化石燃料時代に逆らうコロンビア(後編)

アンドレアス・マルム、マクシー・ゲズ(翻訳:中村峻太郎)
2026/09/02
Two men wearing face masks hold a colorful protest banner that reads 'NO ALL FRACKING'.
コロンビアでのフラッキング(水圧破砕法)に反対する法案についての記者会見で話す上院議 員ら。グスタボ・ペトロ大統領も参加した。2021年8月25日、コロンビア・ボゴタ(Staff/Long Visual/ZUMA Press Wire/共同)

 コロンビアのエネルギー転換は、政策文書のなかでだけ起こっているわけではない――それは油田で、炭鉱町で、そして裁判所のなかで繰り広げられている。『ジャコバン』は、ポスト採掘主義の経済を実現する試みについて、技術者たち、労働組合員たち、そしてペトロ大統領自身と対話した。(翻訳:中村峻太郎 京都大学大学院文学研究科博士後期課程)

※前編はこちら
※この原稿はJacobin 2025年8月21日配信“Colombia Against the Fossil Fuel Age”の翻訳です。

右翼にとって朝のフラッキングの匂いは格別だ

 エコペトロルと外国企業――エクソンも含む――は長いあいだ、フラッキング〔水圧破砕〕に青信号が出されさえすれば開発できる石油・ガス資源を、涎を垂らして見守ってきた。最大の埋蔵地域は、バランカベルメハ近郊の一帯、マグダレーナ川沿いに存在している。

 バランカベルメハから北に向かって1時間ほど車を運転すると、プエルト・ウィルチェスのアフロ・コロンビアの村に着く。ここには、母親が漁師である若い女性ジュバリス・モラーレスが暮らしている。彼女は何年にもわたってフラッキングに反対するキャンペーンを主導してきた。エコペトロルとエクソンによる「パイロット・プロジェクト」が前政権によって認可されるのを目の当たりにしたためだ。これらのプロジェクトに対抗して、猛烈な民衆闘争が立ち上げられた。プエルト・ウィルチェスの人々には、抵抗を行なう具体的な理由がある。

 フラッキングは、私たちが魚や淡水のために頼みにしている沼や湿地を破壊してしまうでしょう。エコペトロルをめぐって多くのナショナリズム的なプロパガンダが存在しています。私たちコロンビア人のための歳入をもたらしてくれる国営企業なのだと。この国に住む人々のなかにはこう言う人々もいるでしょう。「なぜ駄目なんだ? やらせたらいいじゃないか、フラッキングをさせたらいい」。しかしこの地域では、平均的な人間はそれに反対しています。そしてそれは、みずからの仕事のために水資源に依存している人々だけではありません――中産階級の人たちだって、自分の歯を磨けなくなったら嫌ですからね! そういうわけで私たちは幅広い支持を手にし、ここプエルト・ウィルチェスでのあらゆる政治的・法的・経済的な闘争で勝利を収めてきました。そしてその後、現在の政府が権力の座につき、パイロット・プロジェクトを取り消しました。機械は取り除かれたのです。

 この決断こそが、エクソンがコロンビアから脱出した理由だった。

 政府がそのような黄金の禁止区域を課すことができるという考えにたいする国内・国外双方の会社からの不満と憤激は、ますます苛烈なものになっている。以前はエコペトロルとハリバートンで石油エンジニアとして働いていたアンドレス・ゴメスは、石油産業による破壊に嫌気がさすようになった。彼はみずからの陣営から抜け出して民衆的レジスタンスに参加し、いまでは化石燃料不拡散条約イニシアティブのラテンアメリカ調整委員として働いている。国家装置と社会運動を連携させるまた別の動きのなかで、コロンビアは2023年末のCOPでの交渉期間中、このイニシアティブ――化石燃料の埋蔵を核兵器に似たものとして扱うことを目指すもの――に署名を行なう初の化石燃料産出国となった。だがゴメスは、ぐずぐずと長引く危険に気を揉んでいる。

 コロンビアに真に大規模な軽質石油・天然ガス資源が残されているとすれば、それはマグダレーナ川沿いのシェール地層、いわゆるラ・ルナのなかにである。その資源量は西半球で第4位の大きさに達する可能性がある。アメリカ合衆国にはパーミアン盆地があり、アルゼンチンにはバカ・ムエルタがあり(どちらの場合も、極右の大統領たちの寵愛のもとで「掘って、掘って、堀りまく」られている)、メキシコにはブルゴス盆地がある。今日まで手つかずのまま残されてきたのはラ・ルナだけだ。

