【連載】ユース・ポリティクス(第6回)民主主義の学校フォルケホイスコーレ――北欧社会からのアイデア②

能條桃子(一般社団法人NewScene代表理事)
2026/09/04
Cartoon of a pink-haired person with pink sunglasses on the right; bold magenta Japanese text ポリティクス on the left.

 日本で暮らしていると、私たちはかなり早い段階で「自分と似た人」とばかり過ごすようになる。多くの場合、高校に進学する時点で学力によって進学先が分かれる。東京などでは中学受験が広く普及しているので、中学に上がる段階ですでにそうなっていることもめずらしくない。一部の富裕層や「教育」熱心な親は、幼稚園や小学校の時点から受験を選ぶ。その後も、大学へ進むかどうか、どんな仕事に就くか、そしてそもそもどんな家庭に生まれ、どんな教育環境に置かれてきたか――そうした条件によって、社会の中で生きる世界はゆるやかに、しかし確実に分かれていく。私たちは、階層化された社会を生きている。その中で民主主義はどう成り立つのだろうか。

民主主義が成り立つ条件

 民主主義が機能するための条件のひとつは、社会の中の格差がある程度小さく保たれ、人々が同じ社会を生きる他者を仲間として認識できることにある。政治学者トクヴィルは、民主主義を支えているのは制度そのものよりも人々が互いを対等な存在として見られる感覚があること、つまり「境遇の平等」だと論じた。見知らぬ他者を、自分と地続きの仲間だと感じられるからこそ、人は連帯し、共通の事柄を一緒に決めていこうというモチベーションを持てる。

 逆に言えば、社会が階層に分断され、異なる層の人々が出会うことも、互いを想像することもなくなっていけば、「私たち」という感覚は痩せ細っていく。今、多くの社会でそれが起きている。学力で、収入で、生まれで振り分けられた集団は、それぞれの内側で完結し、他者は「別世界の人」になる。連帯の土台そのものが失われつつある社会で、公正な社会を目指すことは難しい。では、それを乗り越えるために、どんな機会が必要なのだろうか?

フォルケホイスコーレとは

 デンマークには、私のこの問いに一つの答えをくれた学校がある。フォルケホイスコーレ(Folkehøjskole)――直訳すれば「民衆の高等学校」、しばしば「人生の学校」と呼ばれる北欧独自の全寮制の成人教育機関である。17歳半以上であれば、国籍も宗教も、学歴も職歴も問わず誰でも入学できる。試験も成績もなく、卒業しても資格や学位は得られない。3~6カ月ほど、先生も生徒も同じ宿舎で寝食を共にしながら、自分の興味にしたがって学ぶ。デンマーク国内に約70校あり、政府の助成によって、留学生を含め誰もが学費の一部を負担するだけで学生生活を送ることができる。

 2019年、私は大学3年生を終えて、1年休学を選んだ。それは、流れるように就活に向かう友人たちの姿についていけず、「一度立ち止まってゆっくり考えたい」と思ったからだった。ヨーロッパ諸国などでは「ギャップイヤー」という人生の節目(多くは高校卒業後、大学入学前)に、あえて1年~数年ほど進学や就職から離れ、旅・ボランティア・インターン・語学留学などにあてる期間を取ることが文化となっている。制度化された学びのレールをいったん外れて、自分の興味や進路をじっくり見つめ直すための意図的な猶予期間があると知った私は、今自分に必要なのはこれだという直感のもと「モラトリアムがほしい」と親に話し、このフォルケホイスコーレに留学した。

 私の留学したフォルケホイスコーレは、80名ほどの学生で3カ月、共に暮らす学校で、音楽・スポーツ・デザインシンキング(プロジェクトマネジメント)・ヨガという4つのメインコースと陶芸や映画づくり、ジェンダーセクシュアリティ、政治、ダンスなど多様な授業があった。授業科目を見たらわかるように、まったく「学校」っぽくない。そして集まっている学生も、世界ランキングに上位で載るコペンハーゲン大学に進学する前の学生もいれば、学校での勉強が苦手でほとんどきちんと勉強していなかった、と話す子まで、きっと学力でいえばかなり多様であった。学力だけでなく、かなり成功しているビジネスオーナーの娘で中高はイギリスの全寮制の学校で育ったと話す学生から、親に問題があって14歳の時から行政の支援のもと一人暮らしをして生きてきた学生や、移民2世の学生、デンマーク人の家庭に小さい時にアフリカから養子に取られてデンマーク人として育ったと語る学生まで、多様な背景を持つ学生がいた。日本で生きてきた私が、これほど背景の異なる人々と毎日同じ食卓を囲むことは、これまでまずなかった。

