ガザで進行中の事態はある意味では米主導の一連の対中東戦争のミニチュア版と言うこともできる。米国をはじめとする先進諸国がイスラエルのガザ侵攻を異様なまでに支持・容認しつづける根底にはこのような構図――「北」の諸政府が共同で「南」に軍事介入・支配しようとする現代の世界において、イスラエルはこうした戦争体制の不可欠の部品、最強の駆動装置なので、先進諸国は全力で守りぬこうとする――があるのではないか。

 このように見てくると、逆に「グローバルサウス」の国々がガザ侵攻を糾弾し、国際法にもとづく秩序を求めて声をあげつづけているのも、きわめて切実な危機感、問題意識にもとづく行動であることが理解できる。植民地主義は決して過去のものではなく、21世紀の現在、先進資本主義諸国による「集団的帝国主義」、「北」による「南」の共同支配・搾取という現象は、生々しい現実として続いているのである。「グローバルサウス」が声をあげる背景にはイスラエルを支える「北」の支配層、新自由主義と戦争に狂奔する先進国諸政府への批判があり、今ガザを救うことができなければ、いずれは世界の諸地域・民衆全体が同じ運命に見舞われる、という認識が存在すると考えられる。

先進国内部に広がる「グローバルサウス」

 ここまでもっぱらアジア・アフリカ・ラテンアメリカ等の地域について語ってきたが、「グローバルサウス」は実は地理的概念だけに回収されるものではない。冷戦後の「新自由主義的グローバリゼーション」は中東等の地域に対する戦争・破壊をもたらすと同時に、全世界的に雇用の不安定化、貧困や格差等の深刻な矛盾を引き起こした。「北」の富はごく一握りの人々の手に集中しており、現代世界の底辺を成す「グローバルサウス」は実はいわゆる先進諸国内部にも広がっていると言える。今回のガザの危機をめぐっては、先進諸国の政府は基本的にイスラエルの行動を容認・放置しようとするのに対し、市民の間では特に若者を中心に戦争への批判が強まり、米国やヨーロッパ諸国、そして日本でも抗議行動が広がっていることが注目されるが、これはこのような状況の反映と言えよう。

 新自由主義が引き起こす社会矛盾への抗議は、米国では2011年秋のいわゆる「オキュパイ」運動(「ウォール街を占拠せよ」)を契機に大きな進展を見せた。米国が中東に対して仕掛ける戦争に対する疑問はイラク戦争の頃から市民の間に生じ始めており、この厭戦感情がオバマ政権誕生の原動力ともなったと考えられるが、戦争への疑問と国内の社会矛盾への批判とが結びつき、明確な方向性を持つ運動へと発展していく契機となったのは、「われわれが99パーセントだ」という標語のもと、一握りの資本家への富の集中を批判し、社会的公正を求める「オキュパイ」運動だった(この運動自体が同年中東で起きたいわゆる「アラブの春」の際の、カイロのタハリール広場での巨大デモに触発されたものだったという事実は興味深い)。「オキュパイ」に端を発する社会的公正を求める大規模大衆運動の流れは、その後、2020年代のBLM(ブラック・ライヴズ・マター)や#MeToo運動に引き継がれ、人種主義やジェンダー差別への告発を通じてその背後にある植民地主義や戦争に対する批判意識をも深めながら発展していく。今回、欧米におけるガザ反戦運動が、現在進行中の侵攻を止めるだけでなく、その背後にある占領やパレスチナ問題の歴史、イスラエル国家の「アパルトヘイト」的性格など、事態の本質を鋭く見抜き、根本的解決を要求するものとなっているのは印象的だが、これは新自由主義下の世界における「戦争」と「社会的公正」をめぐる問題は分かちがたく結びついているという、これまでの一連の運動の過程を通じて掴みとられた認識に支えられているのではないか。現在、米国等でガザ停戦を求めて立ちあがっている学生(大学当局や政府による厳しい弾圧にもかかわらず)や労働者(労組は停戦要求決議を上げ、イスラエルへの武器輸送を妨害しようとする港湾労働者の運動も注目に値する)の間では「ガザを救い、われわれ全員を救おう」というスローガンが聞かれる。ジェノサイドに直面するガザの人びとの命運と、社会的公正を求める自分たちのたたかいとはつながっている、という感覚は、「先進国」の民衆によっても共有され始めているのである。

「イスラエル」でもあり「パレスチナ」でもある日本

 これまで中東における米国の「前哨基地」とも言えるイスラエルの性格について述べてきたが、日本は客観的には(日米安保条約の下で)東アジアにおける米国の基地国家としての役割を果たしつづけてきており、さらに冷戦後は米国の一連の対中東戦争に積極的に協力し(小泉政権下でのアフガン戦争・イラク戦争への加担)、「安保法制」を制定(安倍政権)するなど、米国の戦争に世界中で「切れ目なく」協力、軍事的に一体化する道を歩んでいる。特に近年では「安保三文書」に基づく軍拡路線、「敵基地攻撃能力」保有といった政策を進め、米国の「中国包囲網」の最前線を担う役割を買って出ており、日本はある意味では中東におけるイスラエルとパラレルな位置を占めつつある。その意味で、現在イスラエルがガザで行なっていることは日本にとって決して他人事ではない(周辺国に「テロリスト」や「ならず者国家」というレッテルを貼り、「自衛」を名目に相手国の領域内で軍事行動を行ない指揮系統を破壊する、という点で、イスラエルによるガザ攻撃と「敵基地攻撃能力」のロジックは同一である)「今日のイスラエルは明日の日本」とも言えるのである。

 その一方でたとえば、長く米軍占領下に置かれ、辺野古への基地建設強行、さらに最近では日米政府による南西諸島の「軍事要塞化」という事態に直面している沖縄の人々は、実は「パレスチナ」と同じ境涯に置かれていると言うこともできる。ガザ侵攻強行にあたりイスラエルは核兵器に言及することで周辺諸国を牽制し、米政界でも侵攻を支持する政治家がガザは「ナガサキのように扱ってやるべきだ」と公言するなど、今回の危機の過程では世界の民衆を恐怖で支配する核兵器の存在もあらためてクローズアップされているが、広島や長崎で原爆投下という究極の無差別殺戮、ジェノサイドの対象となった被爆者もまた、ガザの人びとと同じ経験で結ばれていると言えるのではないか。――日本は「イスラエル」になり得ると同時に「パレスチナ」でもある存在であり、沖縄やヒロシマ・ナガサキ、さらにそれらを含む戦争の惨禍をめぐる国民全体の記憶や、その経験を踏まえて戦後日本が選びとってきた平和憲法の精神(それは戦争や植民地支配との絶縁宣言である)を想起するならば、私たち国民は実は「グローバルサウス」と連帯できるはず――むしろ連帯する以外の選択肢はないはず――なのではないか。連帯という以前に、「グローバルサウス」的状況はすでに日本国内にも広がり、私たちは「北」的な発想と絶縁することなしには未来を切り拓けない局面に達していると考えられるのである。

 ガザ侵攻に抗する世界の市民、「グローバルサウス」のたたかいの中で、国際法に基づく秩序に新たな命を与え、戦争や植民地主義から自由な世界を築こうとする確かな動きが芽生えつつある。希望を捨てずに声をあげつづけよう。

栗田禎子

(くりた・よしこ)千葉大学名誉教授。専門は歴史学・中東研究。主要著作に『中東革命のゆくえ――現代史のなかの中東・世界・日本』、『中東と日本の針路』(共編著)、論文「『アラブの春』の世界史的意義」(『岩波講座 世界歴史第二四巻』)など。

2026年9月号(最新号)

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