 もしフラッキングがここでも始まることになれば、新たな輸出ブームが生まれることでしょう。そうなればこの地域は荒廃してしまいます。この国に石油産業が存在した105年間のあいだに、2万5000の油井が掘削されてきました。エコペトロルの計画によれば、今後たった10年でフラッキングのために1万2000の油井が掘削されることになります――過去の総数の半分です。というのも、このテクノロジーではわずか約3年で油井が枯渇してしまうからです。従来型の油井のいくつかのように、80年も90年も使用するというわけにはいきません。だから、掘って掘って掘らなければならないのです――アメリカ合衆国でそうされているように。そしてエコペトロルは、その一本一本の油井ごとに最低でも5000万リットルの水を費消するつもりでいます〔フラッキングは、化学物質を混ぜた水を注入し石油・ガスを覆っている岩石を破壊することで採掘を行なう〕。

 そんな水は、いったいどこから来るのでしょう? 言うまでもなく、マグダレーナ川からです。そして一度地中に注入されてしまった水は、ひどく汚染された状態で地表に戻ってきます。私たちは、1世紀のあいだに受けてきた以上の環境破壊を、10年間で受けることになるのです。

 これまでのところ、コロンビアによるフラッキングへの抵抗は西半球で最も効果的なものであり、ペトロ政権はその成果を法律のなかに明文化しようと試みてきた。だが結果は失敗に終わっている。5度にわたってフラッキングを禁止する法案が議会にかけられたが、その5度とも右派の諸政党によって阻止されたのだ。コロンビア石油協会がこうした妨害の先頭に立った。結果として、フラッキングの停止には何のうしろだてもなく、現政権の事業許可を差し控えるという決断に完全に左右されている。別の大統領が宮殿に入ったとしたら、ラ・ルナへの水門は開かれることになるだろう。

人民のグリッドにパワーを与える

 それでは、コロンビアにおける化石燃料へのオルタナティブは何なのだろうか? たいていのグローバルサウスの国々と同様に、コロンビアには太陽光と風力で発電を行なう莫大なポテンシャルが存在している。もっとも小さな規模で言えば、それは太陽光パネル(PV)を屋根のうえに設置することかもしれない。ペトロ政権は「エネルギー・コミュニティ」という概念を押し出してきた。送電網(グリッド)に接続されていなかった貧しい農村部の集落にパネルを設置し、かれらが電力を自給し、農業生産を増加することを可能にするという構想である。このイニシアティブはきわめて人気が高いことが証明されてきた。少なくとも300のエネルギー・コミュニティが省庁の支援を受けて確立されており、さらに1000のコミュニティが建設中である。あばら家のうえの太陽光パネルは強力な利権を脅かすことがないため、ある意味ではそれはエネルギー転換の低く生(な)った果実〔達成が容易な目標〕なのだが、別の意味では、その最もユートピア的なビジョンでもある。ペトロ大統領が主張しているように、

 石油とガスと石炭は、コンスタントに拡張されることを必要とします。というのも、それらは資本を、化石資本を代表しているからです。しかし私たちは太陽の国であり、太陽光が電力の地理学を変化させつつあります。最大のポテンシャルが存在するのはカリブ海地域であり、そこには先住民の人々が暮らしています。そして自家発電のための容量はきわめて大きい――私たちはそれにインセンティブを与えるためにできることは何でもやってきました。どの家族もみずからが必要とする電気を、市場から購入する代わりに、自分たち自身に供給することができる。『資本論』第3巻のなかで描写されているように、大手多国籍企業は差額地代(レント)を通じて富を採掘するのですが、太陽光発電によってこの要素は取り除かれます。エネルギー・コミュニティは、みずからを会社および価格という暴政から解放するのです。

 ペトロ政権の教育大臣であるダニエル・ロハス――彼もまたマルクス主義者の知識人だ――は、このビジョンを磨き上げている。彼が語るには、これは「エコロジカルな戦時共産主義」なのではなく、問題は、

 私有財産を可能なかぎり民主化することなのです。私たちは完全に国有化されたエネルギー部門を持とうとしているわけではなく、あらゆる家庭が自宅の電気に投資して発電を行ない、それを他の家庭に販売することができ、あらゆる学校、あらゆるコミュニティがみずからの必要を満たすことができるような脱中心化された構造を目指しているのです。