 留学生活を振り返りながら、この学校の特徴を挙げるとするならば、やはりまず一番は、試験も成績もないことである。序列がないから、大人も間違えるし、先生も知らないことがある、と知る。誰もが対等な「学生」として学び合う。それまで積み上げてきた学歴も表彰歴も、ここでは関係ない。また、フォルケホイスコーレは、全寮制の共同生活がセットである。授業だけでなく、食事も掃除も自由時間も他者と共にする。人と関わらないという選択が難しいからこそ、そこには自然と対話が生まれ、意見のぶつかり合いも避けられない。そして、生徒の自主性と民主主義が学校運営の基盤となっていることも大きな特徴であった。授業以外の学校生活の多くは、生徒自身の手で運営される。掃除やイベントの分担、週に一度の全校集会、問題が起きたときの話し合いなど生活のあらゆる場面で「みんなにとって何が最善か」を考える経験を積み重ねる。民主主義を科目として習うのではなく、暮らしそのものの中で体得していくということがこの学校で学んだことであった。

 ちなみに、フォルケホイスコーレは政府から独立して学校ごとに運営されているため、コースや文化は学校によって大きく異なる。だが共通することの一つが、ほとんどすべての学校が都市から離れた自然の中にあることだ。私が過ごした学校は最寄り駅までバスで30分ほど、そのバスが1日に数本しかないような場所であった。つまり、ほとんどをその学校の中で過ごすのである。三食提供する食堂や生徒が自主運営するバー、自由に使える体育館、ボードゲームができるリビングなどがあり、暮らせる場所となっているのだが、そこで多くの時間を過ごさなければならないという設計も大きい。もちろん誰もアルバイトなどに行かないし、あまりスマートフォンを使ったりしないことも印象的であった。その時間に集中できる環境を整えることも重要であった。

市民性の教育に向けて

 民主主義を支えているのは、結局のところ「市民性」、つまり共に社会をつくる一員としての態度や感覚である。そしてこれは、もっとも重要でありながら、もっとも育てにくいものでもある。なぜなら民主主義の教育とは、知識だけではなく、態度や、他者と共に生きる生活の形式そのものを育てる教育だからだ。テストでは測れず、教科書にも書ききれない。それを提供しつづけようという学校運営の意思が、デンマークの「生活形式の民主主義」という文化を支えているのであろう。

 フォルケホイスコーレという学校生活ですることは主に「あなたは何者か」「なぜここにいるのか」「あなたの人生の目的は何か」、この3つの問いに向き合うことである。学力や年齢や出身を超えた多様な他者と、数カ月間ただ共に暮らし、対話し、時にぶつかりながらこの問いを抱えつづける経験は、「自分は何がしたいのか」だけでなく「自分はこの社会に対して何ができるのか」への問いへと静かにつながっていく。

 階層化が進み、連帯の土台を失いかけている私たちの社会にとって、フォルケホイスコーレの実践は、参考になるところがあるのではないだろうか。それはきっと、私たちがなかなかつくれずにいる「出会い直しの場」の、ひとつの姿なのだ。

能條桃子

「N O YOUTH N O JAPAN」代表理事。「FIFTYS PROJECT」代表。1998年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。慶應義塾大学院経済学研究科修士。20代の投票率が80%を超えるデンマークに2019年に留学したことをきっかけに、日本のU30世代の政治参加を促進する「N O YOUTH N O JAPAN」を設立し、代表理事を務める。20年に一般社団法人化。Instagramなどを利用したSNSメディアの運営や選挙の投票率向上に取り組む。

2026年10月号(最新号)