【連載】台湾・麗しの島だより——移行期正義の練習帳(第3回)歴史の偉人を再検する

栖来ひかり(文筆家)
2024/08/05

移行期正義(Transitional Justice)〉……過去に大きな不正や人権侵害があった社会が、真実を追求して責任の所在を明確にすると共に、分断された社会の和解をめざし、より良い未来を築くために行なうプロセスのこと。

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公開停止になったミュージックビデオ

 つい先日、Mrs. GREEN APPLEという日本の人気バンドによる《コロンブス》という新曲のミュージックビデオ(MV)が、公開後に大炎上し、すぐ非公開となった。内容は「コロンブス」「ベートーヴェン」「ナポレオン」に扮したバンドメンバーが訪れた島で「類人猿」に遭遇し、人力車を牽かせ、乗馬や西洋の音楽を教えるという設定。この説明だけで疑問に思う読者も多いだろう、「ぜんぶ〝不適切〟じゃないか?」って。そもそも、公開にいたるまでは制作クリエイターのみならず所属レコード会社のユニバーサルミュージックや広告代理店、スポンサーも含めて多くの人が関わっているはずで、その誰ひとりとして内容に大きな問題があると思わなかったのだろうか。 

 以前にも「コロンブス」という人名を用いた歌謡曲が、なかったわけではない。1980年代のアイドルグループ「光GENJI」の《パラダイス銀河》がそれで、1988年に発表されて一世を風靡した。当時わたしは12歳で、お友達と繰りかえし1緒に歌ったし(今でも空で歌える)「コロンブス=新大陸発見の冒険者」と無邪気に信じてもいた。しかし、それから月日のながれること早36年。〝しゃかりきコロンブス♪〟と歌ったメンバーのひとりは覚せい剤所持で事務所を解雇され、曲を手掛けた有名ミュージシャンも覚せい剤所持で逮捕、実刑判決も受けたもののその後芸能界復活をとげた。光GENJIが所属した芸能事務所も、創立オーナーの性的児童虐待が社会問題となり、解体された。いまを生きるわたしたちの「歴史」はこんな風に現在進行形で、世界の印象は刻々と移り変わる。そして、「歴史上の偉人」と呼ばれる過去のひとびともそこから逃れることは出来ず、コロンブスだって例外ではない。

コロンブスが暗転させた世界地図

 コロンブスが航海に出た理由は、好奇心や冒険心に駆られたのではなく「砂糖」のためだった。かつて特権階級のみが手にできる贅沢品だった砂糖は、当時のヨーロッパにおいて庶民まで市場を拡げ、商人や貴族、ひいては国家に莫大な富をもたらしていた。しかし、原料となる砂糖キビは連作に向かず、栽培に適した1定の気温と湿度をもつ新たな土地が必要だった。そこで、スペイン王の命でサトウキビの苗をたずさえ、新天地を目指したのがコロンブスである。

 コロンブスの「新大陸発見」をきっかけに、多くの先住民は、虐殺されたうえ、ヨーロッパより持ち込まれた疫病で壊滅的に激減した。また、砂糖キビ・プランテーションの労働力としてアフリカの人々が奴隷として運ばれた。砂糖キビや綿花、タバコなど限られた商品のみを生産するモノカルチャー産業は他の産業発展や経済活動を阻み、その後の「発展途上国」と「先進国」をわける南北問題を生み出して、現在の世界地図にも大きな影響を与え続ける。そんなわけで、「新大陸発見」から500年にあたる1992年前後より祝日だった「コロンブスデー」について是非が問われるようになり、「先住民の日」に置き換える自治体も出てきた。2020年にはアフリカ系アメリカ人男性のジョージ・フロイトさんが殺害されたことで巻き起こったレイシズム反対運動が、奴隷貿易、奴隷制度、植民地主義批判へと繋がり、コロンブスの銅像を始め植民地主義を想起させる各地の記念碑が引き倒された。件のコロンブスMVの製作者は、グローバルな歴史評価のこうした変化をあまりにも舐めていたとおもう。

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栖来ひかり

(すみき・ひかり)文筆家。1967年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路』(図書出版ヘウレーカ)、『日台万華鏡』(書肆侃侃房)など。

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