 従属的(サバルタン)なコミュニティがエネルギー・コミュニティの構築を待つ列に並んできた。そのうちのひとつはポンドーレスと呼ばれている。ラ・グアヒラ――石炭産業にわし掴みにされた2つの北部州のうちのひとつ――の平地部の警察署にほどちかい場所に位置するこのコミュニティでは、元コロンビア革命軍(FARC)のゲリラ戦闘員たちのために2017年に建てられたバラックが乱雑に寄り集まっている。和平合意に署名したのち、戦闘員たちの旅団は山から降り、このキャンプに移動してより永続的な講和を待つことになった。それから8年が経ち、かれらの煉獄的生活はようやく終わりに近づきつつある。ポンドーレスでは、こうしたきわめて政治的な意識が高い武装闘争の退役兵たちが、さまざまな形の共同的生活を編み出し実験を行なってきた――協同組合の店舗、新聞、そしてエネルギー・コミュニティ。

 だがかれらは安定したエネルギー供給も、自給のための着実な源泉も手にしてこなかった。いまやそれが変わろうとしている。ポンドーレスから一石が投じられたことで、まともな住宅、農業区画、そして蓄電池を備えた太陽光パークが建設されつつある――元戦闘員のための共同家屋は、2025年の年末を待たずに利用が始まることになっている。現在48歳の除隊した戦闘員で2人の子どもの母親であるマリー・ルースは、こうした動きを歓迎している。

 私は22年間をゲリラたちとともに過ごしました。山のなかで暮らすのは素敵なことでした。私たちはそれぞれにカーペットを運んで自分たちの小さな家屋を作り、母なる森に守られて心地よく暮らしていました。ここの平地に降りてくると、炭鉱からの多くの汚染が存在しています――ありとあらゆる粉塵が空中に舞い、ひとを病気にするのです。でもこの太陽光プロジェクトは、ひとつの好機です。私たちに自治を与えてくれますし、太陽に――他の源泉ではなく――由来しています。最近では、あまりにも熱がありすぎ、あまりにも燃え盛っています。私たちにはもはや、いつが夏でいつが冬なのか分かりません。でも私たちは感謝しています。おそらく来年にはより快適な小さな家を手に入れ、キャッサバやバナナを植えることができるでしょう。 なんにせよ見つけることができたもので生き延びなければなりません。生きるというのはそういうものだから。

 ラ・グアヒラのまた別の一角、シエラ・ネバダの標高が高い緑の丘陵では、カンクアモの先住民の人々が同じように太陽光発電を喜びとともに受け入れてきた。「ここでは、民間会社によって供給されるエネルギーはきわめて不安定なものです」とダニエル・マエストレ・ビリャソーンは説明する。「私たちの生産計画、私たちの農業、養鶏、果肉採取のための設備を稼働させるのに必要なボルト数にまで達することがありません。だからこそ私たちは太陽光エネルギーを望んでいるのです」。これまでのところ設置されたのはひと握りのパネルだけだが、期待はさらに大きい。「私たちは、みずから会社を設立して自分たちのエネルギー資源を管理したいと思っています――自分たち自身でこれを学び、開発し、維持したいのです」。

 自主管理による太陽光発電という風潮は、ペトロのコロンビアにおいて最も不利な状況に置かれたいくつかのコミュニティのあいだでも影響力を持ってきた。たった3年のあいだに、政府による指揮のもとで太陽光発電の容量は10倍にまで増加した。そのような拡張はもちろんそれ自体が特異なことなのだが、さらにユニークなのはそれが化石燃料の締め出しと結びついていることだ――単なるエネルギー追加ではなく、真の転換が起こっているのだ。

 強い沿岸海流が存在するにもかかわらず、政府がはるかに一貫して押し出してきたのは、風力ではなく太陽光のほうだ。太陽光のほうが安いからだ。だが、完全な転換のためには風力が必要となるはずであり、わずかなタービン――ヨーロッパの視点からすると驚くほど少ない――がラ・グアヒラに建設されてきた。その隣には、ルイス・カルロス・イグアランとその母親であるマリア・ドローレスが暮らしている。彼女はワユウの先住民コミュニティの伝統的な母権的権威者である。石炭産業の影響によって長くトラウマを抱えてきた彼女たちは、近隣の風力ファームを歓迎している。太陽光パネルも設置されてきており、無料のWi-Fiや基本的サービスをコミュニティにもたらしている。「これは私たちにとって良く、国にとっても良いものです。でも、失速したり停止されたりするプロジェクトが多すぎます」。

 風力発電の導入は民間セクターに任されてきたが、その企業の一部はこの地域から撤退してきた。その理由のひとつは、他の場所に住むワユウの人々の反対があったことだ。かれらは、憎むべき石炭にくわえてまた新たなエネルギー施設が追加されるという考えに抵抗してきた。かれらが引き合いに出すのは、収入の不公平な分配であり、相談の欠如であり、風景の精神的(スピリチュアル)な重要性の無視である。結果としてラ・グアヒラの風力は、ラ・ルナのシェールがそうであるのと似たように、未開発のままにとどまっている。

市場は太陽を憎む

 最も大きなスケールで見れば、太陽光と風力は輸出製品としての石油・ガスに取って代わることができるかもしれない。ペトロは、再生可能電力の大陸間送電網(グリッド)というアイディアを打診してきた。はるばる北のアラスカから南のパタゴニアまで伸びるグリッドである。コロンビアは自国の余剰分をシステムに送り出し、その代わりに他の国々の余剰分を受け取る。ふたつの友好的な政府――ウルグアイとパナマ――は最近になってこのずば抜けて野心的なアイディアに乗り、隣国であるパナマは高ボルト数のケーブルの相互連結について契約署名を行なった。ペトロはジョー・バイデンにすらも提案を行なった。私たちがペトロから受けた説明によれば、

 白人社会におけるラテンアメリカ人への憎しみはきわめて強烈なもので、かれらは米国へのあらゆる移民を停止したがっています。私はバイデンに、このグリッドによってそれを実現できるのだと提案しました。私たちの国々のなかで経済発展を生み出すことで、人々は移民に出る必要がなくなるのだと。彼は理解を示しましたが、何の行動もとりませんでした。私はトランプとは話すことができていません――手紙を書いたのですが、返事がありません。トランプは純粋なナショナリストであり、より多くの石油やガスを採掘することをひたすら望んでいます。彼は気候変動の存在すら信じていません。

 ラティーノの人々を合衆国から遠ざけておくというこの奇妙な申し出が実現することがあるとしても、それが石油やガスのような規模で利潤を生み出すことはおそらく決してないだろう。潤沢な再生可能エネルギーの大陸間グリッドは、電気価格をゼロに向けて押し下げることになるはずだ。そしてここには、ペトロとその同志たちによる転換プログラムが抱える、よく知られた構造的な障壁が存在している――太陽光と風力は、化石燃料と同じように利潤を生み出すことができないのだ。

 エコペトロルはこのことを知っている。バランカベルメハの外側にある最も古くからの油田(ラ・シラ・インファンタという名前で知られている)の隣に、この会社は地域で最大の太陽光パネルのパークを構築してきた――電気を商品として売る(それは誰も富裕にすることがない)のではなく、石油リグに可能なかぎり安価に動力を与えるためである。エコペトロルは、単一の電気消費主体としてはコロンビアで最大だ。同社が太陽光発電の容量を拡大しているのは、その中核的なビジネス――炭化水素の採掘――における利益幅を引き上げるためなのだ。太陽光パークに由来する電気の大部分は、残存する石油を押し出すために毎日何万立方メートルもの水を地中に注入するプラントへと注ぎ込まれている。ペトロはこれまでのところ反対を表明してはいない――実際には彼はパークの落成式に出席し、パネルのひとつにサインを記した(しかしながら、彼はもうひとつのエコペトロルの利潤源には反対してきた――〔米国の〕パーミアン盆地におけるフラッキング事業である。だが彼が会社に資産売却を行なわせようとすると株価が落下し、彼が手を引くことになった)。コロンビアにおける現在の太陽光発電のかなりの割合は、したがって、その主要な石油会社の収益性を下支えし、その生命を延長するために利用されていることになる。

 太陽光と風力の非収益性は、その生産における労働力の不在にも通じている。そしてまさにこの理由から、労働運動のいくらかの分派は化石燃料の側に集結することになった。石油労働者たちの組合である石油産業労働者組合(USO)の現在の会長であるセーサル・ロサは、ペトロの政策に反撃してきた。「コロンビアで石油・ガス産業が生み出している雇用は、USOとその労働者たちの努力のおかげで質の高いものです。対照的に、太陽光エネルギーのような代替的エネルギー源によって生み出された雇用は低賃金である傾向にあり、それほど多くの労働力を必要としません」。日光を掘り返したり風を掘削したりする人間はいないからだ。したがって彼の結論によれば、「私たちはさらなる石油とガスの探鉱を必要としています。それがどのようなものであれ」。

 こうした立場は、化石燃料労働者の貴族政治と見られても仕方ないかもしれない。先行きの不安と貧困という大海原に浮かんだ特権性の島を防衛しようとしているのだと――もっとも、ここでの「特権性」とは非常に相対的な意味なのだが。バランカベルメハとその周辺部の人々にとっては、石油はいまなお良い生活のための好機であるように見えている。匿名を希望しているあるエコペトロルの労働者は私たちにたいして、自分がこの会社に職を見つけたのは19歳のときだったと語った。

 私は貧困家庭の出身です。私にはお金が必要でした。経験もないのにこのセクターで雇ってもらえたことは、私にとっては奇跡でした。私は貧困のなかで暮らしたくはなかったし、それはいまでも同じです――私は良い生活がしたいのです。自分の家族や子どもたちに、良い生活をしてほしい。というのも私は子ども時代に多くの困り事を経験してきましたから。エコペトロルで働きはじめたとき、私はこれで良い稼ぎができるのだと理解しました。言ってしまえば、これはコロンビアで最高の職のひとつです――エコペトロルで働けるということは、最上層にいるということなのです。私は平均的な人間よりも6倍も多く稼いでいます。そして私の上司は政府の大臣よりもずっと多くの額を稼いでいるのです。

 ラ・シラ・インファンタの周辺を案内しながら、この男性は労働者たちが生活している会社の敷地を指差してくれる。それはエコペトロルによって提供される建物群で、同社の発電所から電気が供給されている。「ここには大きくて素敵な家がいくつもあります。空調付きです」。だが彼は、地域のすべての人間がその恩恵を得ているわけではないことにも気がついている。エコペトロルの施設の周辺では、頻繁にデモが行なわれているのだ――「2週間かそこらに一度はデモが起こっていて、人々は道路にバリケードを作り、エコペトロルがもっと地域に投資して人々に職を与えることを要求しています」。この個人労働者は、いまでは太陽光パークで働くようになっている。稼働とメンテナンスのために雇用されつづけている数少ない労働者のひとりなのだ。およそ200の労働者たちがパークの建設のために雇用されたが、その落成ののちに現場にとどまっているのはたったの30人――実際の採掘にたずさわるほんのひと欠片の労働者たち――だけだった。

 同様に、グレンコアがラ・ロマの鉱山を閉鎖したときに職を失ったひと握りの労働者たちは、熟練エンジニアとして太陽光パネルの設置の再訓練を受けた。だが一度パネルが屋根のうえに上がると、かれらの仕事も上がりになる。太陽光は石炭と違って、無料でやってくるからだ。ラ・ロマの内部では、少なからぬ労働者の家族が鉱山の再開を待ち望んでいるはずだ。鉱山が開けば、みたところ太陽光では提供できない数の雇用が手に入るはずだからだ。この街は3つのドラモンドの露天掘り鉱山に囲まれており、住民たちの職と収入はそれらに依存している。鉱山での労働という特権――それが実際に正しい言葉だとすれば――は、この会社によって注意深く配給されてきた。それぞれの家族で雇用されることができるのは1名だけというように。この化石燃料への構造的な依存――まっとうな賃金の最良の源泉としての鉱山や油田への磁石的な引力――によって組織化された労働力は、おそらく採掘を擁護することへと向かってしまうだろう。そして労働者をぴったりと自身の側につけることなしに、いったいどのようにして政府は化石資本を打ち負かせるというのだろうか?

 だがコロンビアの労働組合――1世紀にわたる闘争的なアジテーションと何ラウンドもの内戦を経て高度に政治化されている――のなかには、より進歩的な潮流が力強く流れている。USOの指導層がフラッキングへの支持を表明するなかで、異議申し立てが存在しなかったわけではない。強力な反対派が、ペトロのアジェンダとも連携してきた。2001年に殉死したUSOの指導者にちなんで名づけられたボゴタのアウリー・サラー・センターでは、広げられた手のひらから木々と太陽光パネルと風力タービンが生え出る壁画が描かれている。USOのなかのこの一派は、つい最近エコフェミニズムについてのセミナーを後援したばかりだ。私たちは、USOにおける労働者の人権のための全国委員会のメンバーであるフアン・カルロス・アギラールに話しかける。バランカベルメハの製油所で26年間にわたり働いてきた彼は、石油ビジネスのためにみずからの愛情を失うことは決してなかった。「エネルギー転換は必要です。シンプルな理由としては、私たちがこの世界の均衡(バランス)の限界を超過しつつあるからです。石油の開発利用は社会のいくらかのセクターには多大な富をもたらしたかもしれませんが、同時に多大な貧困、暴力および汚染ももたらしたのであり、これらの何ひとつとして、石油産業からの補償が与えられたものはありません」と、彼は語る。

 ここ数ヶ月で、USOはペトロの優先課題のほうへと接近してきたように見える。現在のエネルギー大臣であるエドウィン・パルマ――内閣のなかではその豹変ぶりのために評判が悪い――はこの組合の元指導者であり、彼はその新たな役職においてフラッキングの公的な拒絶を受け入れてきた。一連のエネルギー・コミュニティが、彼がかつて働いていたバランカベルメハ地域のために計画されている最中だ。こうした展開は、またしてもコロンビアの実験のユニークさについて物語っている――石油労働者たちの組織が、転換の計画に直接に巻き込まれているのだ。だが再生可能エネルギーの容量が、こうした雇用のすべてに取って代わるのかということは、いまだにはっきりとしない。フアン・カルロス・アギラールは、みずからの同僚たちの代替的な収入源について「政府からはいまだに何の現実的、物質的な提案もなされていません」と認めている。この胡桃(くるみ)の殻は、どうすれば割れるのだろうか?

資源の罠を打破する

 解決策となるのは、エネルギー転換を資源従属のロジックからの決別として捉えなおすことかもしれない。ともにラディカルなシンクタンクであるポーレンで働いているフェリペ・コラル=モントージャとカタリーナ・コンバリサ・ディアスの目から見れば、行なうべき仕事は採掘主義の飛び地(エンクレーブ)としてのコロンビアの立場を終わらせることにほかならない。「国民経済のモデルの完全な移行に達しない試みはなんであれ、表面をかするだけの結果に終わるだろう」。 完全な移行が行なわれるときには、エネルギーないし一次原料全般の輸出のなかに未来があるという考えは捨て去られなければならないし、人々の財産は、富裕な〔資本蓄積の〕中枢から――古典的な意味で――切り離されることになる。コラル=モントージャが説明しているように、

 私たちは潤沢な再生可能エネルギー資源を利用して、国内で原料を加工し生産するべきなのです。私たちはローカルで内的な連関を構築する必要がある。太陽光電力は、私たちの食品加工産業を活気づかせるでしょう。ここボゴタで電動バスを展開するのであれば、それも製造しなければなりません。私たちは自分の母親の中古車を電動に改装しようとしてきました――コロンビアの自動車の隊列を、全国各地の工場で全面的に改装するということも構想できるでしょう。そして必要な部品も、この国の工場で組み立てられるはずです。
 私たちは現在、カリブ海沿岸地域でモーターバイクを電動にするプロジェクトを進めており、電動バイクはより多くのトルクを有しているため旧来のガソリンモデルよりうまく動いてすらいます。 私たちは再生可能エネルギーを、コロンビアの工業化の基礎として考えるべきなのです。

 こう考えれば「エネルギー安全保障」にかんする右翼による恐怖の売り込みにも反駁できるだろう、と議論は進んでいく。ガソリンに頼りつづけるかわりに、あらゆるものを電化してそれを国内のシステムに接続すればいいからだ。

 労働者たちを完全に自分たちの陣営に引き入れることだってできるかもしれない。石炭・石油セクターの労働者たちには、熟練工業雇用を提供することができるだろう。コラル=モントージャは以下のように続ける。

 太陽光発電所に問題あるとすれば、それは建設が終わればそれほど多くの労働者が必要ではなくなるということです――清掃とメンテナンスと守衛に何人かが必要なだけです。ですから労働者たちは、電気の生産自体に移行することはできないのですが、電気を集約的に用いる産業に移行することはできます。それ以外のことはすべて、階級下降とみなされてしまうでしょう。 「私は農家にはなりたくない、太陽光パネルを設置するフリーランスの事業者にはなりたくない――私には炭鉱夫ないし石油労働者としての地位があるのだ」とかれらは言うでしょう。だからこそ組合も、それがこれまでのところもっぱら最も貧しい人々に恩恵を与えてきたからといって、必ずしも転換を支持してはこなかったわけです。かれらは別の高収入が得られる安定した職を望んでいます。未来の産業となるような協同組合を労働者たちが形成することも想像できるかもしれません。

 コラル=モントージャは、みずからをエコロジカルなジョン・メイナード・ケインズないしウラジーミル・レーニンではなく「エコロジカルなラウル・プレビッシュ」〔アルゼンチンの経済学者。国連ラテンアメリカ経済委員会(CEPAL)の事務局長を務め、従属理論の発展に貢献した〕とみなしている。「植民地宗主国と被植民地国とのあいだの国際的分業こそが、私から見れば、現在の私たちの状況のDNAなのです」。この観点からすれば、化石燃料の輸出への一方的な従属関係は、段階的廃止を思いとどまることの理由なのではない。従属はむしろ、廃止の経済的な存在理由なのだ。

 カタリーナ・コンバリサ・ディアスは似たような見方を採用し、この自家栽培のエコ構造学派を、水素の事例に応用させてきた。太陽光や風力とはちがい、グリーン水素はコモディティとして世界市場のどの行き先へも輸出することができる。ドイツはありうる顧客のひとつだ。前政権と現政権はともにこのシナリオに期待をかけてきた。だが、なぜこの国からの資源の定常的な排出および漏出を再生産するのだろうか? グリーン水素を自国にとどめておいて、国営事業のコントロールのもとで――ともに脱炭素化という緊急の必要のなかで――セメントや鉄鋼を生産するのに使ったほうがいい。国内の航空業(コロンビアはそれに過度に依存するようになっている)でさえ、水素ベースの燃料で供給を行なうことができるかもしれない。あるいは、再生可能電源によってコロンビアで鉄道車両の製造をはじめられるかもしれない。バランカベルメハの製油所は、グリーン水素の拠点(ハブ)になれるかもしれない、等々――コロンビアの想像力には限界というものがない。

 こうした背景のなかでは、決定的鉱物(クリティカル・ミネラル)のための新たな採掘ブームという亡霊が不可避的に立ち現れてくる。コロンビアは、また新たな一世代分の醜悪な傷をその地面に刻むことになるのだろうか? コラル=モントージャ、コンバリサ・ディアス、ペトロ、そしてその他の少なからぬ人々は、採掘そのものには反対していない――自立したカーボンフリーのコロンビアを発展させるためには、原材料が必要となるだろうから。だが、かれらは採掘主義(別の場所で処理させるために未加工の財をとにかく投げ売りにするというモデル)ははっきりと拒絶している。そして(おそらくは)幸運なことに、コロンビアにはボリビアやチリのようなリチウムと銅の山は存在していない。だがカニャベラレスの石炭でそうなっているように、銅はアマゾンやアンティロキアのいくつかの未開拓地へと進出しつつあり、先住民や小農のコミュニティからの同様の抵抗を引き起こすことが予見される。かれらは、自分たちがまたしても収奪と破壊の犠牲者になる――しかし今度は「転換」の名のもとで――ことを恐れている。ペトロは個人的には両方の地域での鉱山開発に反対している。これらの闘争は、強力な利害関係――外国と国内の双方――が首輪を引きちぎろうと暴れているなかで、未解決のままにとどまっている。

 反植民地主義という水脈のなかで、他のアイディアも俎上に載せられてきた。ドイツのような先進資本主義諸国は、その負債のいくらかを帳消しにすることによって石油を段階的に廃止するための財政的余地をコロンビアに与えることだってできるはずだ。しかし常にそうであったように、富裕な国々が支払いを求められた途端、こうしたアイディアはかれらの気に食わないものになる。2024年にペトロ政権は段階的廃止のための公共的なメガ投資計画を発表したが、この原稿を書いている時点でも、その命運ははっきりしないままだ。コロンビア国家は、みずからの直接の司令によって資源を動員することで経済の舵取りをすることに習熟した装置ではない。

 それから観光(より限定していえばエコツーリズム)も存在している――それをカーボンフリーでもなければ脱植民地主義的でもないとして嘲笑することは簡単だ。コロンビアへの観光客の流入は、近年急上昇してきた。大統領としての虚栄も滲ませつつ、ペトロは個人的評判をその原因とみなしている。「それは私が国際的に多くのノイズを生んでいるせいだと思っています。私はこの国がいかに美しいかについて話すので、これでたくさんの人々がやってきているのでしょう」。そうした主張の是非はともかく、観光による収入は2024年に石炭からの収入を超えた。そしてこのこともまた、ある種の達成としてカウントできる。

一国でのエネルギー転換

 だが結局のところ、コロンビアの転換が抱えるさまざまな矛盾は、ある単一の袋小路へと行き着く――コロンビア一国ではそれを成し遂げることができないのだ。ペトロ政権は、極度の孤立のただなかに置かれた灯台でありつづけてきた。ラテンアメリカの直接の隣国においてすら、他の化石燃料生産国は例外なくアクセルを底まで踏み込みつづけてきた――左派と右派を問わず、ベネズエラからアルゼンチンまで、ブルジョワジーの関心事をつかさどる委員会の一味は、前へ前へと進みつづけている。〔ブラジルの〕ルーラ政権もそのひとつだ。今年中――COP30のホストとなる直前――にブラジルは172の石油・ガス区画への事業許可の入札を行なう予定だ。そのうちの47はアマゾン地域に存在している。

 これが世界の存在のしかたであり、ブルジョワ国家のやり口である――すなわち、可能なかぎりの陰惨さで普段どおりのビジネスを続けることが。ひとつの国のなかでそれと決別することは、一国内だけでの社会主義と同じくらい成功の確立が低い。ペトロは自身のことを「最後のモヒカン族」と呼んでいる。「世界で最も富裕な人々は、死の側に賭け金を置こうとしています。かれらは権力を失うことを恐れており、だからこそ世界は転換へと向かう代わりに、グローバルな戦争へと向かっているわけです」。

 したがって、大統領宮殿におけるペトロの大立ち回りには、どこか悲劇的なものがある。コロンビアでの実験が輸出されることがなければ、それは崩れ去ってしまう運命にあるように見える。私たちが2025年の春から初夏にかけてこの国に滞在していたあいだ、来年〔2026年〕の選挙で左派が勝利するだろうという自信を表明していた人物はひとりもいなかった。より一般的だったのは、敗北という見通しへの諦めである。現行の憲法では大統領が一任期以上務めることは禁止されており、ペトロの外套を身にまとわせようとした人間は誰であれ、上り坂のレースを強いられることになるはずだ。コロンビア国家は、その元来の所有者の手に戻る可能性が高いように見える。

 もしそうなったら、転換のプロジェクトのうちで生き延びるものはあるのだろうか? 右翼政権が規制を取り除き、洪水のような新規事業許可を化石燃料産業に注ぎかけることは、ほとんど確実だ。「右派の側の大統領選出馬者は全員、そうすることを約束しています。私たちの達成は一時的なものなのです」とベレース=トレスは予測する。「マグダレーナ川でのフラッキングは、2026年8月9日」――すなわち次期大統領の就任日の翌日――に開始されてしまうかもしれません」とアンドレス・ゴメスは予期している。最悪のケースでは、報復主義的な右翼がみずからの前に立ちはだかる社会運動にたいして大規模な暴力を解き放つかもしれない。ジュリ・ベラスケスやジュバリス・モラーレスのような活動家たちは、すでに死の部隊(デス・スクワッド)によって危うく殺害されかけてきた。

 コロンビアほど、環境の守り手たちが殺害されている場所は他にない。実際のところ、ペトロによる支配のもとですら、この単一の国〔における犠牲者〕はグローバルな総計のほとんど半分を占めてきた。右派の大統領――コロンビア版のジャイール・ボウソナロないしハビエル・ミレイ――のもとでは、内戦という構図への転落すら考えられない事態ではない。化石燃料を地中に残しておくという初の国家規模の試みは、血で浸される結果になるかもしれない。

 よりましな場合のシナリオでは、より攻撃的でない右派が転換プロジェクトの一部の存続を許容することになるかもしれない――エネルギー・コミュニティ、太陽光パーク、衰退に任される石炭セクターなど。さらに良いシナリオとしては、議会外での諸々の運動が立ち上がり、達成を防衛しフラッキングを阻止するとともに、エネルギー転換をさらに前へと押し進めるかもしれない。一番良いのはもちろん、新たな大衆的動員と選挙での勝利が組み合わさることによって、これらの運動と国家とのあいだの連携が復活することだ――こうした種類の奇跡は、この大陸〔ラテンアメリカ〕ではいまなお時として生じている。

 だが、たとえ最悪のシナリオが実現することになったとしても、まだいくらかの光は世代から世代へと受け継がれることだろう。温室と化した地球においてすら、最後の歴史家たちは2020年代という決定的な10年間のことを振り返り、終盤戦においてもあらかじめ勝敗が決まっていたわけではなかったのだと結論づけることができるはずだ。何を行なうこと可能だったのか、身を持って示していた国がひとつは存在したのだ、と。

※6月21日、コロンビア大統領選の決選投票が行なわれ、ペトロ政権の路線継承を掲げた左派のイバン・セペダ候補は僅差で敗北。右派の弁護士アベラルド・デ・ラ・エスプリエラ氏が当選した。本稿が描いたエネルギーと社会の転換の行方は岐路を迎えている。(編集部)

アンドレアス・マルム、マクシー・ゲズ

アンドレアス・マルム(Andreas Malm) :ルンド大学における人間生態学の准教授。邦訳に『パレスチナを破壊することは、地球を破壊することである』(箱田徹訳、青土社)など。
マクシー・ゲズ(Maxy Guez):フランスの独立ジャーナリスト。

2026年9月号(最新号)

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